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うひ山ぶみ / 注[ヘ]初学のともがらは宣長が著したる

いはざらんは、かへりて初學のために、忠實ならざれば、あしくいはむ人には、いかにもいはれんかし、第一に漢意儒意を云々、おのれ何につけても、ひたすら此事をいふは、ゆゑなくみだりに、これをにくみてにはあらず、大きに故ありていふ也、その故は、古の道の意の明らかならず、人みな大にこれを誤りしたゝめたるは、いかなるゆれゑぞと尋ぬれば、みな此漢意に心のまどはされ居て、それに妨げらるゝが故也、これ千有餘年、世ノ中の人の心の底に染マ着てある、痼疾なれば、とにかくに淸くはのぞこりがたき物にて、近きころは、道をとくに、儒意をまじふることの、わろきをさとりて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ淸くこれをまぬかるゝことあたはずして、その說ところ、畢竟は漢意におつるなり、かくのごとくなる故に、道をしるの要、まづこれを淸くのぞき去ルにありとはいふ也、これを淸くのぞきさらでは道は得がたかるべし、初學の輩、まづ此漢意を淸く除き去て、やまとたましひを堅固くすべきことは、

新字:いはざらんは、かへりて初学のために、忠実ならざれば、あしくいはむ人には、いかにもいはれんかし、第一に漢意儒意を云々、おのれ何につけても、ひたすら此事をいふは、ゆゑなくみだりに、これをにくみてにはあらず、大きに故ありていふ也、その故は、古の道の意の明らかならず、人みな大にこれを誤りしたゝめたるは、いかなるゆれゑぞと尋ぬれば、みな此漢意に心のまどはされ居て、それに妨げらるゝが故也、これ千有余年、世ノ中の人の心の底に染マ着てある、痼疾なれば、とにかくに清くはのぞこりがたき物にて、近きころは、道をとくに、儒意をまじふることの、わろきをさとりて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ清くこれをまぬかるゝことあたはずして、その説ところ、畢竟は漢意におつるなり、かくのごとくなる故に、道をしるの要、まづこれを清くのぞき去ルにありとはいふ也、これを清くのぞきさらでは道は得がたかるべし、初学の輩、まづ此漢意を清く除き去て、やまとたましひを堅固くすべきことは、

書き下し

いはざらんは、かへりて初学のために、忠実ならざれば、あしくいはむ人には、いかにもいはれんかし、第一に漢意儒意を云々、おのれ何につけても、ひたすら此事をいふは、ゆゑなくみだりに、これをにくみてにはあらず、大きに故ありていふ也、その故は、古の道の意の明らかならず、人みな大にこれを誤りしたゝめたるは、いかなるゆゑぞと尋ぬれば、みな此漢意に心のまどはされ居て、それに妨げらるゝが故也、これ千有余年、世ノ中の人の心の底に染マ着てある、痼疾なれば、とにかくに清くはのぞこりがたき物にて、近きころは、道をとくに、儒意をまじふることの、わろきをさとりて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ清くこれをまぬかるゝことあたはずして、その説ところ、畢竟は漢意におつるなり、かくのごとくなる故に、道をしるの要、まづこれを清くのぞき去ルにありとはいふ也、これを清くのぞきさらでは道は得がたかるべし、初学の輩、まづ此漢意を清く除き去て、やまとたましひを堅固くすべきことは、

現代語訳

言わずにいるのは、かえって初学の者に対して誠実でないので、悪く言う人には何とでも言われよう。『第一に漢意儒意を』云々について。私が何につけてもひたすらこの事を言うのは、理由もなくみだりにこれを憎んでではない。大きな理由があって言うのである。その理由は、古の道の意が明らかでなく、人がみな大いにこれを誤って取り扱ってきたのは、どういうわけかと尋ねれば、みなこの漢意に心を惑わされていて、それに妨げられるからである。これは千年余り、世の中の人の心の底に染み着いている持病なので、とにかくきれいには除きがたいものであって、近ごろは道を説くのに儒意を交えることの悪いことを悟って、これを批判する人もあちこちに聞こえるが、そういう人ですら、なおきれいにこれを免れることができず、その説くところは結局は漢意に落ちるのである。このようであるから、道を知る要は、まずこれをきれいに除き去ることにあると言うのである。これをきれいに除き去らなくては、道は得がたいであろう。初学の人々が、まずこの漢意をきれいに除き去って、大和魂を堅固にすべきことは、

解説

注[ヘ]の結びで宣長は、悪く言われるのを恐れて思うところを言わないのは初学者に不誠実だと言い切る。続く注[ト]は、本文の「第一に漢意儒意を」清く除き去れという一句を掘り下げる。宣長が漢意を繰り返し攻撃するのは、みだりに憎むからではない。古の道が明らかにならず誤って扱われてきた原因が、すべて漢意にあると見るからである。しかもそれは千年余り人の心の底に染み着いた「痼疾」で、儒意を批判する人ですら、結局は漢意に落ちるという。宣長のいう漢意とは、漢籍を読むことそのものではなく、物事を理屈で割り切り、善悪を言い立てる心の癖を指す。だから気づいたつもりでも抜けきらない。自分では克服したつもりの思考の癖が、まだ残っていないだろうか。

この章句が説くこと

漢意儒意大和魂痼疾誠実

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