韓非子 / 外儲說左上第三十二
齊有居士田仲者,宋人屈穀見之,曰:「穀聞先王之義,不恃仰人而食。今穀有巨瓠,堅如石,厚而無竅,献之。」仲曰:「夫瓠所貴者,謂其可以盛也。今厚而無竅,則不可剖以盛物;而任重如堅石,則不可以剖而以斟。吾無以瓠爲也。」曰:「然,穀將弃之。」今田仲不恃仰人而食,亦無益人之國,亦堅瓠之類也。虞慶爲屋,謂匠人曰:「屋太尊。」匠人對曰:「此新屋也,塗濡而椽生。」虞慶曰:「不然。夫濡塗重而生椽撓,以橈椽任重塗,此宜卑。更日久,則塗乾而椽燥。塗乾則輕,椽燥則直,以直椽任輕塗,此益尊。」匠人詘,爲之而屋壞。一曰:虞慶將爲屋,匠人曰:「材生而塗濡。夫材生則撓,塗濡則重,以撓任重,今雖成,久必壞。」虞慶曰:「材乾則直,塗乾則輕。今誠得乾,日以輕直,雖久,必不壞。」匠人詘,作之成,有間,屋果壞。范且曰:「弓之折,必於其盡也,不於其始也。夫工人張弓也,伏檠三旬而蹈弦,一日犯機,是節之其始而暴之其盡也,焉得無折?且張弓不然:伏檠一日而蹈弦,三旬而犯機,是暴之其始而節之其盡也。」工人窮也,爲之,弓折。范且、虞慶之言,皆文辯辭勝而反事之情。人主說而不禁,此所以敗也。
新字:斉有居士田仲者,宋人屈穀見之,曰:「穀聞先王之義,不恃仰人而食。今穀有巨瓠,堅如石,厚而無竅,献之。」仲曰:「夫瓠所貴者,謂其可以盛也。今厚而無竅,則不可剖以盛物;而任重如堅石,則不可以剖而以斟。吾無以瓠為也。」曰:「然,穀将弃之。」今田仲不恃仰人而食,亦無益人之国,亦堅瓠之類也。虞慶為屋,謂匠人曰:「屋太尊。」匠人対曰:「此新屋也,塗濡而椽生。」虞慶曰:「不然。夫濡塗重而生椽撓,以橈椽任重塗,此宜卑。更日久,則塗乾而椽燥。塗乾則軽,椽燥則直,以直椽任軽塗,此益尊。」匠人詘,為之而屋壊。一曰:虞慶将為屋,匠人曰:「材生而塗濡。夫材生則撓,塗濡則重,以撓任重,今雖成,久必壊。」虞慶曰:「材乾則直,塗乾則軽。今誠得乾,日以軽直,雖久,必不壊。」匠人詘,作之成,有間,屋果壊。范且曰:「弓之折,必於其尽也,不於其始也。夫工人張弓也,伏檠三旬而蹈弦,一日犯機,是節之其始而暴之其尽也,焉得無折?且張弓不然:伏檠一日而蹈弦,三旬而犯機,是暴之其始而節之其尽也。」工人窮也,為之,弓折。范且、虞慶之言,皆文弁辞勝而反事之情。人主説而不禁,此所以敗也。
書き下し
斉に居士田仲なる者有り、宋人屈穀之に見えて曰く、「穀聞く先王の義は、人を恃仰して食はずと。今穀に巨瓠有り、堅きこと石の如く、厚くして竅無し、之を献ぜん。」仲曰く、「夫れ瓠の貴ぶ所は、其の以て盛るべきを謂ふなり。今厚くして竅無ければ、則ち剖きて以て物を盛るべからず。而して任重きこと堅石の如ければ、則ち以て剖きて以て斟むべからず。吾以て瓠を為すこと無きなり。」曰く、「然り、穀将に之を棄てんとす。」今田仲人を恃仰して食はず、亦人の国に益無し、亦堅瓠の類なり。虞慶屋を為る、匠人に謂ひて曰く、「屋太だ尊し。」匠人対へて曰く、「此れ新屋なり、塗濡れて椽生なり。」虞慶曰く、「然らず。夫れ濡塗は重くして生椽は撓む、撓椽を以て重塗に任ず、此れ宜しく卑かるべし。更に日久しければ、則ち塗乾きて椽燥く。塗乾けば則ち軽く、椽燥けば則ち直し、直椽を以て軽塗に任ず、此れ益ます尊からん。」匠人詘し、之を為りて屋壊る。一に曰く、虞慶将に屋を為らんとす、匠人曰く、「材生にして塗濡る。夫れ材生なれば則ち撓み、塗濡るれば則ち重し、撓を以て重に任ず、今成ると雖も、久しくして必ず壊れん。」虞慶曰く、「材乾けば則ち直く、塗乾けば則ち軽し。今誠に乾くを得ば、日に以て軽直ならん、久しと雖も、必ず壊れず。」匠人詘し、之を作りて成る、間有りて、屋果して壊る。范且曰く、「弓の折るるは、必ず其の尽くるに於てし、其の始めに於てせざるなり。夫れ工人の弓を張るや、檠に伏すること三旬にして弦を蹈み、一日にして機を犯す、是れ之を其の始めに節して之を其の尽くるに暴するなり、焉んぞ折るること無きを得ん。且つ弓を張ること然らず、檠に伏すること一日にして弦を蹈み、三旬にして機を犯す、是れ之を其の始めに暴して之を其の尽くるに節するなり。」工人窮し、之を為りて、弓折る。范且・虞慶の言は、皆文弁辞勝りて事の情に反す。人主説びて禁ぜず、此れ敗るる所以なり。
