導師導古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

倭忠経 / 南部立庵傳・編者南部立庵の経歴と著作

倭忠經南部立庵著南部立庵傳立菴、名は帥壽、字は子壽、南部氏、立菴は其號なり、又陸沈軒と號す、山城の人、京師に講說し、學博く、行脩まり、醇儒を以て後進に山斗たり、後長崎に遊ぶ、延寶四年始めて文廟を立山に建て、帥壽を擧げて祭酒となし、立てゝ塾師となす、弟子日に盛に、居ること八年、職を辭して京に歸る、越の菅侯徵して以て講讀を掌らしむ、人となり俊爽にして經濟に精しく、典故に通ず、元祿年中歿す、著はす所「大和忠經」「職原抄支流」一等あり、義子南山嗣ぐ、今本書に井上哲次郎所藏の「大和忠經」を收載す、

新字:倭忠経南部立庵著南部立庵伝立菴、名は帥寿、字は子寿、南部氏、立菴は其号なり、又陸沈軒と号す、山城の人、京師に講説し、学博く、行脩まり、醇儒を以て後進に山斗たり、後長崎に遊ぶ、延宝四年始めて文廟を立山に建て、帥寿を挙げて祭酒となし、立てゝ塾師となす、弟子日に盛に、居ること八年、職を辞して京に帰る、越の菅侯徴して以て講読を掌らしむ、人となり俊爽にして経済に精しく、典故に通ず、元禄年中歿す、著はす所「大和忠経」「職原抄支流」一等あり、義子南山嗣ぐ、今本書に井上哲次郎所蔵の「大和忠経」を収載す、

書き下し

倭忠經南部立庵著南部立庵傳立菴、名は帥壽、字は子壽、南部氏、立菴は其號なり、又陸沈軒と號す、山城の人、京師に講說し、學博く、行脩まり、醇儒を以て後進に山斗たり、後長崎に遊ぶ、延寶四年始めて文廟を立山に建て、帥壽を擧げて祭酒となし、立てゝ塾師となす、弟子日に盛に、居ること八年、職を辭して京に歸る、越の菅侯徵して以て講讀を掌らしむ、人となり俊爽にして經濟に精しく、典故に通ず、元祿年中歿す、著はす所「大和忠經」「職原抄支流」一等あり、義子南山嗣ぐ、今本書に井上哲次郎所藏の「大和忠經」を收載す、

現代語訳

立菴は名を帥壽、字を子壽といい、南部氏の人で、立菴はその号です。また陸沈軒とも号しました。山城(いまの京都府南部)の人で、京の都で講義をし、学問が広く、行いも修まっており、純粋な儒者として後進から泰山北斗のように仰がれました。のちに長崎に遊び、延宝四年(1676年)、はじめて孔子廟を立山に建てると、帥壽は推挙されて祭酒(学校の長)となり、塾師(塾の先生)に立てられました。弟子は日ごとに増え、八年とどまったのち、職を辞して京に帰りました。越(越前)の菅侯が招いて、講義と読書の役を任せました。人柄は才気にすぐれて爽やかで、政治経済に詳しく、故事や先例にも通じていました。元禄年間に亡くなりました。著書に『大和忠経』『職原抄支流』などがあります。養子の南山が跡を継ぎました。今この叢書の本書には、井上哲次郎が所蔵する『大和忠経』を収めています。

解説

編者である南部立庵の経歴を記した伝記です。学識と人柄で人望を集め、長崎で孔子廟の学校を任され、のちに藩主に招かれて講義を担った人物と分かります。書かれているのは派手な功績より、学びを重ね、場が変わっても役目を果たした歩みです。管理職にとっても、肩書より専門性と誠実な行いが信頼の土台になることを示しています。著者の経歴を知ってから読むと、忠という言葉が実務家の言葉として響いてきます。まず書き手がどんな立場で語るのかを押さえてから本文に入る姿勢は、現代の資料読みにも通じます。

この章句が説くこと

倭忠経南部立庵長崎孔子廟講義学問

関連する章句

『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る
本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る