和俗男子訓 / 巻一・養子実子を分けぬ三浦次郎右衛門
(近ごろ、阿波國に、三浦次郎右衞門といふ侍あり、其養子を興茂太郎といふ、後に實子をうめり、孫介と名く、盛長して、十餘歲になりしとき、興茂太郎がいはく、實子なきの、養子にてこそあれ、今すでに孫介盛長しぬ、孫介を惣領にたて給へと望む、次郎右衞門承引せず、一族をあつめて、いひけるは、それがしが心には、養子實子のへだてなく、いつくしみ思ふと、他事なし、然るに、興茂太郎、孫介を惣領にたてよといふは、定てそれがし、孫介に心ざしふかく、見へたるものにこそ、口惜しき次第なり、侍たらんもの、一たび親となり、子となりて、實子出來たればとて、それにうつるべきや、世間の人はいざしらず、我においては、かゝるきたなき存念はあらず、かくいふに、興茂太郎いなと申さんには、八幡も照覽あれ、孫介を勘當すべきなりと、いひければ、興茂太郎この上は、とかく申すべきにあらずと承伏し、一族も皆々よろこび感じあへり、此次郎右衞門がふるまひを、見きく人ごとに、武士の道はかくこそと、ほめざる人はなかりしとなむ、養子をせるもの、かくのごとくすべし、)
新字:(近ごろ、阿波国に、三浦次郎右衛門といふ侍あり、其養子を興茂太郎といふ、後に実子をうめり、孫介と名く、盛長して、十余歳になりしとき、興茂太郎がいはく、実子なきの、養子にてこそあれ、今すでに孫介盛長しぬ、孫介を惣領にたて給へと望む、次郎右衛門承引せず、一族をあつめて、いひけるは、それがしが心には、養子実子のへだてなく、いつくしみ思ふと、他事なし、然るに、興茂太郎、孫介を惣領にたてよといふは、定てそれがし、孫介に心ざしふかく、見へたるものにこそ、口惜しき次第なり、侍たらんもの、一たび親となり、子となりて、実子出来たればとて、それにうつるべきや、世間の人はいざしらず、我においては、かゝるきたなき存念はあらず、かくいふに、興茂太郎いなと申さんには、八幡も照覧あれ、孫介を勘当すべきなりと、いひければ、興茂太郎この上は、とかく申すべきにあらずと承伏し、一族も皆々よろこび感じあへり、此次郎右衛門がふるまひを、見きく人ごとに、武士の道はかくこそと、ほめざる人はなかりしとなむ、養子をせるもの、かくのごとくすべし、)
書き下し
(近ごろ、阿波國に、三浦次郎右衞門といふ侍あり、其養子を興茂太郎といふ、後に實子をうめり、孫介と名く、盛長して、十餘歲になりしとき、興茂太郎がいはく、實子なきの、養子にてこそあれ、今すでに孫介盛長しぬ、孫介を惣領にたて給へと望む、次郎右衞門承引せず、一族をあつめて、いひけるは、それがしが心には、養子實子のへだてなく、いつくしみ思ふと、他事なし、然るに、興茂太郎、孫介を惣領にたてよといふは、定てそれがし、孫介に心ざしふかく、見へたるものにこそ、口惜しき次第なり、侍たらんもの、一たび親となり、子となりて、實子出來たればとて、それにうつるべきや、世間の人はいざしらず、我においては、かゝるきたなき存念はあらず、かくいふに、興茂太郎いなと申さんには、八幡も照覽あれ、孫介を勘當すべきなりと、いひければ、興茂太郎この上は、とかく申すべきにあらずと承伏し、一族も皆々よろこび感じあへり、此次郎右衞門がふるまひを、見きく人ごとに、武士の道はかくこそと、ほめざる人はなかりしとなむ、養子をせるもの、かくのごとくすべし、)
現代語訳
(近ごろ、阿波国に三浦次郎右衛門という侍がいました。その養子を興茂太郎といいました。後に実子が生まれ、孫介と名づけました。孫介が成長して十歳余りになったとき、興茂太郎が言うには、実子がないから養子にしたのです。今すでに孫介が成長しました。孫介を惣領に立ててください、と望みました。次郎右衛門は承知せず、一族を集めて言うには、それがしの心では、養子実子の隔てなく、いつくしんで思うほかありません。ところが興茂太郎が、孫介を惣領に立てよと言うのは、きっとそれがしが孫介に志が深いように見えるからでしょう。残念な次第です。侍たる者、一度親となり子となって、実子が生まれたからといって、それに心を移すべきでしょうか。世間の人は知らず、私においては、そのような汚い存念はありません、と。こう言うので、興茂太郎が否と申すならば、八幡も照覧あれ、孫介を勘当しよう、と言いました。興茂太郎はこの上は、とやかく申すべきではないと承服し、一族もみな喜び感じ入りました。この次郎右衛門の振る舞いを見聞きする人は、武士の道はこうあるものだと、ほめない人はなかったということです。養子を迎えた者は、このようにすべきです。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・周官公を以て私を滅すれば、民其れ允に懷かん。
