倭忠経 / 兆人章第六・兆人章 足るを知り分を務める楽しみ
然るを人として。ひとりその役をのがれんや。その役といふは。さしあたれる家職なり。然るを我ひとりの安樂をのぞみ。或は人前の交を六かしくおもひ。あるひは主人の奉公。父母の養をかへり見ず。世間をのがれ。山林をこゝろざすは。是人と生れたる。もとをしらぬゆへなり。是等は。中人の不忠なり。猶もそれよりくらき人は。己が分より過分を好み。多欲あるゆへに。必家をやぶる。古語にも。禍はこれ多欲より起る。足事を知るより富るはなしとて。一切の惡事は是欲ふかきより促し發る。そのうへ。死生命あり。富貴天にありとて。生るゝと同じく。人の富貴は。定りたるものなるを。さま〲の才覺をまはし。俄に富貴を望て。却て愁を求め出す。然れば己が。生れ付たる所作を。わが分際のほどとおもひ。滿足してけだいなくつとむべし。貪る心よりおもへば。たとへば十を得ては。百をのぞみ。百を得ては又千を望。然れば足とをしらぬ人は。いづく迄も。あきたるとあるべからず。又分際を知り。その所作をつとむる時は。是に過たるたのしみなし。是庶人の忠なり。以上此章までには。人に上下の品をわかち。それ〱の忠を云へり。是より末に至りては。猶この六章の義を。ひろく說述たるものなり。そのしるす事。左のごとし。倭忠經上 終終
新字:然るを人として。ひとりその役をのがれんや。その役といふは。さしあたれる家職なり。然るを我ひとりの安楽をのぞみ。或は人前の交を六かしくおもひ。あるひは主人の奉公。父母の養をかへり見ず。世間をのがれ。山林をこゝろざすは。是人と生れたる。もとをしらぬゆへなり。是等は。中人の不忠なり。猶もそれよりくらき人は。己が分より過分を好み。多欲あるゆへに。必家をやぶる。古語にも。禍はこれ多欲より起る。足事を知るより富るはなしとて。一切の悪事は是欲ふかきより促し発る。そのうへ。死生命あり。富貴天にありとて。生るゝと同じく。人の富貴は。定りたるものなるを。さま〲の才覚をまはし。俄に富貴を望て。却て愁を求め出す。然れば己が。生れ付たる所作を。わが分際のほどとおもひ。満足してけだいなくつとむべし。貪る心よりおもへば。たとへば十を得ては。百をのぞみ。百を得ては又千を望。然れば足とをしらぬ人は。いづく迄も。あきたるとあるべからず。又分際を知り。その所作をつとむる時は。是に過たるたのしみなし。是庶人の忠なり。以上此章までには。人に上下の品をわかち。それ〱の忠を云へり。是より末に至りては。猶この六章の義を。ひろく説述たるものなり。そのしるす事。左のごとし。倭忠経上 終終
書き下し
然るを人として。ひとりその役をのがれんや。その役といふは。さしあたれる家職なり。然るを我ひとりの安樂をのぞみ。或は人前の交を六かしくおもひ。あるひは主人の奉公。父母の養をかへり見ず。世間をのがれ。山林をこゝろざすは。是人と生れたる。もとをしらぬゆへなり。是等は。中人の不忠なり。猶もそれよりくらき人は。己が分より過分を好み。多欲あるゆへに。必家をやぶる。古語にも。禍はこれ多欲より起る。足事を知るより富るはなしとて。一切の惡事は是欲ふかきより促し發る。そのうへ。死生命あり。富貴天にありとて。生るゝと同じく。人の富貴は。定りたるものなるを。さま〲の才覺をまはし。俄に富貴を望て。却て愁を求め出す。然れば己が。生れ付たる所作を。わが分際のほどとおもひ。滿足してけだいなくつとむべし。貪る心よりおもへば。たとへば十を得ては。百をのぞみ。百を得ては又千を望。然れば足とをしらぬ人は。いづく迄も。あきたるとあるべからず。又分際を知り。その所作をつとむる時は。是に過たるたのしみなし。是庶人の忠なり。以上此章までには。人に上下の品をわかち。それ〱の忠を云へり。是より末に至りては。猶この六章の義を。ひろく說述たるものなり。そのしるす事。左のごとし。倭忠經上 終終
現代語訳
