うひ山ぶみ / 注[ネ]からぶみをもまじへよむべし
とかく倭魂かたまりにくき物にて、から書をよめば、そのことよきにまどはされて、たぢろきやすきならひ也、ことよきとは、その文辞を、麗しといふにはあらず、詞の巧にして、人の思ひつきやすく、まどはされやすきさまなるをいふ也、すべてから書は、言巧にして、ものの理非を、かしこくいひまはしたれば、人のよく思ひつく也、すべて學問すぢならぬ、よのつねの世俗の事にても、辯舌よく、かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物なるが、漢籍もさやうなるものと心得居んく古書の注釋を作らんと云々、書をよむに、たゞ何となくてよむときは、いかほど委く見んと思ひても、限リあるものなるに、みづから物の注釋をもせんと、こゝろがけて見るときには、何れの書にても、格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて、又外にも得る事の多きもの也、されば其心ざしたるすぢ、たとひ成就はせずといへども、すべて學問に大いに益あること也、是は物の注釋のみにもかぎらず、何事にもせよ、着述をこゝろがくべき也、
新字:とかく倭魂かたまりにくき物にて、から書をよめば、そのことよきにまどはされて、たぢろきやすきならひ也、ことよきとは、その文辞を、麗しといふにはあらず、詞の巧にして、人の思ひつきやすく、まどはされやすきさまなるをいふ也、すべてから書は、言巧にして、ものの理非を、かしこくいひまはしたれば、人のよく思ひつく也、すべて学問すぢならぬ、よのつねの世俗の事にても、弁舌よく、かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物なるが、漢籍もさやうなるものと心得居んく古書の注釈を作らんと云々、書をよむに、たゞ何となくてよむときは、いかほど委く見んと思ひても、限リあるものなるに、みづから物の注釈をもせんと、こゝろがけて見るときには、何れの書にても、格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて、又外にも得る事の多きもの也、されば其心ざしたるすぢ、たとひ成就はせずといへども、すべて学問に大いに益あること也、是は物の注釈のみにもかぎらず、何事にもせよ、着述をこゝろがくべき也、
書き下し
とかく倭魂かたまりにくき物にて、から書をよめば、そのことよきにまどはされて、たぢろきやすきならひ也、ことよきとは、その文辞を、麗しといふにはあらず、詞の巧にして、人の思ひつきやすく、まどはされやすきさまなるをいふ也、すべてから書は、言巧にして、ものの理非を、かしこくいひまはしたれば、人のよく思ひつく也、すべて学問すぢならぬ、よのつねの世俗の事にても、弁舌よく、かしこく物をいひまはす人の言には、人のなびきやすき物なるが、漢籍もさやうなるものと心得居べし、古書の注釈を作らんと云々、書をよむに、たゞ何となくてよむときは、いかほど委く見んと思ひても、限リあるものなるに、みづから物の注釈をもせんと、こゝろがけて見るときには、何れの書にても、格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて、又外にも得る事の多きもの也、されば其心ざしたるすぢ、たとひ成就はせずといへども、すべて学問に大いに益あること也、是は物の注釈のみにもかぎらず、何事にもせよ、著述をこゝろがくべき也、
現代語訳
とかく大和魂は固まりにくいものであって、漢籍を読むとその言葉の巧みさに惑わされて、たじろぎやすい慣わしである。言葉の巧みさとは、その文辞が麗しいということではない。言葉が巧みで、人が心を寄せやすく惑わされやすい様であることをいうのである。総じて漢籍は言葉が巧みで、物事の理非を賢く言い回してあるので、人がよく心を寄せるのである。総じて学問の筋でない、普通の世俗の事でも、弁舌がよく賢く物を言い回す人の言葉には、人はなびきやすいものであるが、漢籍もそのようなものだと心得ているべきである。『古書の注釈を作らんと』云々について。書物を読むのに、ただ何となく読むときは、どれほど詳しく見ようと思っても限りがあるものであるが、自分で物の注釈もしようと心がけて見るときには、どの書でも格別に心が留まって、見方が詳しくなるものであって、それにつれてまた外にも得る事が多いものである。だからその志した筋が、たとえ成就しなくても、総じて学問に大いに益があることである。