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尚書・蔡仲之命皇天は親しむ無く、惟れ德を是れ輔く。民心は常無く、惟れ惠を之れ懷く。
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史記 張釈之馮唐列伝上行きて、中渭橋を出づ。一人有りて橋の下より走り出で、乗輿の馬驚く。是に於て騎をして捕へしめ、之を廷尉に属す。釈之治問す。曰く、「県人来たり、蹕(ひつ)を聞きて、橋の下に匿る。之を久しくして、以為へらく行已に過ぎたりと。即ち出づれば、乗輿の車騎を見て即ち走りしのみ」と。廷尉奏当す、一人蹕を犯す、当に罰金なるべしと。文帝怒りて曰く、「此の人親ら吾が馬を驚かす。吾が馬頼ひに柔和なり。他馬ならしめば、固より我を敗傷せざらんや。而るに廷尉乃ち之を罰金に当つ」と。釈之曰く、「法は、天子の天下と公共する所なり。今法是くの如くにして更に之を重くせば、是れ法の民に信ぜられざるなり。且つ其の時に方(あた)りて、上をして立ちどころに之を誅せしめば則ち已む。今既に廷尉に下す。廷尉は、天下の平なり。一たび傾かば天下の法を用ふること皆為に軽重あらん。民安くにか其の手足を錯(お)かん。唯だ陛下之を察せよ」と。良久しくして、上曰く、「廷尉の当は是なり」と。
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史記 礼書故に堅革利兵は以て勝つと為すに足らず、高城深池は以て固しと為すに足らず、厳令繁刑は以て威と為すに足らず。其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。楚人は鮫革犀兕、以て甲と為す所、堅きこと金石の如し。宛の鉅鉄の施、鉆きこと蜂蠆の如く、軽利剽遬、卒かなること熛風の如し。然れども兵は垂涉に殆く、唐昧死す。荘蹻起こり、楚分かれて四参と為る。是れ豈に堅革利兵無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。汝潁以て険と為し、江漢以て池と為し、之を阻むに鄧林を以てし、之を縁らすに方城を以てす。然れども秦師鄢郢に至り、挙ぐること槁を振るふが若し。是れ豈に固塞険阻無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。紂は比干を剖き、箕子を囚へ、炮格を為り、無辜を刑殺し、時の臣下懍然として、其の命を必する莫し。然れども周師至りて、令下に行はれず、其の民を用ふる能はず。是れ豈に令厳ならず、刑陖ならざらんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。古者の兵は、戈矛弓矢のみ、然れども敵国試みるを待たずして詘す。城郭集めず、溝池掘らず、固塞樹てず、機変張らず、然れども国晏然として外を畏れずして固き者は、他の故無し、道を明らかにして之を均分し、時に使ひて誠に之を愛すれば、則ち下之に応ずること景響の如し。命に由らざる者有りて、然る後に之を俟つに刑を以てすれば、則ち民罪を知る。故に一人を刑して天下服す。罪人其の上を尤めず、罪の己に在るを知ればなり。是の故に刑罰省きて威行はるること流るるが如し、他の故無し、其の道に由るが故なり。故に其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。古者帝堯の天下を治むるや、蓋し一人を殺し二人を刑して天下治まる。伝に曰く、「威厲しくして試みず、刑措きて用ひず」と。
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