それなのに人として、ひとりだけその役を逃れることができるでしょうか。その役というのは、さしあたっての家業です。それなのに自分ひとりの安楽を望み、あるいは人前の交際を面倒に思い、あるいは主人への奉公や父母の養いを顧みず、世間を逃れて山林を志すのは、人として生まれた元を知らないからです。これらは中の人の不忠です。さらにそれより暗い人は、自分の分より過分を好み、欲が多いので必ず家を破ります。古語にも「禍は多欲から起こる。足ることを知るより富むものはない」とあるように、一切の悪事は欲深いことから促され起こります。そのうえ、「死生は命あり、富貴は天にあり」というように、生まれると同じく、人の富貴は定まっているのに、さまざまな才覚を巡らして、にわかに富貴を望み、かえって愁いを求め出します。ですから自分が生まれついた仕事を、自分の分際のほどと思い、満足して怠りなく務めなさい。貪る心で思えば、たとえば十を得れば百を望み、百を得ればまた千を望みます。足ることを知らない人は、どこまでも飽きたということがありません。また分際を知り、その仕事を務めるときは、これに過ぎた楽しみはありません。これが庶人の忠です。以上この章までには、人に上下の品を分け、それぞれの忠を述べました。これより後は、さらにこの六章の意味を、広く説き述べたものです。その記すところは、次のとおりです。倭忠経上 終わり。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『倭忠経』・兆人章第六・兆人章 庶民の忠は分に応じた務め兆人章第六をよそ。天地の太平におさまるは。上君の德によつてなり。君の德明らかなれば。天地の氣も調て。或は飢饉。疫癘。大風。洪水なし。此ゆへに。春夏秋冬の氣順にして。ふく風枝をならさず。降雨。つちくれをながさず。時分相應の氣。をしうつるゆへに。耕作豐年にて。民飢寒の愁なく。上の掟を守り。家にしては父につかへ。弟は。兄に順。それ〱に道を守り。家職をつとめて。上の貢をそなふ。扨その家に生れて。己がせずしてかなはぬ道あり。先奉公をする人は。たとへ一僕の身たり共。晝夜をわかたず。主人につかへて。私なく身をおしまず。農は四時に。それ〱の土地を見はからひ。耕耘事を情に入。工は家の細工の。上手なるやうにと工夫しおこたらず。商は。賣買のみちをよく覺へ。父母を養ひ。妻子をはごくみ。外にしては上の法度を守り。年貢諸役を懈怠なく。分際相應の家をおさむるを。庶人の忠と云へり。己が分をわすれ。相應を越て。世間を僞驕て。家職をつとめざれば。己が所作のうときのみならず。却て禍をまねき。或は父母親類。あるひは。主人に難義をかけ。科におつるにおよんで。上の法度をうらむるは。民の罪にして。是を不忠と云へり。右に云へるごとく。天地もそれ〱の役あり。鳥獸も。分々の道をつとむ。
-
『倭忠経』・天地神明章第一・天地神明章 忠は金銀のごとく本心を求める忠はなをし。金銀のごとし。たとへば金銀といふものは。只今の間に。米穀にすべきとも。それ〱の器になさん共。田地屋敷に致さん共。我こゝろのまゝなるものなり。忠の一念を以て。諸事のみちの行るゝ事。猶かくのごとし。世人金銀をば貴で求れ共。此忠をば貴ずしてもとめず。思はざるの甚しきなり。退て愚意を以て考おもふに。大凡人間と。生れたらんものは。その生れ付たる誠を行べき人たるに。私欲利欲にまよひ。却て。禽獸と同じ働なる人。世間に多し。されば善惡を知らぬ人なれば。すべき事なし。幸明らかなる心を。天よりあたへ置たれば。善事をなせば。恥事なく。惡事をすれば。身の恥辱なる事を知りながら。我をあざむき。他人を僞り。目前の利欲にまよひ。たま〱生れ付たる本心を。千里の外にとりはなして。尋ねもとめず。わづかの器だにも。失ひぬればたづねもとむ。しかるに本たる心をば。たづねもとむる事を知らず。おろかなるかな。淺猿かな。さていかにして。本心を求べきとならば。他に問に及ばず。そのよきを善とおもふ心をとり立。利欲の念をおひしりぞけ。君につかへて忠を盡し。親につかへて孝をなせば。是則心を尋ね出せる也。しからば誰をかおそるべき。闇に惡事をなし置て。是を人の知らん事を恐。東西にはしり。南北にかけりて。一生心を安ぜぬは。我とわが身を。くるしめたるものなり。右のごとく善惡の二つを。わが心に問たづねて。一善なりともおこなひもてゆかば。おのづから心の穢も消うせ。全人となるべき事。明らかなる理なり。此首章には。上下の人をかねて。忠の綱領を。いへるなり。
-