現代語訳
斉に田仲という仕官しない隠者がいた。宋の人の屈穀が彼に会って言った。「私の聞くところでは、先王の道義とは、人に頼って食べないことだそうです。今、私のところに大きな瓢箪があります。石のように堅く、厚くて穴がありません。これを差し上げましょう。」田仲は言った。「そもそも瓢箪が貴ばれるのは、物を入れられるからだ。厚くて穴がなければ、割って物を入れることはできない。石のように重く堅ければ、割って柄杓にすることもできない。私にはそんな瓢箪は使い道がない。」屈穀は言った。「そうでしょう。私もこれを捨てようと思います。」今、田仲は人に頼らずに食べてはいるが、国の役にも立っていない。これも堅い瓢箪の同類である。虞慶が家を建てるとき、大工に言った。「屋根が高すぎる。」大工は答えた。「これは新しい家です。壁土は湿っていて、垂木は生木です。」虞慶は言った。「そうではない。湿った壁土は重く、生木の垂木はたわむ。たわむ垂木で重い土を支えるのだから、今は低くなるはずだ。日がたてば土は乾き垂木も乾く。土が乾けば軽くなり、垂木が乾けばまっすぐになる。まっすぐな垂木で軽い土を支えるのだから、ますます高くなるだろう。」大工は言い負かされ、そのとおりに建てると家は崩れた。別の伝えでは、こうである。虞慶が家を建てようとすると、大工が言った。「材木は生木で、壁土は湿っています。生木はたわみ、湿った土は重い。たわむもので重いものを支えれば、今は建っても、いずれ必ず崩れます。」虞慶は言った。「材木が乾けばまっすぐになり、土が乾けば軽くなる。本当に乾くなら、日ごとに軽くまっすぐになるのだから、長くたっても決して崩れない。」大工は言い負かされ、建てて完成させたが、しばらくすると家は案の定崩れた。范且は言った。「弓が折れるのは、必ず仕上げの段階であって、始めの段階ではない。職人が弓を張るとき、弓を矯め木に三十日かけておいてから弦を張り、たった一日で矢を放つ仕掛けにかける。これは始めを慎重にして終わりを乱暴にするのだから、折れないはずがない。私のやり方はそうではない。矯め木に一日かけて弦を張り、三十日かけて仕掛けにかける。これは始めを手早くして終わりを慎重にするのだ。」職人は言い詰められ、そのとおりに作ると弓は折れた。范且や虞慶の言葉は、どれも文辞の弁が勝っているだけで、事の実情に反している。君主がこうした言葉を喜んで禁じないことが、失敗の原因なのである。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲說左上第三十二夫れ治強の功を謀らずして、弁説文麗の声に艶するは、是れ有術の士を却けて壊屋・折弓に任ずるなり。故に人主の国事に於けるや、皆工匠の屋を搆へ弓を張るに達せざるなり。然れども士范且・虞慶に窮する者は、虚辞を為せば、其の用無くして勝ち、実事は、其の易ふる無くして窮すればなり。人主無用の弁を多とし、易ふる無きの言を少なしとす、此れ乱るる所以なり。今世の范且・虞慶為る者輟まず、而して人主之を説ぶこと止まず、是れ敗折の類を貴びて知術の人を以て工匠と為すなり。工匠其の技巧を施すことを得ず、故に屋壊れ弓折る。治を知るの人其の方術を行ふことを得ず、故に国乱れて主危し。夫れ嬰児相与に戯るるや、塵を以て飯と為し、塗を以て羹と為し、木を以て胾と為す、然れども日晩に至れば必ず帰りて饟する者は、塵飯塗羹は以て戯るべくして食ふべからざればなり。夫れ上古の伝頌を称し、弁にして愨ならず、先王の仁義を道ひて国を正すこと能はざる者は、此れ亦以て戯るべくして以て治と為すべからざるなり。夫れ仁義を慕ひて弱乱する者は、三晋なり。慕はずして治強なる者は、秦なり、然れども未だ帝たらざる者は、治未だ畢らざればなり。三。人嬰児為るや、父母之を養ふこと簡なれば、子長じて怨む。
