秘本玉くしげ / 上 町人の奢り
今の世、町人の奢は殊に甚しき事也。すべて飮食衣服よりはじめ、諸道具住居等、みな高貴の人のうへとさのみ異ならず。中にもすぐれて富る者などは、內內こまかなることのおごりは、大名にもおさおさおとらず、何事も善美をつくしてゆたかにくらす事也。さて町人は、殊に定まれる階級のなきものにて、先はひら一まいなるがゆゑに、身上の大小は雲泥ちがひても、とかく富たる者のうへを見ならひうらやみて、さしもなきものもそのまねをして、分不相應にゆたかにくらさんとするから、內證は困窮する者甚多き也。或はその困窮を隱さんとするから、いよいよ困窮つのり、或は身上を持直さんために急に大利を得んと欲して、あらぬ事にかかり、家をほろぼす者も多し。さてかやうに惣体殊の外におごり長じたれ共、これ天下一同の事なるゆゑに、地になりて奢といふやうにも見えず、面面みづからもおごり也といふ事を覺えず、本よりかやうにあるべきもののやうに思ひ居る也。
新字:今の世、町人の奢は殊に甚しき事也。すべて飲食衣服よりはじめ、諸道具住居等、みな高貴の人のうへとさのみ異ならず。中にもすぐれて富る者などは、内内こまかなることのおごりは、大名にもおさおさおとらず、何事も善美をつくしてゆたかにくらす事也。さて町人は、殊に定まれる階級のなきものにて、先はひら一まいなるがゆゑに、身上の大小は雲泥ちがひても、とかく富たる者のうへを見ならひうらやみて、さしもなきものもそのまねをして、分不相応にゆたかにくらさんとするから、内証は困窮する者甚多き也。或はその困窮を隠さんとするから、いよいよ困窮つのり、或は身上を持直さんために急に大利を得んと欲して、あらぬ事にかかり、家をほろぼす者も多し。さてかやうに惣体殊の外におごり長じたれ共、これ天下一同の事なるゆゑに、地になりて奢といふやうにも見えず、面面みづからもおごり也といふ事を覚えず、本よりかやうにあるべきもののやうに思ひ居る也。
書き下し
今の世、町人の奢は殊に甚しき事也。すべて飲食衣服よりはじめ、諸道具住居等、みな高貴の人のうへとさのみ異ならず。中にもすぐれて富る者などは、内内こまかなることのおごりは、大名にもおさおさおとらず、何事も善美をつくしてゆたかにくらす事也。さて町人は、殊に定まれる階級のなきものにて、先はひら一まいなるがゆゑに、身上の大小は雲泥ちがひても、とかく富たる者のうへを見ならひうらやみて、さしもなきものもそのまねをして、分不相応にゆたかにくらさんとするから、内證は困窮する者甚多き也。或はその困窮を隠さんとするから、いよいよ困窮つのり、或は身上を持直さんために急に大利を得んと欲して、あらぬ事にかかり、家をほろぼす者も多し。さてかやうに惣体殊の外におごり長じたれ共、これ天下一同の事なるゆゑに、地になりて奢といふやうにも見えず、面面みづからもおごり也といふ事を覚えず、本よりかやうにあるべきもののやうに思ひ居る也。
現代語訳
今の世、町人の奢りはことにひどいことである。すべて飲食・衣服をはじめ、諸道具・住居などは、みな高貴の人のありさまとそれほど異ならない。中でもとりわけ富んだ者などは、内々の細かなことの奢りは大名にもほとんど劣らず、何事も善美を尽くして豊かに暮らすことである。さて町人は、ことに定まった階級のないものであって、まずは平たく一枚であるので、身代の大小は雲泥の違いがあっても、とかく富んだ者のありさまを見習いうらやんで、それほどでもない者もその真似をして、分不相応に豊かに暮らそうとするから、家計が困窮する者がたいへん多いのである。あるいはその困窮を隠そうとするから、いよいよ困窮が募り、あるいは身代を立て直すために急に大きな利益を得ようと欲して、とんでもないことに手を出し、家を滅ぼす者も多い。さてこのように総じてことのほか奢りが増長しているけれども、これは天下一同のことであるので、それが普通になって奢りというようにも見えず、めいめい自分でも奢りであるということに気づかず、もとからこのようにあるべきもののように思っているのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 気づかぬ過分富める町人抔は猶更の事也。然れ共、是天下一同の事なる故に、各分際に過たりと云事をみづからも覚えず、元より箇様に有べき筈の物とのみ心得居る也。
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『秘本玉くしげ』上 身分の奢り身分を重重敷するは、奢りとは別の事の様なれ共、是即大なる奢り也。其中に平人の奢りは、其身一分ぎりの事のみにては害の他に及ぶ事はなきを、上たる人の奢りは、其害領内に及ぶ事也。惣体治平の代久しく続く時は、いつとなく世上物事華美に成て、漸漸に人の身持も重重敷なる事なるを、時時に是を押へずして捨置時は、年年月月に長し行て際限なく、次第次第に世上困窮に及びて、竟に如何敷事の起る也。
