玉勝間 / 十四の巻 柑子はじめて渡り来し事
續紀に、神龜二年十一月、中務小丞從六位上佐味朝臣虫麻呂、典鑄正正六位上播磨直弟兄、並授從五位下、弟兄初資甘子從唐國來、虫麻呂先殖其種結子、故有此授焉と見えたる、甘子は柑子なり。
新字:続紀に、神亀二年十一月、中務小丞従六位上佐味朝臣虫麻呂、典鋳正正六位上播磨直弟兄、並授従五位下、弟兄初資甘子従唐国来、虫麻呂先殖其種結子、故有此授焉と見えたる、甘子は柑子なり。
書き下し
続紀に、神亀二年十一月、中務の少丞従六位上佐味朝臣虫麻呂、典鋳の正正六位上播磨の直弟兄、並びに従五位下を授く、弟兄初めて甘子を唐国より資ち来たり、虫麻呂先ずその種を殖えて子を結ばしむ、故にこの授有りと見えたる、甘子は柑子なり。
現代語訳
『続日本紀』に、「神亀二年十一月、中務少丞で従六位上の佐味朝臣虫麻呂と、典鋳正で正六位上の播磨直弟兄に、ともに従五位下を授けた。弟兄は初めて甘子を唐から持って来て、虫麻呂が先にその種を植えて実を結ばせた。それゆえこの位の授与があった」と見える。この甘子とは柑子(こうじみかん)のことである。
解説
柑子(こうじ)という柑橘が唐から初めてもたらされた記録を『続日本紀』から抜き出した段である。神亀二年(七二五年)、唐から実を持ち帰った播磨直弟兄と、その種を植えて実らせた佐味虫麻呂が、そろって従五位下を授けられた。従五位下は貴族の仲間入りを意味する位であり、新しい果樹を根づかせたことがそれほど重んじられたのである。宣長はこの巻の後の段で、古の橘よりも今の蜜柑がはるかに勝ると述べており、柑橘の来歴への関心がうかがえる。名前が「甘子」と書かれていても実は「柑子」だと一言添えるのは、同じ物を指す別の字を見抜く国語学者の目である。新しい品種を根づかせることは、今でいう技術の導入であり、その手柄を評価する仕組みがすでにあった。
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