玉勝間 / 十四の巻 伊勢国
いはゆる吳服物、小間物のたくひ、松坂は善き品を用ひて、山田津などとはこよなく代物よし。されば商人の、京よりしいるるも、松坂は殊に物よく上上の品なり。京のあき人常に來かよふなり。時時のはやり物も、をり過さず、諸藝は所からにあはせては、善きことも有らず。もろもろの細工いと上手なり。あきなひごとにぎははし。芝居、見せ物、神社、佛閣すべてにぎははし。すべて此國は、他國の人多く入こむ國なる故に、善からぬ物もおほく、盜なども多し。松坂は、魚類野菜などすべて豐かなり。されど魚には、鯉鮒すくなく、野菜には、くわゐ蓮根など少なし。松坂のあかぬ事は、町筋の正しからずしどけなきと、船の通はぬとなり。
新字:いはゆる呉服物、小間物のたくひ、松坂は善き品を用ひて、山田津などとはこよなく代物よし。されば商人の、京よりしいるるも、松坂は殊に物よく上上の品なり。京のあき人常に来かよふなり。時時のはやり物も、をり過さず、諸芸は所からにあはせては、善きことも有らず。もろもろの細工いと上手なり。あきなひごとにぎははし。芝居、見せ物、神社、仏閣すべてにぎははし。すべて此国は、他国の人多く入こむ国なる故に、善からぬ物もおほく、盗なども多し。松坂は、魚類野菜などすべて豊かなり。されど魚には、鯉鮒すくなく、野菜には、くわゐ蓮根など少なし。松坂のあかぬ事は、町筋の正しからずしどけなきと、船の通はぬとなり。
書き下し
いわゆる呉服物、小間物のたぐい、松坂は善き品を用いて、山田津などとはこよなく代物よし。されば商人の、京よりしいるるも、松坂は殊に物よく上々の品なり。京のあき人常に来かようなり。時々のはやり物も、おり過ごさず、諸芸は所がらにあわせては、善きことも有らず。もろもろの細工いと上手なり。あきないごとにぎわわし。芝居、見せ物、神社、仏閣すべてにぎわわし。すべてこの国は、他国の人多く入りこむ国なる故に、善からぬ物もおおく、盗なども多し。松坂は、魚類野菜などすべて豊かなり。されど魚には、鯉鮒すくなく、野菜には、くわい蓮根など少なし。松坂のあかぬ事は、町筋の正しからずしどけなきと、船の通わぬとなり。
現代語訳
いわゆる呉服物や小間物の類いは、松坂では良い品を用いて、山田や津などとは比べものにならないほど品がよい。だから商人が京から仕入れるのも、松坂はとりわけ物がよく、最上の品である。京の商人が常に行き来している。その時々の流行り物も時期を逃さない。諸芸は土地柄のわりには、それほど良くもない。さまざまな細工物はたいへん上手である。商売はにぎやかである。芝居・見世物・神社・仏閣もすべてにぎやかである。およそこの国は、他国の人が多く入り込む国であるために、良くない者も多く、盗人なども多い。松坂は魚類・野菜などすべて豊かである。けれども魚では鯉や鮒が少なく、野菜ではくわいや蓮根などが少ない。松坂の物足りないことは、町筋が正しくなくだらしないことと、船が通わないことである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 伊勢国かくて松坂は、殊によき里にて、里のひろき事は、山田につぎたれど、富める家おおく、江戸に店と云う物をかまえ置きて、手代と云う物を多くあらせて、商いせさせて、あるじは、国にのみ居てあそびおり。うわべはさしもあらで、うちうちはいたく豊かにおごりてわたる。すべてこの里、町すじゆがみ正しからず、家なみ悪ろく、一つごとに一尺二尺ずつ出入りてひとしからず、いといとしどけなし。家居はさしもいかめしからず。されど内々のすまいはいとよし。水は良き所と悪ろき所と有りてひとしからず。川水すくなく潮もささねば、船通わず。山へは、大方一里あまり、海へは、半里あまり、諸国のたよりよし。ことに京江戸大坂はたよりよし。諸国の人の入り来る国なれば、いずこへもいずこへも便りよし。人の心は善くもあらず、奢りてまこと少なし。人のかたち、男も女もいなかびたる事更に無くよろし。女は里のゆたかににぎわわしきままにすがたよそいよし。すべておさおさ京におとれる事無し。人の物云いは、尾張の国より東の国々はなまり多きを、伊勢は、大かたなまり無し。されど山城大和などとは、何と無く声いやしく、詞もいやしきこと多し。
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『玉勝間』十四の巻 伊勢国伊勢の国は、かた国のうまし国と古語にも云いて、北のはてより南のはてまで、西の方は山々つらなり続きて、まことに青垣を成せり。東の方は入海にて伊勢の海と云うこれなり。かくていずこもいずこも山と海との間、ひろく平原にして、北は桑名より、南は山田まで、二十里あまりがほど、山と云う物一つも越ゆる事無くひたつづきの国原なり。その間に、広き里々おおかる中に、山田、安濃津、松阪、桑名など、殊ににぎわわしく大きなる里なり。大かた京より江戸まで、七国八国を経てゆく間に、かばかりの大里は、近江の大津と、駿河の府をおきては有る事無し。外の国々も思いやらる。なお件の里々につぎて、四日市、白子などよき邑なり。かくてこの国、海の物、山野の物、すべて乏しからず。暑さ寒さも、他国にくらぶるに、さしも甚だしからず。但し寒さは、北の方へ寄るままに次第に寒し。風はよく吹く国なり。国のにぎわわしき事は、大御神の宮にもうずる旅人たゆる事無く、殊に春夏のほどは、いといとにぎわわしき事、大かた天の下にならび無し。土こえて、稲いとよし。たなつ物も畑つ物も、大かた皆よし。