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『韓非子』外儲說左上第三十二故に之を虚辞に籍れば、則ち能く一国に勝つ。実を考へ形を按ずれば、一人を謾くこと能はず。夫れ新たに砥礪せる殺矢、弩を彀きて射れば、冥くして妄りに発すと雖も、其の端未だ嘗て秋毫に中らずんばあらざるなり、然れども能く其の処を復する莫し、善射と謂ふべからず、常の儀的無ければなり。五寸の的を設け、十歩の遠きに引けば、羿・逢蒙に非ざれば必ず全くすること能はざる者は、常の儀的有ればなり。度有れば難く度無ければ易きなり。常の儀的有れば、則ち羿・逢蒙も五寸を以て巧と為す。常の儀的無ければ、則ち妄りに発して秋毫に中るを以て拙と為す。故に度無くして之に応ずれば、則ち弁士繁く説く。度を設けて之を持すれば、知者と雖も猶ほ失を畏るるなり、敢て妄言せず。今人主説を聴くに、之に応ずるに度を以てせずして其の弁を説び、度るに功を以てせず、其の行を誉めて関に入れず。此れ人主の長く欺かるる所以にして、説く者の長く養はるる所以なり。客に燕王に不死の道を為すを教ふる者有り、王人をして之を学ばしむ、学ばしむる所の者未だ学ぶに及ばずして客死す。王大いに怒り、之を誅す。王客の己を欺くを知らずして、学ぶ者の晩きを誅するなり。夫れ然らざるの物を信じて無罪の臣を誅するは、察せざるの患なり。且つ人の急とする所は其の身に如くは無し、自ら其をして死無からしむること能はず、安んぞ能く王をして長生せしめんや。鄭人に相与に年を争ふ者有り。一人曰く、「吾堯と年を同じくす。」其の一人曰く、「我黄帝の兄と年を同じくす。」此を訟へて決せず、後に息む者を以て勝と為すのみ。客に周君の為に筴に画く者有り、三年にして成る。君之を観るに、髹筴の者と状を同じくす。周君大いに怒る。筴に画く者曰く、「十版の牆を築き、八尺の牖を鑿ち、而して日の始めて出づる時を以て之を其の上に加へて観よ。」周君之を為す、其の状を望見すれば、尽く龍蛇禽獣車馬を成し、万物の状備具す。周君大いに悦ぶ。此の筴の功微難ならざるに非ず、然れども其の用は素髹の筴と同じ。客に斉王の為に画く者有り、斉王問ひて曰く、「画くこと孰か最も難き者ぞ。」
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『韓非子』說林下二十三恵子曰く、「羿、決を執り扞を持し、弓を操り機を関けば、越人も争ひて為に的を持つ。弱子弓を扜けば、慈母も室に入りて戸を閉づ」と。故に曰く、「必とすべくんば、則ち越人も羿を疑はず。必とすべからずんば、則ち慈母も弱子を逃る」と。桓公、管仲に問ふ、「富に涯有るか」と。答へて曰く、「水の涯を以てするは、其の水無き者なり。富の涯を以てするは、其の富已に足る者なり。人自ら足るに止まること能はずして、其の富の涯を亡ふか」と。宋の富賈に監止子なる者有り、人と百金の璞玉を争ひ買ふ。因りて佯りて失ひて之を毀ち、其の百金を負ひて、其の毀瑕を理め、千溢を得たり。事には之を挙げて敗有るも、其の之を挙ぐること毋きに賢る者有り、之を負ふの時なり。御を以て荊王に見えんと欲する者有り、衆騶之を妬む。因りて曰く、「臣能く鹿を撽つ」と。王に見ゆ。王、御を為して鹿に及ばず、自ら御して之に及ぶ。王其の御を善しとし、乃ち衆騶の之を妬むを言ふ。荊、公子をして将として陳を伐たしむ。