これは物の注釈だけにも限らず、何事であれ、著述を心がけるべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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うひ山ぶみ・注[ツ]語釈は緊要にあらずこは学者の、たれもまづしらまほしがることなれども、これにさのみ深く心をもちふべきにはあらず、こは大かたよき考へは出来がたきものにて、まづはいかなることとも、しりがたきわざなるが、しひてしらでも、事かくことなく、しりてもさのみ益なし、されば諸の言は、その然云フ本の意を考ヘんよりは、古人の用ひたる所をよく考へて、云々の言は、云々の意に用ひたりといふことを、よく明らめ知るを、要とすべし、言の用ひたる意をしらでは、其所の文意聞えがたく、又みづから物を書クにも、言の用ひやうたがふこと也、然るを今の世古学の輩、ひたすら然云フ本の意をしらんことをのみ心がけて、用る意をば、なほざりにする故に、書をも解し誤り、みづからの歌文も、言の意用ひざまたがひて、あらぬひがこと多きぞかし、からぶみをもまじへよむべし、漢籍を見るも、学問のために益おほし、やまと魂だによく堅固まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はさるゝうれひはなきなり、然れども世の人、
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うひ山ぶみ・第四十段但しからぶみを見るには、殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるゝことぞ、此心得肝要也、
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うひ山ぶみ・第四十一段さて又段々学問に入たちて、事の大すぢも、大抵は合点のゆけるほどにもなりなば、いづれにもあれ、古書の注釈を作らんと、早く心がくべし、
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うひ山ぶみ・注[イ]世に物まなびのすぢしなじな有てその心をもて、漢某唐某といふべく、皇国の事は、内の事なれば、分て国の名をいふべきにはあらざるを、昔より世の中おしなべて、漢学をむねとするならひなるによりて、万ヅの事をいふに、たゞかのもろこしを、みづからの国のごとく、内にして、皇国をば、返りて外にするは、ことのこゝろたがひて、いみじきひがこと也、此事は、山跡魂をかたむる一端なる故に、まづいふなり、かのしなじなある学びのすぢすぢ云々、これははじめにいへるしなじなの学問のことなるが、そのしなじな、いづれもよくしらではかなはざる事どもなり、そのうち律令は、皇朝の上代よりの制と、もろこしの国の制とを合せて、よきほどに定められたる物なれども、まづはもろこしによれることがちにして、皇国の古ヘの制をば、改められたる事多ければ、これを学ぶには、其心得あるべく、又此すぢのからぶみをよく明らめざれば、事ゆかぬ学問なれば、奥をきはめんとするには、から書の方に、力を用ふること多くて、こなたの学びのためには、功の費も多き也、
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うひ山ぶみ・第三十九段さて又漢籍をもまじへよむべし、古書どもは、皆漢字漢文を借リて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、万の事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也、
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うひ山ぶみ・注[ル]御世々々の宣命にはすべて宣命にはかぎらず、何事にもせよ、からめきたるすぢをはなれて、皇国の上代めきたるすぢの事や詞は、いづれの書にあるをも、殊に心をとどめて見るべし、古ヘをしる助ケとなること也、釈日本紀、此書は後の物にて、説もすべてをさなけれども、今の世には伝はらぬ古書どもを、これかれと引出たる中に、いとめづらかに、たふときことどもの有也、諸国の風土記なども、みな今は伝はらざるに、此書と仙覚が万葉の抄とに、引出たる所々のみぞ、世にのこれる、これ殊に古学の用なり、又むかしの私記どもも、皆亡ぬるを、此釈には、多く其説をあげたり、私記の説も、すべてをさなけれども、古き故に、さすがに取ルべき事もまゝある也、さて六国史をはじめて、こゝに挙たる書共いづれも、板本も写本も、誤字脱文等多ければ、古本を得て、校正すべし、されど古本は、たやすく得がたきものなれば、まづ人の校正したる本を、求め借りてなりとも、つぎつぎ直すべき也、さて又ついでにいはむ、今の世は、古ヘをたふとみ好む人おほくなりぬるにつきては、
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