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うひ山ぶみ / 注[ノ]又後世風をもすてずして

にて、哥の本意にそむけり、とやうにいふこれ也、まことに一わたりのことわりは、さることのやうなれども、これくはしきさまをわきまへざる論也、其故は、上にいへる如く、哥は、おもふまゝに、たゞにいひ出る物にはあらず、かならず言にあやをなして、とゝのへいふ道にして、神代よりさる事にて、そのよく出來てめでたきに、人も神も感じ給ふわざなるがゆゑに、既に萬葉にのれるころの哥とても、多くはよき哥をよまむと、求めかざりてよめる物にして、實情のまゝのみにはあらず、上代の哥にも、枕詞序詞などのあるを以てもさとるべし、枕詞や序などは、心に思ふことにはあらず、詞のあやをなさん料に、まうけたる物なるをや、もとより哥は、おもふ心をいひのべて、人に聞カれて、聞ク人のあはれと感ずるによりて、わが思ふ心は、こよなくはるくることなれば、人の聞クところを思ふも、哥の本意也、されば世のうつりもてゆくにしたがひて、いよいよ詞にあやをなし、よくよまむともとめたくむかた、次第次第に長じゆくは、必ズ然らではかなはぬ、

新字:にて、歌の本意にそむけり、とやうにいふこれ也、まことに一わたりのことわりは、さることのやうなれども、これくはしきさまをわきまへざる論也、其故は、上にいへる如く、歌は、おもふまゝに、たゞにいひ出る物にはあらず、かならず言にあやをなして、とゝのへいふ道にして、神代よりさる事にて、そのよく出来てめでたきに、人も神も感じ給ふわざなるがゆゑに、既に万葉にのれるころの歌とても、多くはよき歌をよまむと、求めかざりてよめる物にして、実情のまゝのみにはあらず、上代の歌にも、枕詞序詞などのあるを以てもさとるべし、枕詞や序などは、心に思ふことにはあらず、詞のあやをなさん料に、まうけたる物なるをや、もとより歌は、おもふ心をいひのべて、人に聞カれて、聞ク人のあはれと感ずるによりて、わが思ふ心は、こよなくはるくることなれば、人の聞クところを思ふも、歌の本意也、されば世のうつりもてゆくにしたがひて、いよいよ詞にあやをなし、よくよまむともとめたくむかた、次第次第に長じゆくは、必ズ然らではかなはぬ、

書き下し

にて、歌の本意にそむけり、とやうにいふこれ也、まことに一わたりのことわりは、さることのやうなれども、これくはしきさまをわきまへざる論也、其故は、上にいへる如く、歌は、おもふまゝに、たゞにいひ出る物にはあらず、かならず言にあやをなして、とゝのへいふ道にして、神代よりさる事にて、そのよく出来てめでたきに、人も神も感じ給ふわざなるがゆゑに、既に万葉にのれるころの歌とても、多くはよき歌をよまむと、求めかざりてよめる物にして、実情のまゝのみにはあらず、上代の歌にも、枕詞序詞などのあるを以てもさとるべし、枕詞や序などは、心に思ふことにはあらず、詞のあやをなさん料に、まうけたる物なるをや、もとより歌は、おもふ心をいひのべて、人に聞カれて、聞ク人のあはれと感ずるによりて、わが思ふ心は、こよなくはるくることなれば、人の聞クところを思ふも、歌の本意也、されば世のうつりもてゆくにしたがひて、いよいよ詞にあやをなし、よくよまむともとめたくむかた、次第次第に長じゆくは、必ズ然らではかなはぬ、

現代語訳

であって、歌の本意に背いている、というように言うのがこれである。まことに、ひととおりの理屈としてはもっともなことのようであるが、これは詳しい様子をわきまえない論である。そのわけは、上に述べたように、歌は思うままにただ言い出すものではなく、必ず言葉に彩りをなして整えて言う道であって、神代からそういうものであり、それがよくできてすばらしいものに人も神も感じなさるわざであるから、すでに『万葉集』に載っている頃の歌であっても、多くは良い歌を詠もうと求め飾って詠んだものであって、実情のままばかりではない。上代の歌にも枕詞・序詞などがあることによっても悟るべきである。枕詞や序などは、心に思うことではなく、詞の彩りをなすための材料として設けたものではないか。もとより歌は、思う心を言い述べて、人に聞かせ、聞く人がしみじみと感じることによって、自分の思う心がこの上なく晴れることなのだから、人が聞くところを思うのも歌の本意である。だから世が移ってゆくにしたがって、いよいよ詞に彩りをなし、上手に詠もうと求め工夫する方向が次第次第に伸びてゆくのは、必ずそうならずにはいられない、

解説

前の単位で古風家の言い分を書き出した宣長は、ここから反論に入る。歌は思うままを言い出すものではなく、言葉に「あや」をなして整える道だという、注[ム]で示した定義がここで効いてくる。その証拠として宣長は枕詞と序詞を挙げる。これらは心に思うことではなく、言葉の彩りのために設けたものだから、万葉の歌もすでに実情だけで成り立ってはいない。さらに、歌は聞く人が感じ入ることで詠み手の思いが晴れるものだから、聞き手を意識するのも歌の本意だとする。表現を他者に届ける営みと見るこの考えは、宣長の「もののあはれ」の論とも響き合う。自分の気持ちを伝えるとき、相手にどう聞こえるかを考えることは、偽りだろうか。

この章句が説くこと

枕詞序詞あや歌の本意聞き手

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