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『玉勝間』三の巻 下樋小川かくて此川も、かの真盛川の上たる小川どもの内の一つなるを以て思うに、此下樋、古より然かせる事にて、下樋小川と云う名は、もしくは是によりて負えるには有らざるにや。此事よし有りげにおぼゆる故に、しるしつ。まことや上に云える細汲岸江と云うところは、伊勢勅使部類記に、嘉承二年二月十一日、伊勢奉幣使進発云云、壱志駅を出づ、岸江の南、大神宮の検非違使二人来る、祗承たるに依るなり、(伊勢の祗承帰るなり、また、長治二年八月十六日、伊勢勅使進発云云、十八日急ぎ立つべしと雖も、潮干を待つの間、巳の終りに及ぶ、沐浴解除す、保曾久美の南江の潮に依りて、疋駕暫く国立ち神宝を留め奉るは、潮干を待つ故なり、岸江の南、仕承の検非違使来向す、伊勢の仕承帰り去る、櫛田川を渡るの後、暫く休息す云云、と見えたり。岸江の南と云える、即ち下樋小川なり。岸の江は、今も松坂のすこし東にて、西岸の江東岸の江とて有り。細汲は、細頸とも云えり、松坂の半里ばかり北の海辺にて、後に松が島とて、北畠の信雄の君の、城を築かれし所なり。今の松坂は、その松が島の城を、引きうつせるなり。
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『玉勝間』十三の巻 遠江国より大神宮に神御衣を織て奉る事遠江国人、内山真龍が云えるは、かの国の浜名の郡神戸の〓岡本村と云うに。機殿有りて、年毎に、四月と九月と、神御衣を織りて、伊勢の内宮に奉る。そのはた殿は、かの村に、神氏目大夫と云う者、世世相伝えて、年ごとに新しく造る、萱葺の屋なり。神庫もあり。ふるめきたる造りざまなり。神御衣は、年ごとに、三河の国の大野村と云うより、生糸を、この岡本村におくり奉るを、件の機殿にて織りて奉る。和たえなり、と云いき。
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『玉勝間』三の巻 下樋小川伊勢の下樋小川は、古、飯高の郡と飯野の郡との堺にて、飯高の郡とも、飯野の郡とも、書どもには有り。神領と国領との堺にて、駅使の鈴の声を止めし所なり。然るに此川、今はさだかならず。まず昔の大道は、今の大道より東北に在りて、飯高の郡の細汲平生大口江津岸の江、飯野の郡の朝田立入清水など云う村を経て、斎宮にいたる道にて、今も其道あり、三渡りより分るるなり。さて或人の説に、岸の江村と朝田村とのあいだ、東岸の江村を離れて、すこし東に、鈴止の森と云いて、小さき塚あり、これ下樋小川の跡なりと云えり。今は川は流れの変りて、其塚のあたりにはあらず、やや東の方に在りて、真盛川と云いて、土橋を渡せる川なり。此川の上、今の大道にては、飯高の郡の内にて、下村と上川村との間なる小川、又徳和村と下村との間の小川など是なり。さて今の大道、松坂の東なる、徳和村の東のはずれに、貧乏川と云う有りて、土橋を渡せる、其の少し上の方に、此の貧乏川の底の地の下を、西より東へよこぎりに、樋を通して流す川一つあり。そは其川の上の方、地ひきくして、かの貧乏川へ一つに落しがたき故に、しか下樋をとおして、東の地ひきき方へ流せるなり。
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『秘本玉くしげ』上 町人の奢り今の世、町人の奢は殊に甚しき事也。すべて飲食衣服よりはじめ、諸道具住居等、みな高貴の人のうへとさのみ異ならず。中にもすぐれて富る者などは、内内こまかなることのおごりは、大名にもおさおさおとらず、何事も善美をつくしてゆたかにくらす事也。さて町人は、殊に定まれる階級のなきものにて、先はひら一まいなるがゆゑに、身上の大小は雲泥ちがひても、とかく富たる者のうへを見ならひうらやみて、さしもなきものもそのまねをして、分不相応にゆたかにくらさんとするから、内證は困窮する者甚多き也。或はその困窮を隠さんとするから、いよいよ困窮つのり、或は身上を持直さんために急に大利を得んと欲して、あらぬ事にかかり、家をほろぼす者も多し。さてかやうに惣体殊の外におごり長じたれ共、これ天下一同の事なるゆゑに、地になりて奢といふやうにも見えず、面面みづからもおごり也といふ事を覚えず、本よりかやうにあるべきもののやうに思ひ居る也。
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