うひ山ぶみ / 第四十六段
さて又哥には、古風後世風、世々のけぢめあることなるが、古學の輩は、古風をまづむねとよむべきことは、いふに及ばず、又後世風をも、棄ずしてならひよむべし、
新字:さて又歌には、古風後世風、世々のけぢめあることなるが、古学の輩は、古風をまづむねとよむべきことは、いふに及ばず、又後世風をも、棄ずしてならひよむべし、
書き下し
さて又歌には、古風後世風、世々のけぢめあることなるが、古学の輩は、古風をまづむねとよむべきことは、いふに及ばず、又後世風をも、棄ずしてならひよむべし、
現代語訳
さてまた歌には、古風・後世風という時代ごとの区別があるが、古学の人々がまず古風を主として詠むべきことは言うまでもない。また後世風も、捨てずに習い詠むべきである。
解説
古風を主としつつ、後世風も捨てるなと言う。奥の注はこの主題に本書で最も長い分量を割いており、当時の万葉風一辺倒の風潮への反論になっている。要旨はこうである。後世の歌を頭ごなしに悪いと言う人は、実際に良し悪しを試し味わってそう言っているのではなく、古はよい後世は悪いと決めてかかっているだけだ、と。そして有名な喩えを出す。古風は白い衣、後世風は紅や紫に染めた衣のようなもので、白がよいからといって染めたものを一概に悪いとすべきではない、悪い色を捨てればよいのだ、と。時代が下れば劣るという単純な図式を、宣長は退けている。
この章句が説くこと
古風後世風先入観評価和歌白妙
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