玉勝間 / 十四の巻 百済国をして天降て国を建給へる神を祀らしむる事
同欽明天皇ノ御卷に、十六年春二月、百濟王子餘昌、遣王子惠奏曰、聖明王爲賊見殺云云、蘇我臣間訊日云云、惠報答之曰云云、蘇我卿曰、昔在天皇大初瀨之世、汝國爲高麗所遁、危甚累卵於是天皇、命神祇伯、敬受策於神祇祝者廼託神語報曰、屈請建邦之神、往救將亡之主、必當國家認靖、人物又安、由是請神往救、所以社稷安寧、原夫建邦神者、天地割判之代、草木言語之時、自天降來造立國家之神也、頃聞汝國輟而不祀、方今悛悔前過、修理神宮、奉祭神靈、國可昌盛、汝當莫忘、と見えたる。この言、何れの國いづれの時にもわたりて、いと尊きさとしなり。自天降來造立國家之神とは、須佐之男ノ命なるべし。神代、御卷に、かの命韓國に天降坐シしよし見えたり。
新字:同欽明天皇ノ御巻に、十六年春二月、百済王子余昌、遣王子恵奏曰、聖明王為賊見殺云云、蘇我臣間訊日云云、恵報答之曰云云、蘇我卿曰、昔在天皇大初瀨之世、汝国為高麗所遁、危甚累卵於是天皇、命神祇伯、敬受策於神祇祝者廼託神語報曰、屈請建邦之神、往救将亡之主、必当国家認靖、人物又安、由是請神往救、所以社稷安寧、原夫建邦神者、天地割判之代、草木言語之時、自天降来造立国家之神也、頃聞汝国輟而不祀、方今悛悔前過、修理神宮、奉祭神霊、国可昌盛、汝当莫忘、と見えたる。この言、何れの国いづれの時にもわたりて、いと尊きさとしなり。自天降来造立国家之神とは、須佐之男ノ命なるべし。神代、御巻に、かの命韓国に天降坐シしよし見えたり。
書き下し
同じく欽明天皇の御巻に、十六年春二月、百済の王子余昌、王子恵を遣わして奏して曰く、聖明王賊の為に殺されぬと云云、蘇我臣問い訊ねて曰く云云、恵報え答えて曰く云云、蘇我卿曰く、昔天皇大初瀬の世に在りて、汝が国高麗の為に逼められ、危うきこと累卵よりも甚だし。ここに天皇、神祇伯に命じて、敬みて策を神祇に受けしむ。祝者すなわち神語に託けて報えて曰く、建邦の神を屈請して、往きて亡びんとする主を救わば、必ず国家謐靖にして、人物また安からんと。是に由りて神を請いて往きて救う。社稷の安寧なる所以なり。原ぬるにそれ建邦の神は、天地割け判るるの代、草木言語せし時に、天より降り来たりて国家を造り立てし神なり。頃聞く、汝が国輟めて祀らずと。方に今前の過ちを悛め悔いて、神宮を修理し、神霊を祭り奉らば、国昌盛なるべし。汝当に忘るること莫かるべし、と見えたる。この言、いずれの国いずれの時にもわたりて、いと尊きさとしなり。天より降り来たりて国家を造り立てし神とは、須佐之男の命なるべし。神代の御巻に、かの命韓国に天降り坐ししよし見えたり。
現代語訳
同じ欽明天皇の巻に、十六年春二月、百済の王子余昌が王子恵を遣わして奏上して言うには、「聖明王が賊に殺されました」云々。蘇我臣(稲目)が問いただして云々、恵が答えて云々。蘇我卿が言うには、「昔、天皇が大泊瀬(雄略天皇)の御代にあったとき、そなたの国は高句麗に攻め立てられ、その危うさは卵を積み重ねたよりも甚だしかった。そこで天皇は神祇伯に命じて、つつしんで神々から策を授からせた。祝者が神の言葉に託して答えて言うには、『国を建てた神に礼を尽くしてお出ましを願い、行って滅びようとしている君主を救えば、必ず国家は静まり、人々もまた安らかになるであろう』と。これによって神にお出ましを願い、行って救ったのである。これが(百済の)国家が安寧であった理由である。そもそも国を建てた神とは、天地が分かれた時代、草木がものを言った時に、天から降って来て国家を造り立てた神である。聞くところでは、近ごろそなたの国はその祭りをやめて祀らないという。今こそ前の過ちを改め悔いて、神の宮を修理し、神霊をお祭り申し上げれば、国は栄えるであろう。そなたはこのことを決して忘れてはならない」と見える。この言葉は、どの国どの時代にもあてはまる、たいへん尊い教えである。「天から降って来て国家を造り立てた神」とは、須佐之男命であろう。神代の巻に、この命が韓国に天降りなさったことが見えている。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』十四の巻 こまのこきしを神子と詔り給へる事同じく孝徳天皇の御巻、高麗国の使に詔える大命に、明神と御宇す日本天皇の詔旨、天皇の遣わす所の使と、高麗の神の子の奉遣する所の使と云云、かの国王を、神の子とのたまえり。これも神とは、はじめ国を建てし神を云いて、子はその末のよしか、はた御みずから明神と詔えるに対えて、天皇の子と、親しみて詔えるか。いずれにまれ漢文の詔に、めずらしくおむかしき称にぞ有りける。
-
