玉勝間 / 十三の巻 出雲国意宇郡神魂ノ神社
出雲ノ國意宇ノ郡大庭村に、神魂社と云ふ有リ。年ごとの十一月に、國造此社に來て、新嘗祭あり。其時熊野ノ社より、火きり臼火きり杵を、國造に奉る。火きり臼と云ふは、檜の板なり。火きりぎねは、空木なりとぞ。熊野ノ社に、賴朝ノ卿の御〓書とてあり。出雲、國一ノ宮、熊野天照大神、日本火出初ノ之社也。禁裏正月七日御祭事火上、社別當就罷出、意宇郡熊野庄、五百貫、井山川共、令寄附訖と有リ。此外にも、古き文書數通ありとぞ。さて件の神魂社は、古、國造の本居にて、その由緒を以て、今の世にいたるまでも、國造みまかられて、其子跡をつがるるに、必ず此社に來て、國造になりて、杵築に歸らるるなりと、かの社の神主、秋上氏の物語なり。
新字:出雲ノ国意宇ノ郡大庭村に、神魂社と云ふ有リ。年ごとの十一月に、国造此社に来て、新嘗祭あり。其時熊野ノ社より、火きり臼火きり杵を、国造に奉る。火きり臼と云ふは、檜の板なり。火きりぎねは、空木なりとぞ。熊野ノ社に、頼朝ノ卿の御〓書とてあり。出雲、国一ノ宮、熊野天照大神、日本火出初ノ之社也。禁裏正月七日御祭事火上、社別当就罷出、意宇郡熊野庄、五百貫、井山川共、令寄附訖と有リ。此外にも、古き文書数通ありとぞ。さて件の神魂社は、古、国造の本居にて、その由緒を以て、今の世にいたるまでも、国造みまかられて、其子跡をつがるるに、必ず此社に来て、国造になりて、杵築に帰らるるなりと、かの社の神主、秋上氏の物語なり。
書き下し
出雲の国意宇の郡大庭村に、神魂社と云う有り。年ごとの十一月に、国造この社に来て、新嘗祭あり。その時熊野の社より、火きり臼火きり杵を、国造に奉る。火きり臼と云うは、檜の板なり。火きりぎねは、空木なりとぞ。熊野の社に、頼朝の卿の御〓書とてあり。出雲の国一の宮、熊野天照大神、日本火出初の社なり。禁裏正月七日御祭事の火の上、社の別当罷り出ずるに就きて、意宇郡熊野庄、五百貫、并びに山川共に、寄附せしめ訖んぬと有り。この外にも、古き文書数通ありとぞ。さて件の神魂社は、古国造の本居にて、その由緒を以て、今の世にいたるまでも、国造みまかられて、その子跡をつがるるに、必ずこの社に来て、国造になりて、杵築に帰らるるなりと、かの社の神主、秋上氏の物語なり。
現代語訳
出雲の国意宇郡大庭村に神魂社というものがある。毎年十一月に国造がこの社に来て新嘗祭がある。その時、熊野大社から火鑽臼と火鑽杵を国造に奉る。火鑽臼というのは檜の板である。火鑽杵はウツギの木だという。熊野大社に、源頼朝卿の御判物(寄進状)というものがある。「出雲の国の一の宮、熊野天照大神は、日本で最初に火を出した社である。宮中の正月七日の御祭事の火の役について、社の別当が参上するので、意宇郡熊野庄五百貫、ならびに山川ともに寄附した」とある。このほかにも古い文書が数通あるという。さて、この神魂社は古の国造の本拠で、その由緒によって、今の世に至るまでも、国造が亡くなってその子が跡を継がれるときには、必ずこの社に来て国造となってから杵築(出雲大社)に帰られるのだと、その社の神主秋上氏の話である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 出雲の大社の御事出雲の大社、建久のはじめの頃、鎌倉より、庄園に課役をおおせて、改め造らる。その後又嘉禄のころ、先の例によりて、課役をおおせて、造られむとせしに、御殿の柱に虫くいの文字あり。見れば、大いに傾き傾く物に居るは、朕が素意に非ず、若し人徳に帰せば、高木に栖みて足らんと有り、国造出雲の臣政孝、国司右衛門尉昌綱、守護佐佐木信濃の前司泰清と共に議りて、官家に申されければ、鎌倉の北条、いたく驚きあやしみて、官庫の金穀を出だして、造り奉りて、庄園の課役をば停められけり。これを世に、虫くいの託宣と云えり。この事、国造の家の記にしるせりと、千家〓主出雲の宿禰俊信のものがたりなり。俊信は、今の国造の叔父にて、宣長がおしえ子なり。宣長がこの事を聞きていわく。北条が、課役をやめて、官庫の物を出だして、造り奉れるは、いとよろし。もとより然あるべきこと論無し。されどこの虫喰いの託宣は、後の世人の漢意にして、神の御心にあらず。古事記の上巻又垂仁の御巻などに、この大神の申し給える御言の意と、うらうえのたがいなればなり。さればこの託宣は、そのかみ北条にへつらいて、造れる事とこそおぼゆれ。すべて神の御心を、かく仏聖人と同じごとしなさむとするは、後の世人の心なり。又この大神、漢文をも、かばかり作り給う程ならむに、朕の字の、非の字の上に有る拙さこそ、いといとおかしけれ。
