玉勝間 / 七の巻 仏名の野伏
歷代編年集成云、承和五年、天皇十二月寒夜天、覺眠之時、側有講佛名經之音、不知何方、于時令賜寮御馬、召藏人、早就此音、可尋其處、聞音只同、前路眇眇、尋行大原邊、猶無其處、仍至比良山麓、有一僧庵、尋子細之處、答云、我號淨安大德者也、一年中之間所作罪障、以之令消滅也、仍轉讀、歸參奏由、重召伴僧、令行御佛名、而僧一口不足之處、一人僧、臥內野芝上、相尋處、僧云、可被行御佛名之由傳承、爲聽聞欲參、待日暮、暫臥是之芝上、即召此僧畢、號野臥是也、淨安遂被補律師。
新字:歴代編年集成云、承和五年、天皇十二月寒夜天、覚眠之時、側有講仏名経之音、不知何方、于時令賜寮御馬、召蔵人、早就此音、可尋其処、聞音只同、前路眇眇、尋行大原辺、猶無其処、仍至比良山麓、有一僧庵、尋子細之処、答云、我号浄安大徳者也、一年中之間所作罪障、以之令消滅也、仍転読、帰参奏由、重召伴僧、令行御仏名、而僧一口不足之処、一人僧、臥内野芝上、相尋処、僧云、可被行御仏名之由伝承、為聴聞欲参、待日暮、暫臥是之芝上、即召此僧畢、号野臥是也、浄安遂被補律師。
書き下し
歴代編年集成に云う、承和五年、天皇十二月の寒夜天、覚眠の時、側に仏名経を講ずるの音有り、何方なるかを知らず、時に寮の御馬を賜わしめ、蔵人を召して、早くこの音に就きて、その処を尋ぬべしと、音を聞くにただ同じ、前路眇々たり、尋ね行きて大原の辺に、なおその処無し、仍りて比良山の麓に至るに、一僧の庵有り、子細を尋ぬるの処、答えて云う、我は浄安大徳と号する者なり、一年中の間所作の罪障、之を以て消滅せしむるなり、仍りて転読すと、帰参して由を奏す、重ねて伴僧を召して、御仏名を行わしむ、而るに僧一口足らざるの処、一人の僧、内野の芝の上に臥す、相尋ぬる処、僧云う、御仏名を行わるべきの由伝え承る、聴聞の為に参らんと欲し、日の暮るるを待ちて、暫くこの芝の上に臥すと、即ちこの僧を召し畢んぬ、野臥と号するはこれなり、浄安遂に律師に補せらる。
現代語訳
歴代編年集成に次のようにある。承和五年、天皇(仁明天皇)が十二月の寒い夜に目を覚まされたとき、そばで仏名経を講ずる声が聞こえた。どこからとも分からない。そこで馬寮の御馬を与え、蔵人を召して、「すぐにこの声をたどって、その場所を尋ねよ」と命じられた。声を聞くとただ同じように聞こえるばかりで、行く手ははるかに遠い。尋ねて大原のあたりまで行ったが、なおその場所はない。そこで比良山の麓に至ると、一人の僧の庵があった。わけを尋ねると、僧は答えて、「私は浄安大徳と名のる者である。一年の間に犯した罪障を、これによって消滅させるのである。それで経を転読している」と言った。蔵人は帰参してそのことを奏上した。重ねてその伴の僧たちを召して、宮中で御仏名会を行わせた。ところが僧が一人足りなかったところ、一人の僧が内野(大内裏の跡の野)の芝の上に寝ていた。尋ねると、僧は「御仏名会が行われると伝え聞き、聴聞のために参ろうと思い、日が暮れるのを待って、しばらくこの芝の上に寝ていたのだ」と言った。すぐにこの僧を召した。「野臥(のぶし)」と名づけるのはこれである。浄安はついに律師に任じられた。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 御仏名のはじまり同紀に承和五年十二月乙酉朔己亥、天皇清涼殿に於いて、仏名懺悔を修す。限るに三日三夜を以てす。律師静安、大法師願安実敏願定道昌等、遞いに導師と為る。内裏の仏名懺悔、此より始まると見ゆ。然るに一代要記に、淳和天皇の御世より始まると云い、公事根源に、宝亀五年よりと云えるなどは、ひがことなるべし。三代実録に貞観十八年六月廿一日丙寅、一万三千の仏像、二十九鋪、各広さ五幅、高さ一丈六尺、東海山陰南海、三道の諸国に分かち置く。国別に一鋪。是より先元興寺の僧賢護牒解を申す。先師故律師伝灯大法師位静安、承和年中、国家に勧め奉り、仏名を礼拝し、始めて内裏に行い、漸く人間に遍く、遂に諸国に詔して並びに勤修せしむ。云云、望み請うらくは、内裏及び諸国に分かち置き、御願懺悔の会に至る毎に、真容を展張し、前に於いてこれを修せんことを、その請う所を許す。
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『玉勝間』七の巻 かづけ綿また延喜の御宇、仏名の僧、寒夜不便なり。御下襲を三つに切りて、臂の上に横たえ重ねらる、それより以降、模して白き横臂を着けらるるなり、その後勅して云う、左の肩寒かるべし、仍りて綿を被くるなり、已に流例と為りて絶えず、ただし近代毎事不法か。
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『玉勝間』十三の巻 神社にてほうしをして仏の経をよましむる事同紀に、斉衡元年四月、伝灯大法師位智戒興智真秀、伝灯法師位明昭玄永、伝灯満位僧基蔵基秀を遣わし、七道諸国の名神社に向かい、般若を転読せしむ、民の福を祈るなり。また同三年九月、僧を賀茂松尾大神社に請い、金剛般若経を読ましむ、三日を限りて訖う。また天安元年五月にも、同じ事あり。すべてかかるたぐいの事は、いかなる事にか有りけむ。
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『玉勝間』十三の巻 灌仏のはじまり同紀に承和七年四月丙午朔癸丑、律師伝灯大法師静安を清涼殿に請い、始めて灌仏の事を行う。
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『玉勝間』十三の巻 方違の事同紀に、貞観七年八月廿一日、天皇東宮より遷りて、太政官の曹司庁に御す、来たる十一月、将に内裏に遷御せんとするが為なり。この時に当たりて、陰陽寮言す、天皇の御本命は庚午、是の年の御絶命は乾に在り、東宮より内裏を指すに直に乾なり、故にこれを避くるなり、云云、これいわゆるかたたがえなり。
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『玉勝間』十二の巻 平家物語をかたる事盲者撿校の名同じ記に、嘉吉四年(文安元)四月七日、勧修寺右兵衛権佐の亭に詣ず、只今誓願寺の勧進平家を聞かんが為、罷り出ずべし、同道すべきの由、命ぜらるるの間、伴い参る、左中弁同じく出でらる、皆歩行なり。予連歩を奉る、誓願寺の奥、心阿弥陀仏の御堂これ有り。珍一検校、重一検校、今月三日よりこれを始む、而るに重一声損ずるの間、今日本一これを語る、とあり。心の字は、於を誤れるなるべし。
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