玉勝間 / 十三の巻 信濃国の或村村の神事にうたふ歌
ある人の云はく、しなのの國の、天龍川の河上なる、川村和田きさはなど云ふ里里の神事に、湯釜に湯をわかしたぎらせて、そのめぐりに、幣を立おきて、夜更けて、その釜のほとりに、里人男女、老たる少き打交りつどひて、その幣をとり持て、うたふ歌。おゆめすときのな、おみかげこぐそ〓〓、やくもだのぼれ〓〓、
新字:ある人の云はく、しなのの国の、天竜川の河上なる、川村和田きさはなど云ふ里里の神事に、湯釜に湯をわかしたぎらせて、そのめぐりに、幣を立おきて、夜更けて、その釜のほとりに、里人男女、老たる少き打交りつどひて、その幣をとり持て、うたふ歌。おゆめすときのな、おみかげこぐそ〓〓、やくもだのぼれ〓〓、
書き下し
ある人の云わく、しなのの国の、天竜川の河上なる、川村和田きさわなど云う里里の神事に、湯釜に湯をわかしたぎらせて、そのめぐりに、幣を立ておきて、夜更けて、その釜のほとりに、里人男女、老いたる少き打ち交じりつどいて、その幣をとり持ちて、うたう歌。おゆめすときのな、おみかげこぐそ〓〓、やくもだのぼれ〓〓、
現代語訳
ある人が言うには、信濃の国の天竜川の上流にある、川村・和田・きさわなどという村々の神事では、湯釜に湯を沸かしてたぎらせ、そのまわりに幣を立てておき、夜が更けてから、その釜のそばに村の男女が老いも若きも入り交じって集まり、その幣を手に取り持って歌う歌がある。「おゆめすときのな、おみかげこぐそ(繰り返し)、やくもだのぼれ(繰り返し)」。
解説
信濃の天竜川上流の村々で行われる湯立ての神事と、そこで歌われる歌を書き留めた段である。釜で湯を沸かし、幣を立て、夜更けに村人が老若男女で集まって幣を手に歌うという。これは今日、遠山郷の霜月祭りなどとして知られる湯立神楽の一種と考えられる。書き留められた歌詞は意味の取りにくい古い言葉で、神の降臨や雲が立ち昇るさまを歌うものかと思われるが、宣長も解釈を加えず、聞いたままを記録している。意味が分からないものを無理に解かず、まず正確に書き残すことが、後の研究の土台になる。地方の祭りの中に生き残る古い言葉と信仰の形に、宣長は古代の神事の面影を見ていたのであろう。
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