論語 / 郷党篇
鄉人飮酒,杖者出,斯出矣。鄉人儺,朝服而立於阼階。
新字:郷人飲酒,杖者出,斯出矣。郷人儺,朝服而立於阼階。
書き下し
郷人の飲酒には、杖者出づれば、斯に出づ。郷人の儺には、朝服して阼階に立つ。
現代語訳
村里の酒宴では、杖をついた老人が退出してから、はじめて退出された。村里の疫病払いの行事では、礼服を着けて東の階段に立たれた。
解説
二つとも、村の共同体での振る舞いである。酒宴では、年長者より先に帰らない。孔子ほどの人物なら、忙しさを理由に先に帰っても誰も咎めない。それでも順序を守った。順序を守ることが、その場の秩序を実際に支えているからである。誰か一人が先例を作れば、次の宴では若い者から帰り始める。後半は儺、つまり民間の疫病払いの行事に、礼服で参加した記録である。孔子は怪力乱神を語らなかった人だが、村の行事は否定しなかった。信じるかどうかと、共同体の営みに参加するかどうかは別だという態度である。組織の中でも、意味を疑っている行事に、どう関わるかという問題は起きる。参加しないのは簡単だが、その場を支えている人たちとの関係は失われる。
この章句が説くこと
民俗共同体順序参加態度行事
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