『玉勝間』十四の巻 書紀ノ欽明天皇の御巻の事書紀の欽明天皇の御巻、二年五の葉に、夏四月安羅云云、と云う所より、五年十九のひらの、深く思いて熟計らざるべけんや、と云うまでのあいだは、ただ百済王が、任那国をおこし建てむと云う沙汰をのみ、その詞どもまで、つぶさに記して、他事とては、いささかも無く、すべて十五張が程、何のようも無き徒らごとなり。かかる事を、くだくだしくいと長々と記されたるは、いかなる心ぞや、件の十五ひらの間に、九のひらに、秋七月百済云云と云うより、十の葉の、あに云うに足らんやと云うまで、半張余りのみは、記さるべき事にて、これをおきて余は、みな去りても可かるべし。おのれこの御巻を読むごとに、ここのいとうるさく、物うく覚ゆるなり。人はいかに思うらむ、聞かまほし。
-
『玉勝間』一の巻 又漢国にも、神あることを、むげに知らざるにもあらず、尊みもし祀りもすめるは、まことの伝えの、かたはしは有りしならむ。然れどもこの天地をはじめ給い、国土万の物を造りなし給い、人の道をも万の事をも始め給い、世の中のよろづの事をしり行い給う神たちのまします事をば、すべてえ知らずして、これらの重く大きなる事には、ただ天をのみ云いて、ただかたわらなる小さき事にのみ、神をば云いて、この世を照らし給う日の大御神をすら、かろがろしく、ことなる事も無き物の如くして、この神をもとも畏れ尊み奉るべきことをだに知らざるは、いとあさましきわざなりかし。
-
『玉勝間』十二の巻 神社修造の勅命同じ紀に、貞観六年六月廿七日辛亥、勅して曰く、去年七月廿五日、五畿并びに伊賀・伊勢・志摩・遠江・相模・上総等の国に頒ち下す、云う。国家を鎮護し、災害を消伏するは、尤もこれ神祇を敬い、祭礼を欽むの致す所なり。是を以て格制頻りに下し、警告慇懃なり。今諸国の牧宰、制旨を慎まず、専ら神主・禰宜・祝等に任せ、神社をして破損し、祭礼疎慢ならしむ、神明是に由りて祟りを発し、国家此を以て災いを招く。今神社をして一時に新たに華飾を加えしめんと欲するに、而るに月を経年を踰えて、未だ修造有らず、宜しく早く修飾を加え、重意を致すこと勿かるべし。
-
『玉勝間』一の巻 中臣寿詞大嘗会の中臣寿詞と云う文あり。宇治の左大臣頼長公の台記の、康治元年の大嘗会の別記に載せられたり。その文、現御神と大八島国知ろしめす大倭根子天皇が御前に、天つ神の寿詞を称辞定め奉らくと申す。高天原に神留まり坐す皇親神漏岐・神漏美の命を持ちて、八百万の神等を集え賜いて、皇孫尊は高天原に事始めて、豊葦原の瑞穂の国を安国と平らけく知ろしめして、天つ日嗣の天つ高御座に御坐して、天つ御膳を長御膳の遠御膳と、千秋の五百秋に、瑞穂を平らけく安らけくゆにわに知ろしめせと事依さし奉りて、天降り坐しし後に、中臣の遠つ祖天児屋根命、皇御孫尊の御前に仕え奉りて、天忍雲根神を天の二上に上せ奉りて、神漏岐・神漏美命の前に受け給わり申すに、皇御孫尊の御膳つ水を、うつし国の水に天つ水を加えて奉らむと申せと、事教え給いしに依りて、天忍雲根神、天の浮雲に乗りて、神漏岐・神漏美命の前に申せば、天の玉櫛を事依さし奉りて、この玉櫛を刺し立てて、夕日より朝日の照るに至るまで、天つ詔戸の太詔刀言を以ちて告れ。かく告らば、まちは弱韮にゆつ五百篁生い出でむ。その下より天の八井出でむ。これを持ちて天つ水と聞こしめせと事依さし奉りき。かく奉りし任々に聞こしめすゆにわの瑞穂を、四国の卜部等、太兆に卜事を持ちて仕え奉る、悠紀に近江国野洲、主基に丹波国氷上を斎い定めて、
-
『玉勝間』十二の巻 事代主ノ神と建御名方ノ神との御事事代主の神と建御名方の神とは、ともに大国主の神の御子にて、ことに威勢盛りなる神におわせしを、事代主の神は、天つ神の詔命をかしこみて、すみやかに服い給いて、永く皇御孫の命のやんごとなき守り神として、大倭の国に、飛鳥・高市・葛城など、所々に鎮まり坐して、朝廷より重く社り給い、神祇官の八柱の神の中にも、祭り給えり。建御名方の神は、大命にしたがい給わざりしを、信濃の国の諏訪まで、追い攻めて、殺さむとせし時に、この処をおきて他処には行かじ、命たすけ給えと、のみ申し給えりき。さればこそ建御名方の神は、古には、かの信濃の諏訪・水内などをはなちて、他には祭る社もおさおさ聞えざりしか。然るに今の世の中には、諏訪と号けて、この神を祭る社、国々にここかしこに有りて信濃なるは更にも云わず、その社いずれも、ほどほどに栄え給うを、事代主の神を祭る社は、古のも皆衰え給い、その外には、後にいわえる社も、おさおさ聞えざるなり。そもそも天つ神の詔命にしたがい給いて、朝廷の御守り神となり給える神の御社は、みな然おとろえ坐して、詔命にしたがい給わざりし神の御社しも、多くなりて、栄えますは、如何なる事にか有らむ。神の御しわざは、世にことわりはかり難き物にぞ有りける。されどこは、いささか思い合わさるる事、無きにしもあらずなむ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る