うひ山ぶみ / 第二十二段
此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備はりたり、此ノ二典の上代の卷々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、
新字:此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備はりたり、此ノ二典の上代の巻々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、
書き下し
此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備はりたり、此ノ二典の上代の巻々を、くりかへしくりかへしよくよみ見るべし、
現代語訳
この道は、『古事記』『日本書紀』の二つの古典に記された、神代・上代のさまざまな事跡の上に備わっている。この二典の上代の巻々を、繰り返し繰り返しよく読むべきである。
解説
宣長の方法の核心である。道は理論として説明されているのではなく、古典に記された出来事そのものの上に備わっている。だから理屈を求めず、繰り返し読め、と。奥の注では、儒仏の書のように「道とはこうこうだ」と指し示す形になっていないため、儒仏の書を見る目でこれを見ると、とらえどころがないように見えてしまうと説明する。そして昔から学者たちは、そのとらえどころのなさに耐えられず、仏教や儒教の理屈を借りて説明してしまったと批判する。対象を、既存の枠組みに当てはめずそのまま読み込む。この態度が宣長の学問を支えている。
この章句が説くこと
古事記日本書紀反復読解法古学
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