玉勝間 / 十三の巻 出雲の大社の御事
出雲ノ大社、建久のはじめの頃、鎌倉より、庄園に課役をおほせて、改め造らる。其後又嘉祿のころ、先の例によりて、課役をおほせて、造られむとせしに、御殿の柱に虫くひの文字あり。見れば、居大傾々物、朕非素意、若人歸德、栖高木足と有り、國造出雲ノ臣政孝、國司右衛門尉昌綱、守護佐佐木信濃ノ前司泰清と共に議りて、官家に申されければ、鎌倉の北條、いたく驚きあやしみて、官庫の金穀を出して、造り奉りて、庄園の課役をば停られけり。これを世に、虫くひの託宣と云へり。此事、國造の家ノ記にしるせりと、千家、〓主出雲ノ宿禰俊信のものがたりなり。俊信は、今の國造の叔父にて、宣長がをしへ子なり。宣長が此事を聞ていはく。北條が、課役をやめて、官庫の物を出して、造奉れるは、いとよろし。もとより然あるべきこと論無し。されど此虫喰の託宣は、後ノ世人の漢意にして、神の御心にあらず。古事記の上卷又垂仁ノ御卷などに、此大神の申シ給へる御言の意と、うらうへのたがひなればなり。されば此託宣は、そのかみ北條にへつらひて、造れる事とこそおぼゆれ。すべて神の御心を、かく佛聖人と同じごとしなさむとするは、後ノ世人の心なり。又此大神、漢文をも、かばかり作り給ふ程ならむに、朕ノ字の、非ノ字の上に有る拙さこそ、いといとをかしけれ。
新字:出雲ノ大社、建久のはじめの頃、鎌倉より、庄園に課役をおほせて、改め造らる。其後又嘉禄のころ、先の例によりて、課役をおほせて、造られむとせしに、御殿の柱に虫くひの文字あり。見れば、居大傾々物、朕非素意、若人帰徳、栖高木足と有り、国造出雲ノ臣政孝、国司右衛門尉昌綱、守護佐佐木信濃ノ前司泰清と共に議りて、官家に申されければ、鎌倉の北条、いたく驚きあやしみて、官庫の金穀を出して、造り奉りて、庄園の課役をば停られけり。これを世に、虫くひの託宣と云へり。此事、国造の家ノ記にしるせりと、千家、〓主出雲ノ宿祢俊信のものがたりなり。俊信は、今の国造の叔父にて、宣長がをしへ子なり。宣長が此事を聞ていはく。北条が、課役をやめて、官庫の物を出して、造奉れるは、いとよろし。もとより然あるべきこと論無し。されど此虫喰の託宣は、後ノ世人の漢意にして、神の御心にあらず。古事記の上巻又垂仁ノ御巻などに、此大神の申シ給へる御言の意と、うらうへのたがひなればなり。されば此託宣は、そのかみ北条にへつらひて、造れる事とこそおぼゆれ。すべて神の御心を、かく仏聖人と同じごとしなさむとするは、後ノ世人の心なり。又此大神、漢文をも、かばかり作り給ふ程ならむに、朕ノ字の、非ノ字の上に有る拙さこそ、いといとをかしけれ。
書き下し
出雲の大社、建久のはじめの頃、鎌倉より、庄園に課役をおおせて、改め造らる。その後又嘉禄のころ、先の例によりて、課役をおおせて、造られむとせしに、御殿の柱に虫くいの文字あり。見れば、大いに傾き傾く物に居るは、朕が素意に非ず、若し人徳に帰せば、高木に栖みて足らんと有り、国造出雲の臣政孝、国司右衛門尉昌綱、守護佐佐木信濃の前司泰清と共に議りて、官家に申されければ、鎌倉の北条、いたく驚きあやしみて、官庫の金穀を出だして、造り奉りて、庄園の課役をば停められけり。これを世に、虫くいの託宣と云えり。この事、国造の家の記にしるせりと、千家〓主出雲の宿禰俊信のものがたりなり。俊信は、今の国造の叔父にて、宣長がおしえ子なり。宣長がこの事を聞きていわく。北条が、課役をやめて、官庫の物を出だして、造り奉れるは、いとよろし。もとより然あるべきこと論無し。されどこの虫喰いの託宣は、後の世人の漢意にして、神の御心にあらず。古事記の上巻又垂仁の御巻などに、この大神の申し給える御言の意と、うらうえのたがいなればなり。さればこの託宣は、そのかみ北条にへつらいて、造れる事とこそおぼゆれ。すべて神の御心を、かく仏聖人と同じごとしなさむとするは、後の世人の心なり。又この大神、漢文をも、かばかり作り給う程ならむに、朕の字の、非の字の上に有る拙さこそ、いといとおかしけれ。
