玉勝間 / 十四の巻 日食月食
もろこしの聖人、日食月食の故をだにえはかり知らで、わざはひとしたるもをかし。
書き下し
もろこしの聖人、日食月食の故をだにえはかり知らで、わざわいとしたるもおかし。
現代語訳
中国の聖人が、日食や月食の理由さえ推し量ることができずに、それを災いとしたのも滑稽である。
解説
中国の聖人たちが、日食や月食の起こる理由も分からずにそれを災いの兆しとしたことを、滑稽だと一言で評した短い段である。儒教では、日食や月食は君主の徳の乱れに対する天の警告とされ、史書にも天変として記録された。しかし江戸時代には西洋の天文学が伝わり、日食や月食は天体の運行によって起こり、暦の計算で予測できることが知られていた。宣長の皮肉は、万事に理屈を立てる聖人が、実は天地の仕組みを知らなかったことに向けられている。一方で宣長は、人の知恵には限りがあり、分からないことは神の御しわざだとする立場を取る。聖人の知を絶対視する儒者への批判として読むべきであろう。立派とされる人の説明でも、知識の進歩によって覆ることがある。
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