うひ山ぶみ / 第三十九段
さて又漢籍をもまじへよむべし、古書どもは、皆漢字漢文を借リて記され、殊に孝德天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、萬の事、かの國の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの國ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也、
新字:さて又漢籍をもまじへよむべし、古書どもは、皆漢字漢文を借リて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、万の事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也、
書き下し
さて又漢籍をもまじへよむべし、古書どもは、皆漢字漢文を借リて記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、万の事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也、
現代語訳
さてまた漢籍も交えて読むべきである。古書はみな漢字漢文を借りて記されており、特に孝徳天皇・天智天皇の御世のころから後は、万事あの国の制度によったものが多いので、史書を読むにも、あの国の書物のありようをおおよそ知らなければ、行き届かないことが多いからである。
解説
漢意を排せと説いた宣長が、漢籍を読めと指示する。理由は実務的である。日本の古書はすべて漢字漢文で書かれており、律令以降の制度は中国に倣ったものが多いから、中国の書物を知らなければ日本の史書すら正確に読めない、と。宣長の漢意批判が、中国の文物そのものの排斥ではないことがここではっきりする。奥の注でも「漢籍を見るも、學問のために益おほし」と明言している。批判している相手のことを、その相手の資料に当たって正確に知る。批判と無知は違うという当たり前のことを、宣長は実行している。
この章句が説くこと
漢籍漢意律令一次資料批判の作法
関連する章句
-
うひ山ぶみ・第二十六段書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古への意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし、
-
うひ山ぶみ・第三十段又件の史どもの中に、御世々々の宣命には、ふるき意詞ののこりたれば、殊に心をつけて見るべし、
-
うひ山ぶみ・第二十四段又件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固まりて、漢意におちいらぬ衛にもよかるべき也、道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし、
-
うひ山ぶみ・第四十段但しからぶみを見るには、殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるゝことぞ、此心得肝要也、
-
うひ山ぶみ・第二十九段まづ道をしるべき学びは、大抵上ノ件リの書ども也、然れども書紀より後の、次々の御代々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、続日本紀、次に日本後紀、つぎに続日本後紀、次に文徳実録、次に三代実録也、書紀よりこれまでを合せて六国史といふ、みな朝廷の正史なり、つぎつぎに必ズよむべし、
-
うひ山ぶみ・第二十二段此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備はりたり、此ノ二典の上代の巻々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、