現代語訳
出雲大社は、建久の初めの頃、鎌倉幕府が荘園に課役を課して改築した。その後また嘉禄の頃、先の例によって課役を課して造営しようとしたところ、御殿の柱に虫食いの文字があった。見ると、「大きく傾いている建物に住むのは私の本意ではない。もし人々が徳に帰するならば、高い木に住むだけで足りる」とあった。国造出雲臣政孝が、国司右衛門尉昌綱・守護佐々木信濃前司泰清とともに相談して朝廷に申し上げたところ、鎌倉の北条氏はたいへん驚き怪しんで、官の倉の金銭や穀物を出して造営申し上げ、荘園の課役はやめられた。これを世に「虫食いの託宣」と言った。このことは国造家の記録に記してあると、千家の某主出雲宿禰俊信の話である。俊信は今の国造の叔父で、私宣長の教え子である。私宣長がこのことを聞いて言うには、「北条氏が課役をやめて、官の倉の物を出して造営申し上げたのはたいへんよい。もともとそうあるべきことで論じるまでもない。けれどもこの虫食いの託宣は、後世の人の漢意であって、神の御心ではない。『古事記』上巻や垂仁天皇の巻などに、この大神(大国主神)が申された御言葉の意味と、正反対だからである。だからこの託宣は、当時北条氏にへつらって作ったものと思われる。およそ神の御心を、このように仏や聖人と同じようにしようとするのは、後世の人の心である。またこの大神が漢文をこれほどお作りになるほどであるなら、『朕』の字が『非』の字の上にある拙さこそ、まことにおかしいことだ」と。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 同社金輪の造営の図出雲の大社、神殿の高さ、上古のは三十二丈あり。中古には十六丈あり。今の世のは八丈なり。古の時の図を、金輪の造営の図と云いて、今も国造の家に伝えもたり。その図、左にしるすが如し。(この図、千家国造の家なるを、写し取れり、心得ぬことのみ多かれど、皆ただ本のままなり。)今の世の御殿も、大かたの御構えは、この図のごとくなりとぞ。
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『玉勝間』四の巻 崇神紀なる小児の神託の詞ある人の、崇神紀六十年云々のところに見えたる、丹波の氷上の人氷香戸辺が小児の、神託の辞の意はいかにと問えるに答えたる。玉萎鎮石、出雲人の祭る、真種の甘美鏡、押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主、山河の水泳る御魂、静め挂けよ甘美御神、底宝御宝主、斯く訓むべし。今の本のごとく訓みては、むげに聞こえぬ事なり。しづかしは、行くをゆかし、佩くをはかしなど云う格にて、しづきを延べたる詞にて、玉藻しづき厳藻、と云う意につづきたる、出雲の序なり。厳は清らかなる意にて、水底にしづく玉藻の、清らかなるよしなり。真種の意は、いまだ考え得ず。おしはぶれとは、鏡をおしふり挙げて祭れと云うことなり。底実は、宝の至極と云うなり、すべて物の至り極まるところを、底と云う。甘美は底宝へ係れり、御神には係らず。御宝主は宝の主人にて、司長のよしなり。これみな鏡を褒めたたえたる詞なり。御魂は御玉にて、山川の底なる玉を云う。しづめかけよは、鎮め掛けて祭れとなり。甘美御神云々は、鏡と同じく、玉をほめたたえたるなり。すべての意は、神宝の至極長なる鏡と玉とを以て、出雲の臣これを祭るべしとなり。
