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玉勝間 / 十三の巻 花の宴

類聚國史に、弘仁三年二月辛丑、幸神泉苑、覽花樹、命文人賦詩、賜綿有差。花宴之節、始於此矣また同六年二月庚午、幸神泉苑花宴。命文人賦詩、侍臣及文人賜綿有差。

新字:類聚国史に、弘仁三年二月辛丑、幸神泉苑、覧花樹、命文人賦詩、賜綿有差。花宴之節、始於此矣また同六年二月庚午、幸神泉苑花宴。命文人賦詩、侍臣及文人賜綿有差。

書き下し

類聚国史に、弘仁三年二月辛丑、神泉苑に幸し、花樹を覧て、文人に命じて詩を賦せしめ、綿を賜うこと差有り。花宴の節、此に始まるまた同六年二月庚午、神泉苑に幸して花宴す。文人に命じて詩を賦せしめ、侍臣及び文人に綿を賜うこと差有り。

現代語訳

『類聚国史』に、「弘仁三年二月辛丑、嵯峨天皇が神泉苑に行幸して花の咲いた木々を御覧になり、文人に命じて詩を作らせ、身分に応じて綿を賜った。花宴の節会はここに始まる」、また「同六年二月庚午、神泉苑に行幸して花宴を催された。文人に命じて詩を作らせ、侍臣と文人に身分に応じて綿を賜った」とある。

解説

宮中の「花の宴」の始まりを示す記事を写した段である。弘仁三年(812)、嵯峨天皇は平安京の禁苑である神泉苑に行幸して花を観賞し、文人に漢詩を作らせた。これが花宴の節会の始まりとされ、しばしば日本の花見の起源とも言われる。嵯峨天皇は漢詩文を重んじ、『凌雲集』などの勅撰漢詩集を編ませた天皇で、ここでも詠まれたのは和歌ではなく漢詩であった。『源氏物語』の「花宴」の巻に描かれる宮中の宴も、この伝統の上にある。宣長は論評を加えていないが、年中行事の起源を正史で確かめる作業の一つとして書き留めたのであろう。花を愛でて詩歌を詠むという日本人の楽しみにも、はっきりした始まりがあったのである。

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