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『秘本玉くしげ』上 質素は続かずその中に、たまたま世上奢の長じぬる事に心づきて、物事質素を心がくるものもあれ共、世間並をはづれては、却て変なるやうに云なされ、人にわろく思はるるによりて、せんかたなくおのづから世間にしたがふ事多き故に、これもおごりをまぬかるる事能はず。又時時倹約倹約といひたてて省略する事共もあれ共、或は省略すまじき事をまづ省略し、或は止めてもさのみ為にもならぬ事を止などして、惣体の奢は相替らず。又しばらく倹約を加へても、世間みな然るにあらざれば、世間につれて又いつのほどにかゆるみて、本のごとくになりなどして、すべて質素にかへる事はつゆほどもなくて、年年月月に世上華美にのみなりゆくほどに、貧しき者も世上につれて、おのづから物入多く困窮する者のみ多き也。さて世間のおごりにつきては、商事もおほく、世のにぎはひにもなりて、金銀融通すれば、さのみ困窮はすまじきやうなるものなれ共、左様にはあらず。
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『秘本玉くしげ』上 商人の友つぶれ上中下共に身分不相応におごりて、内証は困窮なるゆゑに、商事は多くても、買たる物のあたゐを得出さざる者殊の外多く、又借たる金銀を返さざる者おほきゆゑに、売者貸者利を得ることなりがたくて損をする事おほく、又世上の惣体の商は多けれ共、百姓の商人になるが多くて、商人の数次第に多きゆゑに、手まへ手まへの一分の商高は多からず。商高少なくては渡世になりがたきゆゑに、しひて多くせんとすれば、掛損などに多くなりて、又困窮に至る。さて町人は、内証は困窮しながらも、百姓よりは身を労する事もすくなく、又百姓よりは奢てとほるものゆゑに、百姓はこれをうらやみて、とかく町人になる事を願ふもの多し。それ故に商人は年年に多くなりて、友つぶれになる也。さて又、世上の奢甚しきゆゑに、其奢のすぢに用るもろもろの物おびただしく、それに人の手間をつゐやす事もおびただしき也。
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『秘本玉くしげ』上 奢りは法で止まらず然れば、これをよきほどにせんと思ふときは、万事を大にそぎすてて、狂人かと人に笑はるるほどに落さざれば、おのおの身分相応の所へは当りがたし。然れども、さほどまでにはとてもおとしがたきものにて、たとひ自分一人は人にかまはず右の如くにおとしても、家内までにも行とどきがたく、又上よりいかほど厳しく命令を下しても、これを制せられても、時世の勢は中中防ぎがたく、人力の及びがたきところあるもの也。たとひしばらくは命令に恐れてこれを慎しむやうにても、末とげがたく、又うはべは命令を守るやうにても、内内にては皆これを破る。衣服の制などみな然也。又一国ぎりこれを制しても、天下一同ならざれば、その制立がたき事も多し。又惣体表向へは出ざる家内のこまかなる事の奢の甚しきを、一つ一つ吟味をとげてこれを禁ずべき由なければ、とにかくに此世上一同の華美おごりは、いかやうにしても俄には停めがたく、年年月月に長じゆくばかり也。
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『秘本玉くしげ』上 分限相応町人はこれによりて多くの利を得る、それだけ武家に損ある事は目に見えたれども、困窮の節など、さしあたりて便宜なるによりて、損をば知ながら皆申付る事也。然れども、これはみな富者のうけたまはりてする事なれば、ますます富を重ねさせて、武家には損あることなれば、なるべきだけは無用にせまほしき事也。人は何事も、その身の分際相応にするがよき也。分限に過て奢るがわろき事は申すに及ばず、又あまり降して軽くするも正道にはあらず。大名は大名相応に御身を持玉ふよし。質素がよきとて、下下の武士の如く御身を持玉ふべきにもあらず。次に其下にたつ武士も、又その相応相応がよし。百姓町人も、又その身上相応に身を持が宜しき也。すべて事を軽くするがよろしとても、又あまり身持かろがろしければ、それに応じておのづから心も万の行ひも、いやしく軽軽しくなりて、上にたつ人などは殊によからぬ事多きもの也。
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