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『玉勝間』四の巻 撞賢木厳之御魂ある人、神功紀に、撞賢木厳之御魂とあるは、いかなる義ぞと問うに、答えたる。撞は借字にて、斎賢木の意にて、厳と云わむ料の枕詞なり。厳は忌み清めたる義なれば、忌み清めいつく賢木のよしなり、厳橿と云うに同じ。さて厳之御魂とは、天照大御神は、伊邪那岐の大神の、檍原の御禊に成り出でましまして、清らかなる御魂に坐すよしなり。
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『玉勝間』十三の巻 同社金輪の造営の図出雲の大社、神殿の高さ、上古のは三十二丈あり。中古には十六丈あり。今の世のは八丈なり。古の時の図を、金輪の造営の図と云いて、今も国造の家に伝えもたり。その図、左にしるすが如し。(この図、千家国造の家なるを、写し取れり、心得ぬことのみ多かれど、皆ただ本のままなり。)今の世の御殿も、大かたの御構えは、この図のごとくなりとぞ。
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『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文さて上の例どもによらば、この上にも、自某処打絶而と云う事の有るべきに、ここにのみその詞無きは、この三穂の崎は、東の限りは海なるが故なり。この下に是也と云う二字も有るべきに、無きは、ここには略きて、合わせて下に云えるなり。持引(持の字一本に接と有るは誤なり)夜見島は、島根郡のところに、〓伯耆国郡内夜見島と有る、これなり。固堅(固の字一本に固とあるは誤なり)火神岳は、この風土記の抄に、伯耆の国会見の郡の大山これなりと云えり。さも有るべし。それにつきて思うに、大山は、神名帳に、大神山神社と有れば、火の字は、大を誤れるにはあらざるか。抄は、天和のころ国の人岸崎時照と云えるが作れる物にて、三巻あるなり。是也は、上の三穂之埼、夜見島をも合わせて、一つに云えるなり。引訖(一本に訖の字を記と書けるは誤なり)御杖衝立而、意恵登詔故云意宇、意恵は、事に労きて苦しきを、休息う時の声なり。さて恵は、宇延のつづまりたる音にて、上に宇を帯ぶる故におのずから後に意宇とは成れるなるべし。さてこの臣津野の命の引き来て縫い作り坐せる、すべての地は、島根、秋鹿、楯縫、出雲の四郡にて、東より西へつらなれる地にして、そを西よりつぎつぎに物し給えるなり。
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『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文上の件の文、いみじく古き所どころ有りて、聞え難きふしぶし多かるを、今の本、文字の誤さえ多くて、いよいよさとり難き所どころ有るを、しいて解く。国引坐とは、(坐の字座と書ける本も有り)すなわちこの文に見えたる如く、他国の余あるところを、裂き取り引き寄せ以て来て、出雲の国の足らざる所を足して、造りおえ給えるを云う。この御功をもて、この神をかく称え申せるなり。大国主の神を、天の下造らしし大神と申すが如し。八束水臣津野の命は、古事記に、淤美豆奴の神と有りて、須佐之男大神の四世の御孫にて、深淵之水夜礼花神の御子にて、大国主の大神の御祖父神なり。この風土記の中にも、所々見え給えり。狭布之堆国、堆の字は、写し誤りなるべし。遠江国の人内山の真龍、この風土記の注を作りて、稚の字なりと云えり。さも有るべし。狭布よりの続き名は、疎けれども、すべてにかけて、稚国と云いつべき事なり。古事記にも書紀にも、国稚と有れば、よし有りておぼゆ。初国、小所作とは、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神の、初めて生成し給える時に、小さくつくり給えりとなり。そのかみこの出雲の国は、北の方足らわずして、狭布のごとく、狭く細き国なりけむ。
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