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玉勝間 / 十四の巻 一言一行によりて人の善き悪しきを定むる事

人のただ一言ただ一行によりて、其人のすべての善き惡きを、定め云ふは、から書の常なれども、これいとあたらぬ事なり。すべて善き人といへども、稀れにはことわりにかなはぬしわざも、交らざるにあらず。惡しき人といへども、善きしわざも交るものにて、生るかぎりのしわざ、ことごとに善き惡き一かたに定まれる人は、をさをさ無きものなるを、いかでかは唯だ一言一行によりては定むべき。

新字:人のただ一言ただ一行によりて、其人のすべての善き悪きを、定め云ふは、から書の常なれども、これいとあたらぬ事なり。すべて善き人といへども、稀れにはことわりにかなはぬしわざも、交らざるにあらず。悪しき人といへども、善きしわざも交るものにて、生るかぎりのしわざ、ことごとに善き悪き一かたに定まれる人は、をさをさ無きものなるを、いかでかは唯だ一言一行によりては定むべき。

書き下し

人のただ一言ただ一行によりて、その人のすべての善き悪しきを、定め云うは、から書の常なれども、これいとあたらぬ事なり。すべて善き人といえども、稀れにはことわりにかなわぬしわざも、交じらざるにあらず。悪しき人といえども、善きしわざも交じるものにて、生けるかぎりのしわざ、ことごとに善き悪しき一かたに定まれる人は、おさおさ無きものなるを、いかでかはただ一言一行によりては定むべき。

現代語訳

人のたった一言、たった一つの行いによって、その人のすべての善し悪しを決めつけて言うのは、中国の書物の常であるが、これはまったく当たらないことである。およそ善い人といっても、まれには道理にかなわない振る舞いが交じらないわけではない。悪い人といっても、善い振る舞いも交じるもので、生きている限りの行いが、何から何まで善か悪かの一方に決まっている人は、ほとんどいないものなのに、どうしてただ一言一行によって決めることができようか。

解説

一言一行でその人の善悪すべてを決めつけるのは中国の書物の常だが、それは当たらない、と説く段である。善人にも道理に外れた行いはあり、悪人にも善い行いは交じる。生涯の行いがすべて善か悪かに振り分けられる人などほとんどいない。宣長はこの考えをこの巻でたびたび持ち出し、後の段では『論語』で孔子が、隣家から酢を借りて人に与えた微生高を「直ではない」と断じた話を取り上げて、同じ理由で批判している。儒学は人物を道徳的に格付けし、史書の論賛でも一つの行為から人となりを断じることが多い。人を善悪の型にはめずに、ありのままの揺れを認めよという主張である。一つの失言や失敗でその人の全体を裁きがちな今の世にも、そのまま響く言葉である。

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