「吾日に吾が身を三省す」は、論語のなかでもよく知られた一句です。曾子という孔子の弟子が、毎日自分に三つの問いを立てていた、という短い言葉。渋沢栄一の座右の銘としても伝えられます。読み方と意味、原文、そして三つの問いが具体的に何を指しているのかを見ていきます。
「吾日に吾が身を三省す」の意味
読み方
「われ ひに わがみを さんせいす」と読みます。「我日に我が身を三省す」と書かれることもあり、同じです。白文は 吾日三省吾身。
「三省」とは — 三度か、三つのことか
「三省(さんせい)」の読み方には、古くから二つの解釈があります。
一つは、日に三度、自分を省みるという読み方。もう一つは、三つのことについて省みるという読み方です。原文は「三省吾身」と書いたあと、続けて三つの問いを並べています。だから「三つのことを」と読むほうが自然だ、という説にも十分な根拠があります。
師導では前者を採り、「吾日に三たび吾が身を省みる」と書き下しています。ただ、実用として考えるなら、どちらでも構わないでしょう。回数が三度なのか項目が三つなのかより、毎日必ず立ち返る問いを決めておく、というところにこの一句の値打ちがあります。
現代語訳
毎日、自分の身を省みる。人のために考えて、まごころを尽くさなかったのではないか。友人と交わって、誠実さを欠かなかったか。まだ身についていないことを、人に教えてしまわなかったか。
出典は『論語』学而篇
原文・書き下し・現代語訳
曾子曰、「吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。」
書き下し: 曾子曰く、「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。」
現代語訳: 曾参先生がおっしゃった。「私は毎日三回、自分の身を反省する。他人のためを思って真剣に考えてあげるまごころが無かったのではないか。友人と交際を持つ中で誠実ではなかったのではないか。(孔子に教わったことを)十分に復習せずにあなたたちに伝えてしまったのではないか。」
論語の冒頭、学而篇に置かれています。「学びて時に之を習う」で始まる巻の、四番目の章です。
誰の言葉か — 曾子について
言ったのは孔子ではなく、弟子の曾子(曾参)です。孔子より四十六歳年下で、門人のなかでは若いほうでした。派手さのない、鈍重とも評された人物ですが、孔子の教えを最も忠実に受け継いだとされ、後世に大きな影響を残しています。
その曾子には、もう一つよく知られた言葉があります。
士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。
担う責任は重く、進む道は遠い。毎日三つの問いを立て続けた人の言葉として読むと、「三省」と地続きであることが分かります。
三つの問いを一つずつ読む
一つめ — 人の為に謀りて忠ならざるか
他人のために考えたとき、まごころを尽くしただろうか。
ここでの「忠」は、上への忠義ではなく、自分の中心を尽くすことを指します。人から相談を受け、頼まれごとを引き受けたとき、その場をしのぐ答えで済ませなかったか。相手の立場に本気で立ったか。
二つめ — 朋友と交わりて信ならざるか
友人との交わりで、誠実さを欠かなかっただろうか。
「信」は、言ったことと行ったことが一致していること。約束を守る、預かった話を漏らさない、都合が悪くなっても前言を翻さない。取引先や仲間との関係で、日々試されている項目です。
三つめ — 習わざるを伝えしか
まだ自分のものになっていないことを、人に教えてしまわなかっただろうか。
三つのなかで、いちばん現代的に効く問いかもしれません。読んだばかりの話、聞きかじった手法を、自分で試さないまま人に勧めていないか。教える側に立つ人、部下を持つ人、発信する人には、そのまま突き刺さります。
曾子は孔子の教えを人に伝える立場でした。だからこの問いが三つめに来ています。
渋沢栄一の座右の銘として
「論語と算盤」の人
「吾日に吾が身を三省す」は、渋沢栄一の座右の銘だったと伝えられます。渋沢は五百とも言われる企業の設立に関わり、日本の近代経済の土台を築いた人物です。
その渋沢が生涯手放さなかったのが論語でした。彼は『論語と算盤』でこう書いています。
今の道徳に依つて最も重なるものとも言ふべきものは、孔子のことに就て門人達の書いた論語といふ書物がある
論語は難しい学理ではない、学者でなければ分からないようなものではない、とも言っています(/rongotosoroban/9475)。
なぜ、この一句だったのか
数ある章句のなかから、なぜ「三省」だったのか。断定はできませんが、渋沢が語った修養の定義を並べると、その線は見えてきます。
修養とは身を修め徳を養ふといふことにて、練習も研究も克己も忍耐も都て意味するもので
修養を、一回の決意ではなく毎日の練習として捉えている。だとすれば、毎日必ず通る三つの関門を決めておく「三省」は、そのまま実装にあたります。理念を掲げるだけでは足りず、日課に落とすところまでやる——渋沢の書き方には一貫してその傾向があります。
毎日の実践として使う
経営者に置き換えた三つの問い
そのまま現代の仕事に置き換えると、こうなります。
- 人のために尽くしたか。 従業員や顧客のために、本気で考えて動いたか。福利厚生の改善でも、顧客の困りごとへの対応でも、具体的な行いとして残っているか
- 信義を守ったか。 約束を守り、秘密を守り、公私の線を越えなかったか。取引先や仲間との信頼は、この一日の積み重ねでしかできません
- 未熟な知識を人に押しつけなかったか。 確かめていない情報、半分しか分かっていない手法を、部下や社外に広めていないか
経営者だけの問いにする必要もありません。三つとも、組織の誰にでも当てはまります。共通の内省項目として掲げておくと、朝礼で読み上げるだけの理念より、はるかに使えます。
一日の終わりに、三十秒
実践として長く続けるコツは、時間をかけないことです。一日の終わりに三つの問いを順に思い浮かべ、引っかかった一つだけを覚えておく。それで十分です。
曾子も、長い反省文を書いたわけではないでしょう。毎日通る三つの関門を決めていた、というだけの話です。決めていなければ、人は都合のいい記憶しか振り返りません。振り返る項目を先に固定しておく——この一句の実用的な要点は、そこにあります。