うひ山ぶみ / 注[カ]古学の輩の
荷田ノ東麻呂ノ宿禰と申せしは、哥書のみならず、すべての古書にわたりて、此こゝろばへを立玉へりき、かくてわが師あがたゐの大人、この羽倉ノ大人の敎をつぎ給ひ、東國に下り江戶に在て、さかりに此學を唱へ玉へるよりぞ、世にはあまねくひろまりにける、大かた奈良ノ朝よりしてあなたの古ヘの、もろもろの事のさまを、こまかに精しく考へしりて、手にもとるばかりになりぬるは、もはら此大人の、此古學のをしへの功にぞ有ける、初心のほどは、かたはしより文義を云々、文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、すゝまぬことあれば、聞えぬところは、まづそのまゝにて、過すぞよき、殊に世に難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、たゞよく聞えたる所に、心をつけて、深く味ふべき也、こはよく聞えたる事也と思ひて、なほざりに見過せば、すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有て、いつまでも、其誤リをえさとらざる事有也、其末の事は、一々さとし敎るに及ばず、
新字:荷田ノ東麻呂ノ宿祢と申せしは、歌書のみならず、すべての古書にわたりて、此こゝろばへを立玉へりき、かくてわが師あがたゐの大人、この羽倉ノ大人の教をつぎ給ひ、東国に下り江戸に在て、さかりに此学を唱へ玉へるよりぞ、世にはあまねくひろまりにける、大かた奈良ノ朝よりしてあなたの古ヘの、もろもろの事のさまを、こまかに精しく考へしりて、手にもとるばかりになりぬるは、もはら此大人の、此古学のをしへの功にぞ有ける、初心のほどは、かたはしより文義を云々、文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、すゝまぬことあれば、聞えぬところは、まづそのまゝにて、過すぞよき、殊に世に難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、たゞよく聞えたる所に、心をつけて、深く味ふべき也、こはよく聞えたる事也と思ひて、なほざりに見過せば、すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有て、いつまでも、其誤リをえさとらざる事有也、其末の事は、一々さとし教るに及ばず、
書き下し
荷田ノ東麻呂ノ宿禰と申せしは、歌書のみならず、すべての古書にわたりて、此こゝろばへを立玉へりき、かくてわが師あがたゐの大人、この羽倉ノ大人の教をつぎ給ひ、東国に下り江戸に在て、さかりに此学を唱へ玉へるよりぞ、世にはあまねくひろまりにける、大かた奈良ノ朝よりしてあなたの古ヘの、もろもろの事のさまを、こまかに精しく考へしりて、手にもとるばかりになりぬるは、もはら此大人の、此古学のをしへの功にぞ有ける、初心のほどは、かたはしより文義を云々、文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とどこほりて、すゝまぬことあれば、聞えぬところは、まづそのまゝにて、過すぞよき、殊に世に難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、たゞよく聞えたる所に、心をつけて、深く味ふべき也、こはよく聞えたる事也と思ひて、なほざりに見過せば、すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有て、いつまでも、其誤リをえさとらざる事有也、其末の事は、一々さとし教るに及ばず、
現代語訳
荷田東麻呂宿禰(荷田春満)と申した方は、歌書だけでなく、すべての古書にわたってこの心ばえを立てなさった。こうしてわが師県居の大人(賀茂真淵)が、この羽倉の大人の教えを継ぎなさって、東国に下り江戸にいて、盛んにこの学問を唱えなさったことから、世に広く広まったのである。おおかた奈良の朝より以前の古代の、さまざまな事の有様を細かく詳しく考え知って、手にも取るばかりになったのは、もっぱらこの大人の古学の教えの功なのであった。『初心のほどは、かたはしより文義を』云々について。文義の心得がたいところを、初めから一々解こうとしては、滞って進まないことがあるので、分からないところはまずそのままにして過ごすのがよい。ことに世に難しい事とされている箇所を、まず知ろうとするのはたいへんよくない。ただよく分かる所に心をつけて、深く味わうべきである。これはよく分かる事だと思って、いい加減に見過ごすと、すべて細かな意味も知られず、また多く心得違いがあって、いつまでもその誤りを悟れない事があるのである。『其末の事は、一々さとし教るに及ばず』について。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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うひ山ぶみ・注[ヘ]初学のともがらは宣長が著したる返て大に道を害することのみ也、されば今、道のために、見てよろしきは、一つもあることなし、さりとて又初学のともがら、いかほど力を用ふとも、二典の本文を見たるばかりにては、道の趣、たやすく会得しがたかるべし、こゝにわが県居ノ大人は、世の学者の、漢意のあしきことをよくさとりて、ねんごろにこれをさとし教へて、盛ンに古学を唱へ玉ひしかども、其力を万葉集にむねと用ひて、道の事までは、くはしくは及ばれず、事にふれては、其事もいひ及ぼされてはあれども、力をこれにもはらと入れられざりし故に、あまねくゆきわたらず、されば道のすぢは、此大人の説も、なほたらはぬこと多ければ、まづ速に道の大意を心得んとするに、のり長が書共をおきて外に、まづ見よとをしふべき書は、世にあることなければ也、さる故に下には、古事記伝をも、おほけなく古書共にならべて、これをあげたり、かくいふをも、なほ我慢なる大言のやうに、思ひいふ人もあるべけれど、さやうに人にあしくいはれんことをはゞかりて、おもひとれるすぢを、
