和俗童子訓 / 巻之一・総論上
凡人の親となるものは、我が子にまさる寶なしと思へど、其子の悪しき方に移りて後は、身を失ふかねて辨へず、居ながら其子の惡におち入るを見れども、我が敎なくして、惡しくなりたる事をば知らで、唯子の幸なきとのみ思へり。又其母は、子の惡しき事を父に知らせず、常に子のあやまちをおほひ隱すゆる、父は其子のあしきを知らで、いましめざれば、惡つひに長じて、一生不肖の子となり、或は家と身とを保たず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、子の不肖なるゆゑは、母其あやまちをおほひて、父知らざるによれりと云へるもむべなり。
新字:凡人の親となるものは、我が子にまさる宝なしと思へど、其子の悪しき方に移りて後は、身を失ふかねて弁へず、居ながら其子の悪におち入るを見れども、我が教なくして、悪しくなりたる事をば知らで、唯子の幸なきとのみ思へり。又其母は、子の悪しき事を父に知らせず、常に子のあやまちをおほひ隠すゆる、父は其子のあしきを知らで、いましめざれば、悪つひに長じて、一生不肖の子となり、或は家と身とを保たず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、子の不肖なるゆゑは、母其あやまちをおほひて、父知らざるによれりと云へるもむべなり。
書き下し
凡人の親となるものは、我が子にまさる宝なしと思へど、其子の悪しき方に移りて後は、身を失ふかねて弁へず、居ながら其子の悪におち入るを見れども、我が教なくして、悪しくなりたる事をば知らで、唯子の幸なきとのみ思へり。又其母は、子の悪しき事を父に知らせず、常に子のあやまちをおほひ隠すゆる、父は其子のあしきを知らで、いましめざれば、悪つひに長じて、一生不肖の子となり、或は家と身とを保たず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、子の不肖なるゆゑは、母其あやまちをおほひて、父知らざるによれりと云へるもむべなり。
現代語訳
およそ人の親となる者は、我が子にまさる宝はないと思うのに、その子が悪い方へ移ってしまった後は、身を滅ぼすことになるのも前もってわきまえず、居ながらにしてその子が悪に落ちていくのを見ていても、自分の教えがなかったために悪くなったのだとは知らず、ただ子の運が悪いとばかり思っています。またその母は、子の悪いことを父に知らせず、いつも子の過ちを覆い隠すので、父はその子の悪さを知らずに戒めないため、悪がついには大きくなって、一生不肖の子となり、あるいは家も身も保てなくなります。なんと嘆かわしいことではないでしょうか。程子の母が「子が不肖になるのは、母がその過ちを覆い隠して、父が知らないからだ」と言ったのも、もっともなことです。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・修身・怨む者の指摘を得、愛する者の掩護する能はず平生の為す所、怨む我が者をして以て指摘するを得しめ、愛する我が者をして掩護する能はざらしむ。此れ身を省みるの大懼なり。士君子之を慎め。故に我に過ち無くして謗語滔天たるも諒とするに足らず、談笑して之を受く可し。我に過ち有りて幸ひに聞くに及ばずんば、當に寢ぬるに席に貼かず、食らふに咽を下らざるべし。
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論語・述而篇陳の司敗問う、「昭公は礼を知れるか。」孔子対えて曰く、「礼を知れり。」孔子退く。巫馬期に揖して之を進めて曰く、「吾聞く、君子は党せずと。君子も亦た党するか。君、呉に取りて同姓と為す。之を呉孟子と謂う。君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。」巫馬期以て告ぐ。子曰く、「丘や幸いなり。苟くも過ち有れば、人必ず之を知る。」
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論語・子張篇子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや、人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ。
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尉繚子・兵教下太上は過ち無く、其の次は過ちを補う。
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『呻吟語』内篇・修身・清水の魚の如し余は日日過ち有り。然れども自ら信ず、過ちの吾が心に發するは、清水の魚の如く、才かに發せば即ち見え、小しく發せば即ち覺ゆ。所以に卒に其の豪悍を遂げて流浪して收拾す可からざるに至るを得ざるなり。胸中の是非は、原と先に以て之を照らす有ればなり。所以に常に發するは何ぞや。只だ是れ心存せず、養ひ定まらざればなり。
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