論語 / 公冶長篇
子曰:「孰謂微生高直?或乞醯焉,乞諸其鄰而與之。」
新字:子曰:「孰謂微生高直?或乞醯焉,乞諸其鄰而与之。」
書き下し
子曰く、孰か微生高を直と謂う。或るひと醯を乞う。諸を其の鄰に乞いて之を与う。
現代語訳
先生がおっしゃった。「誰が微生高を正直者だと言ったのか。ある人が酢を分けてほしいと言ってきたとき、彼は隣家からもらってきて渡したというではないか。」
解説
一見すると親切な行いである。自分の家に酢が無かったので、わざわざ隣から調達して相手に渡した。それのどこが問題なのか。孔子が咎めたのは、無いものを無いと言わなかったことである。相手の期待に応えたい、断って落胆させたくない。その気持ちが、事実を曲げるほうへ働いた。頼んだ側は、微生高の家に酢があると思ったままである。小さな話に見えるが、構造は仕事の中で繰り返される。できないと言えずに引き受け、外注で埋めて納品する。相手は自社にその能力があると信じ続け、次はもっと大きな依頼が来る。善意で始まった上乗せが、いつのまにか実力の誤認を積み上げる。正直とは、いい人であることではない。無いものを無いと言えることである。
この章句が説くこと
正直見栄微生高誠実期待管理
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