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うひ山ぶみ・注[ヲ]釈日本紀おのづからめづらしき古書の、世に埋れたるも、顕れ出る有リ、又それにつきては、偽書も多く出るを、その真偽は、よく見る人は、見分れども、初学の輩などは、え見分ねば、偽書によくはからるゝ事あり、心すべし、されば初学のほどは、めづらしき書を得んことをば、さのみ好むべからず、古事記伝云々、みづから著せる物を、かくやむことなき古書どもにならべて挙るは、おふけなく、つゝましくはおぼゆれども、上にいへるごとくにて、上代の事を、くはしく説示し、古学の心ばへを、つまびらかにいへる書は、外になければぞかし、されば同じくは此書も、二典とまじへて、はじめより見てよろしけれども、巻数多ければ、こゝへはまはしたる也、古学の輩の、古学とは、すべて後世の説にかゝはらず、何事も、古書によりて、その本を考へ、上代の事を、つまびらかに明らむる学問也、此学問、ちかき世に始まれり、契沖ほふし、歌書に限りてはあれど、此道すぢを開きそめたり、此人をぞ、此まなびのはじめの祖ともいひつべき、次にいさゝかおくれて羽倉ノ大人、
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『玉勝間』あがたゐのうしは古学の親なる事からごころをきよく離れて、もはら古のこころ詞をたづぬるがくもんは、わが縣居の大人よりぞはじまりける。この大人の学の、いまだ興らざりしほどの世の学問は、歌もただ古今集よりこなたにのみとどまりて、万葉などは、ただいと物どおく、心も及ばぬ物として、さらにその歌の善き悪しきを思い、古き近きをわきまえ、又その詞を、今のおのが物としてつかう事などは、すべて思いも及ばざりし事なるを、今はその古言をおのがものとして、万葉ぶりの歌をも詠み出で、古ぶりの文などをさえ、書きうることとなれるは、もはらこの大人の教えのいさをにぞ有りける。今の人は、ただおのれみづから得たるごと思うめれど、みなこの大人の御蔭によらずと云うこと無し。また古事記・書紀などの、漢意にまどわされず、まづもはら古言を明らめ、古意によるべきことを、人みな知れるも、この大人の万葉の教えのみたまにぞ有りける。
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うひ山ぶみ・注[ラ]万葉集をよくまなぶべし万葉集をよくまなぶべし、此書は、歌の集なるに、二典の次に挙て、道をしるに甚ダ益ありといふは、心得ぬことに、人おもふらめども、わが師ノ大人の古学のをしへ、専らこゝにあり、其説に、古ヘの道をしらんとならば、まづいにしへの歌を学びて、古風の歌をよみ、次に古の文を学びて、古ヘぶりの文をつくりて、古言をよく知リて、古事記日本紀をよくよむべし、古言をしらでは、古意はしられず、古意をしらでは、古の道は知リがたかるべし、といふこゝろばへを、つねづねいひて、教へられたる、此教へ迂遠きやうなれども、然らず、その故は、まづ大かた人は、言と事と心と、そのさま大抵相かなひて、似たる物にて、たとへば心のかしこき人は、いふ言のさまも、なす事のさまも、それに応じてかしこく、心のつたなき人は、いふ言のさまも、なすわざのさまも、それに応じてつたなきもの也、又男は、思ふ心も、いふ言も、なす事も、男のさまあり、女は、おもふ心も、いふ言も、なす事も、女のさまあり、されば時代々々の差別も、又これらのごとくにて、心も言も事も、上代の人は、
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしたててよめる人は、たゞ鎌倉ノ右大臣殿のみにして、外には聞えざりしを、吾師ノ大人のよみそめ給ひしより、其教によりて、世によむ人おほく出来たるを、其人どもの心ざすところ、必しも古の道を明らめんためによむにはあらず、おほくはたゞ歌を好みもてあそぶのみにして、その心ざしは、近世風の歌よみの輩と、同じこと也、さればよき歌をよみ出むと心がくることも、近世風の歌人とかはる事なし、それにつきては、道のために学ぶすぢをば、姑くおきて、今は又たゞ歌のうへにつきての心得どもをいはんとす、そもそも歌は、思ふ心をいひのぶるわざといふうちに、よのつねの言とはかはりて、必詞にあやをなして、しらべをうるはしくとゝのふる道なり、これ神代のはじめより然り、詞のしらべにかゝはらず、たゞ思ふまゝにいひ出るは、つねの詞にして、歌といふものにはあらず、さてその詞のあやにつきて、よき歌とあしき歌とのけぢめあるを、上代の人は、たゞ一わたり、歌の定まりのしらべをとゝのへてよめるのみにして、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり歌学いかでか歌よむ妨ゲとはならん、妨ゲとなりて、よき歌をえよまぬは、そのわきまへのあしきが故也、然れども歌学の方は、大概にても有べし、歌よむかたをこそ、むねとはせまほしけれ、歌学のかたに深くかゝづらひては、仏書からぶみなどにも、広くわたらでは、事たらはぬわざなれば、其中に無益の書に、功をつひやすこともおほきぞかし、物語ぶみどもをもつねに見るべし、此事の子細は、源氏物語の玉の小櫛に、くはしくいへれば、こゝにはもらしつ、いにしへ人の風雅のおもむきをしるは云々、すべて人は、雅の趣をしらでは有ルべからず、これをしらざるは、物のあはれをしらず、心なき人なり、かくてそのみやびの趣をしることは、歌をよみ、物語書などをよく見るにあり、然して古ヘ人のみやびたる情をしり、すべて古ヘの雅たる世の有リさまを、よくしるは、これ古の道をしるべき階梯也、然るに世間の物学びする人々のやうを見渡すに、主と道を学ぶ輩は、上にいへるごとくにて、おほくはたゞ漢流の議論理窟にのみかゝづらひて、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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