丈人之を送りて曰く、「晋は彊し、慎まざるべからざるなり」と。公子曰く、「丈人奚ぞ憂へん。吾丈人の為に晋を破らん」と。丈人曰く、「可なり。吾方に陳の南門の外に廬せん」と。公子曰く、「是れ何ぞや」と。曰く、「我は勾践を笑ふなり。人の為すこと是の如く其れ易きに、己独り何為れぞ密密として十年難めるや」と。堯、天下を以て許由に譲る。許由之を逃れ、家人に舎る。家人其の皮冠を蔵す。夫れ天下を棄つるに、家人其の皮冠を蔵するは、是れ許由を知らざる者なり。三虱相与に訟ふ。一虱之に過りて曰く、「訟ふる者奚をか説く」と。三虱曰く、「肥饒の地を争ふ」と。一虱曰く、「若も亦臘の至りて茅の燥くを患へざるのみ。若又奚ぞ是を患へん」と。乃ち相与に聚まりて其の母を嘬ひて之を食ふ。彘臞せて、人乃ち殺さず。虫に螝なる者有り、一身両口、食を争ひて相齕む。遂に相殺し、因りて自ら殺す。人臣の事を争ひて其の国を亡ぼす者は、皆螝の類なり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『淮南子』人間訓或いは辭に直くして事に害あらざる者あり、或いは耳に虧けて心に忤いて實に合う者あり。高陽魋 將に室を爲らんとし、匠人に問う。匠人 對えて曰く「未だ可ならざるなり。木 尚お生なり。塗を其の上に加うれば、必ず將に撓まんとす。生材を以て重塗に任ぜば、今 成ると雖も、後 必ず敗れん」と。高陽魋曰く「然らず。夫れ木 枯るれば則ち益々勁く、塗 乾けば則ち益々輕し。勁材を以て輕塗に任ぜば、今 惡しと雖も、後 必ず善からん」と。匠人 辭に窮し、以て對うる無く、令を受けて室を爲る。其の始めて成るや、竘然として善きなり。而して後 果たして敗る。此れ所謂 辭に直くして用う可からざる者なり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五田連・成竅は、天下の善く琴を鼓する者なり、然り而して田連上を鼓し、成竅下を擑して曲を成す能はざるは、亦共にするが故なり。夫れ王良・造父の巧を以てするも、轡を共にして御すれば、馬を使ふ能はず、人主安んぞ能く其の臣と権を共にして以て治を為さん。田連・成竅の巧を以てするも、琴を共にすれば曲を成す能はず、人主又安んぞ能く其の臣と勢を共にして以て功を成さんや。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇馬服成す、駕を圃中に効す。渇馬圃池を見、車を去りて池に走る、駕敗る。王子於期趙簡主の為に道を取りて千里の表を争ふ、其の始めて発するや、彘溝中に伏す、王子於期轡筴を斉へて之を進む、彘溝中より突出す、馬驚きて駕敗る。司城子罕宋君に謂ひて曰く、「慶賞賜与は、民の喜ぶ所なり、君自ら之を行へ。殺戮誅罰は、民の悪む所なり、臣請ふ之に当たらん」と。宋君曰く、「諾」と。是に於て威今を出だし、大臣を誅するに、君「子罕に問へ」と曰ふなり。是に於て大臣之を畏れ、細民之に帰す。処ること期年、子罕宋君を殺して政を奪ふ。故に子罕出彘と為りて以て其の君の国を奪ふ。簡公上位に在り、罰重くして誅厳しく、賦斂を厚くして民を殺戮す。田成恒慈愛を設け、寛厚を明らかにす。簡公斉民を以て渇馬と為し、恩を以て民に加へず、而して田成恒仁厚を以て圃池と為すなり。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇を以て馬を服し、百日にして服成る。服成りて、駕を斉王に効さんことを請ふ、王曰く、「駕を圃中に効せ」と。造父車を駆りて圃に入る、馬圃池を見て走る、造父禁ずる能はず。造父渇を以て馬を服すること久し、今馬池を見て、駻して走る、造父と雖も治むる能はず。今簡公の法を以て其の衆を禁ずること久し、而して田成恒之を利す、是れ田成恒圃池を傾けて渇民に示すなり。