『倭忠経』・保孝行章第十・忠孝の報いと偽りの人が受ける苦しみ同じ類にあたへて。なべて孝を衆人にすゝむるを至孝とは云へるなり。夫天は。善に福し。惡に禍する理なれば。忠孝を行人は。必富さかふべき事。是常なり。爰に凡人の。まよへる事あり。世間の人の中に。忠孝を行ひて。手前貧賤にて。困窮の人あり。是は理の變と云ものなり。たとへば。冬は寒く。夏は熱が常なれども。たま〱冬もあつく。夏も寒き事あり。然れ共。熱を冬の物とし。寒きを夏の物とはなし難。かくのごとくに。千に一の變をとりて。九百九十九の常をうたがふは。おろかなる人の事なり。忠孝の人。かならず福のいたるべき事。眼前の理なり。そのうへ。忠孝の心ある人は。他人も是を感じ。我心におひても。たれはづかしからず。心によこしまの念なければ。常住氣遣しき事なくして。その一心の樂しみ。何事かこれにまさらん。愚人はこのたのしみを知らず。外にはつねを守やうに見せて。內心には。さま〱巧あれば。あそこの僞。こゝのもとめに。一生を送り。そのいつはりを。人の知らん事をうれへて。一睡のねざめ。一飯の間も。心の安樂なる事なし。是たれがなすわざぞや。我と我身を。くるしめたるものなり。猶も此念やまざれば。天のとがめありて。其身も亡び。剩わざはひ。父母一類にをよぶ。不忠の不孝に至る事。明らかなることはりなり。
-
『倭忠経』・守宰章第五・守宰章 民を虐げず仁義を教える民にからき法度號令を下さず。上の役に。つかふべき時にあたりてつかふ時にも。ずいぶん憐愍の心を以て。安樂ならしむるやうにつかふべし。第二には人富をこのまずと云事なし。然れば上の人。それをなしはかりて。年貢をかろく。諸役をうすくとる時は。民こと〲く望を得て。君の繁昌をあふぐなり。然るに民を虐は。上たる人の奢より發る。凡國郡を上よりたまふは。時の幸或は先祖の功を以。わづか預る所なり。然れば上の御下知を守り。國のたいらかなるやうにと治るは。國守たる人の第一の忠なり。しかるに。道に志なき人は。そのまゝ國を我物とし。あくまで淫酒をこのみ。かぎりある財寶を以て。かぎりなき驕に費時は。かならず民の物を貪下をいためざれば。手前の用要たる事なし。然るゆへに。さま〲の法度を立。諸役をからく。民の物をしめとり。身の爲には寶をおしまず。綾羅を身にまとひ。食に八珍をつらね。金玉をちりばめたる。殿閣に起臥。いはれざる邪なる業には少も多少の考なく。泥砂のごとく金銀をついやす。是みな民の膏なり。しかれば上の驕をやめ。民の妻子を。やすくはごくむ。工夫あるべし。扨そのごとく上君正くして。下々飢ず寒からぬうへに。道をしらねば。禽獸同前なれば。一郡一鄕の役人代官に。道しれる人をゑらみ。民に仁義の道をおしゆる時は。下々親に孝を盡し。君につかへ忠を行ひ。兄弟睦じく。朋友たがひに信を以て交り。不孝。不忠。不信の者をば。
-
『倭忠経』・盡忠章第十八・忠の極みは広く行き渡り天下を治める盡忠章第十八臣たる者。忠の至極を行ひ盡せば。一人のみならず。人〻見ならひ。一天下に。ひろく忠のみちおこなはれて。いかなる匹夫のたぐひまで。忠を行ずと云事なし。かくのごとくなる時は。則天下無事にして。政やすらかに行はる。扨才能有て。官位かね備る人の忠は。君の爲。隨分心をつくし。國家の太平をまねく。下〻の忠は。上の爲に力をつくし。一命をも君に奉り。身をおしまぬを忠といふ。是は我身ひとつの忠なり。官位備る人の忠は。一家。一國。一天下へ。忠を行ひ廣るゆへ。その忠大ひに行はる。かるがゆへに。明君の國を治るには。第一賢なる者を。見しり聞出して。國の政を。その賢者に任にあり。扨賢者は。眞實の忠を盡ゆへ。君の德ひろく天下にあまねし。いかにして。かくのごとく。施とほくひろきぞと云に。民に敎ほどこす道。すこしも私なく。實を以て號令を定。まづ人たる者。生れ付て。親を愛する念あれば。それにもとづき。
-
『倭忠経』・盡忠章第十八・民の望みに添い、礼をもって国を和す孝行を行へと云ひ。民もと利を好めば。其心をはかりて。利あるやうにと施し。少も民の望に。さかはぬやうに。政を布施し。扨その上に。禮法を以て。上下の差別。人〻の心の和睦する。道ををしゆ。かくのごとくなるうちに。もし大勢の中に。惡人あれば。やむ事をゑず。その者を刑罰し。少も罪のかろき者を。ころす事なし。然れば人〻。をのれと不善をはぢて。殺す人をうらみず。猶も仁道の。民を子のごとく。愛する惠を。普く一國にひろむ。故にその君恩を。蒙る所の國〻。此君。萬〻歲と唱て。人のなつき親事。父母に仰つかふるが如し。然れば此誠。天神地祇に感通ありて。諸の福打つゞき。天下たいらかならん事。掌を返が如し。尤人〻よろこびて。或は詩に作り。或は歌にうたひて。萬代の後まで。德をかゞやかす。大臣の忠。いづれか是にしく事あらんや。此書天子へ奏覽するゆへ。天下を祝し。萬〻歲の長久を。終の章に。かさとめ畢。倭忠經下 終

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る