導師導古典を学びたいすべての人に

うひ山ぶみ / 注[ノ]又後世風をもすてずして

万葉風のみにては、よみとりがたき事など多き故に、やうやうと後世風の意詞をも、まじへよむほどに、いつしか後世風にちかくなりゆきて、なほをりをりは、ふるめきたる事もまじりて、さすがに全くの後世風にもあらず、しかも又古今集のふりにもあらず、おのづから別に一風なるも多きぞかし、これ古風のみにては、事たらざるところのあるゆゑなり、すべて後世風をもよまではえあらぬよしを、なほいはば、まづ萬葉の哥を見るに、やすらかにすがたよきは、其趣いづれもいづれも、似たる事のみ多く、よめる意大抵定まれるが如くにて、或は下ノ句全く同じき哥などもおほく、すべて同じやうなる哥いと多し、まれまれにめづらしき事をよめるは、多くはいやしげにて、哥ざまよろしからず、然るを万葉の後今の世まで、千餘年を經たる間ダ、哥よむ人、みなみな万葉風をのみ守りて變ぜずして、しかもよき哥をよまんとせば、皆万葉なる哥の口まねをするやうにのみ出來で、外によむべき事なくして、新タによめる詮なかるべし、されば世々を經て、

新字:万葉風のみにては、よみとりがたき事など多き故に、やうやうと後世風の意詞をも、まじへよむほどに、いつしか後世風にちかくなりゆきて、なほをりをりは、ふるめきたる事もまじりて、さすがに全くの後世風にもあらず、しかも又古今集のふりにもあらず、おのづから別に一風なるも多きぞかし、これ古風のみにては、事たらざるところのあるゆゑなり、すべて後世風をもよまではえあらぬよしを、なほいはば、まづ万葉の歌を見るに、やすらかにすがたよきは、其趣いづれもいづれも、似たる事のみ多く、よめる意大抵定まれるが如くにて、或は下ノ句全く同じき歌などもおほく、すべて同じやうなる歌いと多し、まれまれにめづらしき事をよめるは、多くはいやしげにて、歌ざまよろしからず、然るを万葉の後今の世まで、千余年を経たる間ダ、歌よむ人、みなみな万葉風をのみ守りて変ぜずして、しかもよき歌をよまんとせば、皆万葉なる歌の口まねをするやうにのみ出来で、外によむべき事なくして、新タによめる詮なかるべし、されば世々を経て、

書き下し

万葉風のみにては、よみとりがたき事など多き故に、やうやうと後世風の意詞をも、まじへよむほどに、いつしか後世風にちかくなりゆきて、なほをりをりは、ふるめきたる事もまじりて、さすがに全くの後世風にもあらず、しかも又古今集のふりにもあらず、おのづから別に一風なるも多きぞかし、これ古風のみにては、事たらざるところのあるゆゑなり、すべて後世風をもよまではえあらぬよしを、なほいはば、まづ万葉の歌を見るに、やすらかにすがたよきは、其趣いづれもいづれも、似たる事のみ多く、よめる意大抵定まれるが如くにて、或は下ノ句全く同じき歌などもおほく、すべて同じやうなる歌いと多し、まれまれにめづらしき事をよめるは、多くはいやしげにて、歌ざまよろしからず、然るを万葉の後今の世まで、千余年を経たる間ダ、歌よむ人、みなみな万葉風をのみ守りて変ぜずして、しかもよき歌をよまんとせば、皆万葉なる歌の口まねをするやうにのみ出来て、外によむべき事なくして、新タによめる詮なかるべし、されば世々を経て、

現代語訳

万葉風だけでは詠みとりにくい事などが多いために、次第に後世風の意や詞をも交えて詠むうちに、いつしか後世風に近くなってゆき、なお時々は古めいた事も混じって、さすがにまったくの後世風でもなく、しかもまた古今集の風でもなく、おのずから別の一風になっているものも多いのである。これは古風だけでは事足りないところがあるからである。総じて後世風をも詠まずにはいられないわけを、さらに言えば、まず万葉の歌を見ると、穏やかで姿の良いものは、その趣がどれもこれも似たことばかり多く、詠んでいる意がおおよそ定まっているようで、あるいは下の句がまったく同じ歌なども多く、総じて同じような歌がたいへん多い。まれに珍しい事を詠んだものは、多くは卑しげで、歌の様子がよろしくない。それなのに、万葉の後、今の世まで千余年を経た間、歌を詠む人がみな万葉風だけを守って変えずに、しかも良い歌を詠もうとするならば、みな万葉の歌の口まねをするようなものばかりができて、ほかに詠むべき事がなく、新たに詠む甲斐がないだろう。だから時代を経て、

解説

宣長はここで、古風家自身の作が次第に後世風へ近づいていく現実を指摘する。万葉風だけでは詠みにくい題材が多いため、後世風の意や言葉を交えるうちに、古風でも古今風でもない別の一風ができてしまう。それは古風だけでは事足りない証拠だという。さらに万葉の歌そのものを分析し、姿の良い歌は趣が似通い、下の句まで同じ歌も多く、珍しい題材を詠んだ歌は卑しげだと述べる。千年余りも万葉風だけを守れば口まねばかりになり、新たに詠む意味がなくなる。万葉集を丁寧に読み込んだ宣長だからこそ言える、手本の限界の指摘である。手本を守ることと、手本の口まねで終わることの境目は、どこにあるだろうか。

この章句が説くこと

万葉集口まね後世風古風手本

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る