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うひ山ぶみ / 注[ノ]又後世風をもすてずして

おのづからの勢ヒにて、後世の哥に至りては、實情をよめるは、百にッも有がたく、皆作りことになれる也、然はあれども、その作れるは、何事を作れるぞといへば、その作りざまこそ、世世にかはれることあれ、みな世の人の思ふ心のさまを作りいへるなれば、作り事とはいへども、落るところはみな、人の實情のさまにあらずといふことなく、古ヘの雅情にあらずといふことなし、さればひたすらに後世風をきらふは、その世々に變じたるところをのみ見て、變ぜぬところのあることをばしらざる也、後世の哥といへども、上代と全く同じきところあることを思ふべし、猶いはば、今の世の人にして、万葉の古風をよむも、己が實情にはあはず、万葉をまねびたる作り事也、もしおのが今思ふ實情のまゝによむをよしとせば、今の人は、今の世俗のうたふやうなる哥をこそよむべけれ、古ヘ人のさまをまねぶべきにはあらず、万葉をまねぶも、既に作り事なるうへは、後世に題をまうけて、意を作りよむも、いかでかあしからん、よき哥をよまんとするには、

新字:おのづからの勢ヒにて、後世の歌に至りては、実情をよめるは、百にッも有がたく、皆作りことになれる也、然はあれども、その作れるは、何事を作れるぞといへば、その作りざまこそ、世世にかはれることあれ、みな世の人の思ふ心のさまを作りいへるなれば、作り事とはいへども、落るところはみな、人の実情のさまにあらずといふことなく、古ヘの雅情にあらずといふことなし、さればひたすらに後世風をきらふは、その世々に変じたるところをのみ見て、変ぜぬところのあることをばしらざる也、後世の歌といへども、上代と全く同じきところあることを思ふべし、猶いはば、今の世の人にして、万葉の古風をよむも、己が実情にはあはず、万葉をまねびたる作り事也、もしおのが今思ふ実情のまゝによむをよしとせば、今の人は、今の世俗のうたふやうなる歌をこそよむべけれ、古ヘ人のさまをまねぶべきにはあらず、万葉をまねぶも、既に作り事なるうへは、後世に題をまうけて、意を作りよむも、いかでかあしからん、よき歌をよまんとするには、

書き下し

おのづからの勢ヒにて、後世の歌に至りては、実情をよめるは、百に一ツも有がたく、皆作りことになれる也、然はあれども、その作れるは、何事を作れるぞといへば、その作りざまこそ、世世にかはれることあれ、みな世の人の思ふ心のさまを作りいへるなれば、作り事とはいへども、落るところはみな、人の実情のさまにあらずといふことなく、古ヘの雅情にあらずといふことなし、さればひたすらに後世風をきらふは、その世々に変じたるところをのみ見て、変ぜぬところのあることをばしらざる也、後世の歌といへども、上代と全く同じきところあることを思ふべし、猶いはば、今の世の人にして、万葉の古風をよむも、己が実情にはあはず、万葉をまねびたる作り事也、もしおのが今思ふ実情のまゝによむをよしとせば、今の人は、今の世俗のうたふやうなる歌をこそよむべけれ、古ヘ人のさまをまねぶべきにはあらず、万葉をまねぶも、既に作り事なるうへは、後世に題をまうけて、意を作りよむも、いかでかあしからん、よき歌をよまんとするには、

現代語訳

自然の成り行きであって、後世の歌に至っては、実情を詠んだものは百に一つもなく、みな作りごとになっているのである。そうではあるが、その作っているのは何を作っているのかといえば、その作り方こそ時代時代で変わっているが、みな世の人の思う心の様子を作って言っているのだから、作りごととはいっても、行き着くところはみな人の実情の様子でないということはなく、古の雅な情でないということはない。だから、ひたすら後世風を嫌うのは、その時代時代に変わったところばかりを見て、変わらないところがあることを知らないのである。後世の歌といっても、上代とまったく同じところがあることを思うべきである。さらに言えば、今の世の人が万葉の古風を詠むのも、自分の実情には合っておらず、万葉をまねた作りごとである。もし自分が今思う実情のままに詠むのを良しとするなら、今の人は、今の世俗が歌うような歌をこそ詠むべきであって、古人の様子をまねるべきではない。万葉をまねるのもすでに作りごとである以上、後世に題を設けて意を作って詠むのも、どうして悪いことがあろうか。良い歌を詠もうとするには、

解説

ここは宣長の反論の核心である。後世の歌がほとんど作りごとであることを、彼はあっさり認める。しかし作られているのは結局、人が思う心の様子であり、その落ち着くところは人の実情であり古の雅情だという。変わった表面だけを見て、変わらない本質を見ないのが後世風嫌いの誤りだとする。さらに鋭いのは、今の人が万葉風を詠むこと自体が、万葉をまねた作りごとだという指摘である。実情のままを良しとするなら、今の世俗の歌を詠むべきことになってしまう。古風家の論理をそのまま押し進めて自己矛盾を示すこの論法は、論敵の前提に立って考え抜く宣長らしいものである。本物らしさを求めてあなたが選んだ型も、実は別の誰かの型をまねたものではないだろうか。

この章句が説くこと

実情作りごと後世風雅情歌論

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