和俗童子訓 / 巻之二・総論下
尤勤むべし。謹とは、心に恐ありて、萬の事の誤なからんやうにするなり。萬の事は、謹より行はる。謹なければ、萬事亂れて、善き道行はれず。萬の過も禍も、皆つゝしみなきよりおこる。謹めば心に怠なく、身のわざに誤少なし。謹の一字、尤大切のこと也。若き子弟の輩は、殊更是を守るべし。信とは、言に僞なくて、誠あるを云ふ。身には行はずして、口に言ふは、信なきなり。又人と約して、其事を變ずるも、信なきなり。人の身のわざ多けれども、口に言ふと身に行ふとの二より外にはなし。行をつゝしみて、言に信あるは、身を修むるの道なり。汎愛衆とは、我がまじはり對する所の諸人に情ありて、ねんごろにあはれむを云ふ。下人を使ふに情深きも、亦衆を愛するなり。
新字:尤勤むべし。謹とは、心に恐ありて、万の事の誤なからんやうにするなり。万の事は、謹より行はる。謹なければ、万事乱れて、善き道行はれず。万の過も禍も、皆つゝしみなきよりおこる。謹めば心に怠なく、身のわざに誤少なし。謹の一字、尤大切のこと也。若き子弟の輩は、殊更是を守るべし。信とは、言に偽なくて、誠あるを云ふ。身には行はずして、口に言ふは、信なきなり。又人と約して、其事を変ずるも、信なきなり。人の身のわざ多けれども、口に言ふと身に行ふとの二より外にはなし。行をつゝしみて、言に信あるは、身を修むるの道なり。汎愛衆とは、我がまじはり対する所の諸人に情ありて、ねんごろにあはれむを云ふ。下人を使ふに情深きも、亦衆を愛するなり。
書き下し
尤勤むべし。謹とは、心に恐ありて、万の事の誤なからんやうにするなり。万の事は、謹より行はる。謹なければ、万事乱れて、善き道行はれず。万の過も禍も、皆つつしみなきよりおこる。謹めば心に怠なく、身のわざに誤少なし。謹の一字、尤大切のこと也。若き子弟の輩は、殊更是を守るべし。信とは、言に偽なくて、誠あるを云ふ。身には行はずして、口に言ふは、信なきなり。又人と約して、其事を変ずるも、信なきなり。人の身のわざ多けれども、口に言ふと身に行ふとの二より外にはなし。行をつつしみて、言に信あるは、身を修むるの道なり。汎愛衆とは、我がまじはり対する所の諸人に情ありて、ねんごろにあはれむを云ふ。下人を使ふに情深きも、亦衆を愛するなり。
現代語訳
特に勤めなさい。「謹」とは、心に恐れがあって、万事に誤りがないようにすることです。万事は謹むことから行われます。謹みがなければ万事が乱れて、善い道は行われません。すべての過ちも禍も、皆慎みのないことから起こります。謹めば心に怠りがなく、身の行いに誤りが少なくなります。謹の一字はもっとも大切なことです。若い子弟たちは、特にこれを守りなさい。「信」とは、言葉に偽りがなく、誠があることを言います。身に行わずに口で言うのは信がないことです。また人と約束して、その事を変えるのも信がないことです。人の身の行いは多いけれども、口で言うことと身で行うことの二つのほかにはありません。行いを慎んで言葉に信があるのが、身を修める道です。「汎く衆を愛す」とは、自分が交わり接する多くの人に情けがあって、ねんごろに憐れむことを言います。召使いを使うのに情け深いのも、また衆を愛することです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信一子路無宿諾とは、一たび行はんと心にうけごひたる事を、延引せず、すみやかに行はれしとなり。是信ある所なり。一信は心に誠あるなり。心に誠あれば、言行の上にあらはる。言は行をかへりみていひ、行は言をかへりみて行ふ。是言行共に信あるなり。もし身に行はざる事を口にいひ、口に言ふ事を身に行はざるは、是言行共に信なきなり。言ふ事は易く、行ふ事はかたし。故に言をばひかへ、行をば過すべし。是信を行ふ道なり。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一中庸曰く、言は行を顧み、行は言を顧みる。言ふ意は、言と行とは相違なかるべし。言を出すに、わが身の行をかへりみて言ふべし。事を行ふには、己が言をかへりみて行ふべし。言ふ事はやすく、行ふ事はかたし。故に言はひかへていひ、行は言より過すべし。如此すれば、言と行と相違なし。口にいふ事あまり有りて、身に行ふ事足らざるは、是言行のそむけるなり。恥づべし。
