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うひ山ぶみ / 注[ノ]又後世風をもすてずして

よくこゝろみ、深く味ひしりて、然いふにはあらず、たゞ一わたりの理にまかせて、萬の事、古ヘはよし、後世はわろしと、定めおきて、おしこめてそらづもりにいふのみ也、又古と後世との哥の善悪を、世の治亂盛衰カに係ていふも、一わたりの理論にして、事實にはうときこと也、いと上代の哥のごとく、實情のまゝをよみいでばこそ、さることわりもあらめ、後世の哥は、みなつくりまうけてよむことなれば、たとひ治世の人なりとも、あしき風を學びてよまば、其哥あしかるべく、亂世の人にても、よき風をまなばば、其哥などかあしからん、又男ぶり女ぶりのさだも、緊要にあらず、つよき哥よわき哥の事は、別にくはしく論ぜり、大かた此古風と後世と、よしあしの論は、いといと大事にて、さらにたやすくはさだめがたき、子細どもあることなるを、古學のともがら、深きわきまへもなく、かろがろしくたやすげに、これをさだめいふは、甚ダみだりなること也、そもそも古風家の、後世の哥をわろしとするところは、まづ哥は、思ふこゝろをいひのぶるわざなるに、

新字:よくこゝろみ、深く味ひしりて、然いふにはあらず、たゞ一わたりの理にまかせて、万の事、古ヘはよし、後世はわろしと、定めおきて、おしこめてそらづもりにいふのみ也、又古と後世との歌の善悪を、世の治乱盛衰カに係ていふも、一わたりの理論にして、事実にはうときこと也、いと上代の歌のごとく、実情のまゝをよみいでばこそ、さることわりもあらめ、後世の歌は、みなつくりまうけてよむことなれば、たとひ治世の人なりとも、あしき風を学びてよまば、其歌あしかるべく、乱世の人にても、よき風をまなばば、其歌などかあしからん、又男ぶり女ぶりのさだも、緊要にあらず、つよき歌よわき歌の事は、別にくはしく論ぜり、大かた此古風と後世と、よしあしの論は、いといと大事にて、さらにたやすくはさだめがたき、子細どもあることなるを、古学のともがら、深きわきまへもなく、かろがろしくたやすげに、これをさだめいふは、甚ダみだりなること也、そもそも古風家の、後世の歌をわろしとするところは、まづ歌は、思ふこゝろをいひのぶるわざなるに、

書き下し

よくこゝろみ、深く味ひしりて、然いふにはあらず、たゞ一わたりの理にまかせて、万の事、古ヘはよし、後世はわろしと、定めおきて、おしこめてそらづもりにいふのみ也、又古と後世との歌の善悪を、世の治乱盛衰に係ていふも、一わたりの理論にして、事実にはうときこと也、いと上代の歌のごとく、実情のまゝをよみいでばこそ、さることわりもあらめ、後世の歌は、みなつくりまうけてよむことなれば、たとひ治世の人なりとも、あしき風を学びてよまば、其歌あしかるべく、乱世の人にても、よき風をまなばば、其歌などかあしからん、又男ぶり女ぶりのさだも、緊要にあらず、つよき歌よわき歌の事は、別にくはしく論ぜり、大かた此古風と後世と、よしあしの論は、いといと大事にて、さらにたやすくはさだめがたき、子細どもあることなるを、古学のともがら、深きわきまへもなく、かろがろしくたやすげに、これをさだめいふは、甚ダみだりなること也、そもそも古風家の、後世の歌をわろしとするところは、まづ歌は、思ふこゝろをいひのぶるわざなるに、

現代語訳

よく試み、深く味わい知ったうえでそう言うのではない。ただひととおりの理屈にまかせて、万事、古は良く後世は悪いと決めておいて、ひとまとめに当て推量で言うだけである。また古と後世の歌の善悪を、世の治乱盛衰に結びつけて言うのも、ひととおりの理論であって、事実には疎いことである。ごく上代の歌のように実情のままを詠み出すのであればこそ、そういう理屈もあろうが、後世の歌はみな作り設けて詠むものなので、たとえ治世の人であっても悪い風を学んで詠めばその歌は悪くなるはずであり、乱世の人でも良い風を学べば、その歌がどうして悪いことがあろうか。また男ぶり・女ぶりの議論も、肝要なことではない。強い歌・弱い歌のことは、別に詳しく論じた。おおよそこの古風と後世との良し悪しの論は、たいへん重大なことで、まったく簡単には定めがたい子細がいろいろあることなのに、古学の連中が深いわきまえもなく、軽々しくたやすげにこれを定めて言うのは、はなはだ乱れたことである。そもそも古風家が後世の歌を悪いとするところは、まず、歌は思う心を言い述べるわざであるのに、

解説

注[ノ]は本文の「又後世風をもすてずして」を詳しく説く長大な注で、ここがその本論の入口である。宣長は、万葉風の歌人が後世の歌を一方的に貶すのは、実際に詠み比べ味わった結果ではなく、「古は良く後世は悪い」という理屈を先に立てた当て推量だと批判する。歌の善悪を治世・乱世に結びつける説も、作り設けて詠む後世の歌には当てはまらない。男ぶり女ぶりの議論も肝要ではないとするのは、師の真淵が重んじた「ますらをぶり」の論とは距離を置くものと読める。師の教えを継ぎながら、事実に照らして師説とも違う判断をする宣長の姿勢がよく出ている。あなたの「昔は良かった」は、確かめた結論だろうか、先に置いた前提だろうか。

この章句が説くこと

後世風古風歌論治乱古学

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