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尉繚子・攻權戦ひて必ず勝たざれば、以て戦ひを言ふべからず。攻めて必ず抜かざれば、以て攻むるを言ふべからず。然らざれば、刑賞信ずるに足らざるなり。信は期の前に在り、事は未兆に在り、故に衆已に聚まれば虚しく散ぜず、兵已に出づれば徒らに帰らず。
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司馬法・定爵国に居りては和し、軍に在りては法あり、刃上には察す。国に居りては好を見し、軍に在りては方を見し、刃上には信を見す。凡そ陳は、行くには惟れ疏(そ)に、戦うには惟れ密に、兵は惟れ雑う。人の教え厚ければ、静かにして乃ち治まり、威利章(あき)らかなり。相守るに義あれば、則ち人勉め、慮多く成れば、則ち人服す。時中に服し、厥の次治まる。物既に章らかなれば、目乃ち明らかなり。慮既に定まれば、心乃ち強し。進退に疑い無く、敵を見て謀る無し。誅を聴きては、其の名を誰(と)うこと無く、其の旗を変うること無かれ。凡そ事は、善なれば則ち長く、古に因れば則ち行われ、誓い作(おこ)りて章らかなれば、人乃ち強く、厲祥を滅ぼす。厲を滅ぼすの道は、一に曰く義、之を被(おお)うに信を以てし、之に臨むに強を以てし、基を成し、天下の形を一にし、人説ばざる莫し、是れを兼ねて其の人を用うと謂う。一に曰く権、其の溢るるを成し、其の好むところを奪い、我は其の外よりし、自ら其の内よりせしむ。一に曰く人、二に曰く正、三に曰く辞、四に曰く巧、五に曰く火、六に曰く水、七に曰く兵、是れを七政と謂う。栄、利、恥、死、是れを四守と謂う。容色積威は、意を改むるに過ぎず、凡そ此れ道なり。唯だ仁のみ親しむ有り、仁有りて信無ければ、反って厥の身を敗る。人は人とし、正は正とし、辞は辞とし、火は火とす。凡そ戦いの道は、既に其の気を作し、因りて其の政を発し、之に仮すに色を以てし、之を道(みちび)くに辞を以てし、懼れに因りて戒め、欲に因りて事とし、敵を蹈み地を制し、職を以て之に命ず、是れを戦法と謂う。凡そ人の形は、衆の求むるに由り、試みるに名行を以てし、必ず善く之を行う。若し行わんとして行わざれば、身以て之を将い、若し行わんとして行えば、因りて忘るること勿からしめ、三たびして乃ち章を成す。人生の宜しき、之を法と謂う。
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論語・学而篇子曰く、「弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、則ち以て文を学ぶ。」
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『童子問』卷中問ふ、程子曰く、仁者は天地万物を以て一体と為す。己に非ざる莫し。認め得て己と為さば、何の至らざる所かあらんと。此の語如何。曰く、此の理有り。然れども之を用に施し難し。博く民に施して、能く衆を済ふ有り、堯舜も其れ猶ほ諸を病めり。則ち藉令認め得て己と為すとも、豈に能く至ることを得んや。故に口に言ふべくして、身に行ふべからざる者は、君子道はず。墨子は天下を兼愛するを以て道と為し、仏氏は三界の衆生を以て己の一子と為す。皆口に言ふべくして、身に行ふべからざる者なり。高論多説は、皆道に益無し。言はざるを以て是と為す。
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