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『玉勝間』十二の巻 神社修造の勅命同じ紀に、貞観六年六月廿七日辛亥、勅して曰く、去年七月廿五日、五畿并びに伊賀・伊勢・志摩・遠江・相模・上総等の国に頒ち下す、云う。国家を鎮護し、災害を消伏するは、尤もこれ神祇を敬い、祭礼を欽むの致す所なり。是を以て格制頻りに下し、警告慇懃なり。今諸国の牧宰、制旨を慎まず、専ら神主・禰宜・祝等に任せ、神社をして破損し、祭礼疎慢ならしむ、神明是に由りて祟りを発し、国家此を以て災いを招く。今神社をして一時に新たに華飾を加えしめんと欲するに、而るに月を経年を踰えて、未だ修造有らず、宜しく早く修飾を加え、重意を致すこと勿かるべし。
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『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文上の件の文、いみじく古き所どころ有りて、聞え難きふしぶし多かるを、今の本、文字の誤さえ多くて、いよいよさとり難き所どころ有るを、しいて解く。国引坐とは、(坐の字座と書ける本も有り)すなわちこの文に見えたる如く、他国の余あるところを、裂き取り引き寄せ以て来て、出雲の国の足らざる所を足して、造りおえ給えるを云う。この御功をもて、この神をかく称え申せるなり。大国主の神を、天の下造らしし大神と申すが如し。八束水臣津野の命は、古事記に、淤美豆奴の神と有りて、須佐之男大神の四世の御孫にて、深淵之水夜礼花神の御子にて、大国主の大神の御祖父神なり。この風土記の中にも、所々見え給えり。狭布之堆国、堆の字は、写し誤りなるべし。遠江国の人内山の真龍、この風土記の注を作りて、稚の字なりと云えり。さも有るべし。狭布よりの続き名は、疎けれども、すべてにかけて、稚国と云いつべき事なり。古事記にも書紀にも、国稚と有れば、よし有りておぼゆ。初国、小所作とは、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神の、初めて生成し給える時に、小さくつくり給えりとなり。そのかみこの出雲の国は、北の方足らわずして、狭布のごとく、狭く細き国なりけむ。
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『玉勝間』九の巻 春日ノ社みづがきを廻廊に造リかへらるる事同書に、治承二年五月卅日、春日社、今度修造の時、瑞垣を改めて廻廊を造るべきの由、衆徒奏状を進む、申請に依りて、御卜を行わるるの処、宣下せられ畢んぬ、而るに社家申す旨有るに依りて、官奏共に不快の由之を申す、而るに衆徒申して云う、卜の吉凶に依るべからずと、仍りて諸卿に問わる、猶本社に祈請して、覆推有るべきの由、之を定め申す、遂に瑞垣を改め、廻廊を造る、と見えたり。官奏の奏の字は、寮を誤れるなるべし。官は神祇官、寮は陰陽寮なり。さてこれになずらえて思うに、すべて国々の神社のつくりざま、古えのとは、変わりきぬる程、おしはかられたり。又御卜の吉凶は、神の御心なるに、それにも従わず、ひたぶるにほうしの心なりけん。まがつひのまがことは、せんかたも無きわざなりけり。
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『玉勝間』十三の巻 出雲国意宇郡神魂ノ神社出雲の国意宇の郡大庭村に、神魂社と云う有り。年ごとの十一月に、国造この社に来て、新嘗祭あり。その時熊野の社より、火きり臼火きり杵を、国造に奉る。火きり臼と云うは、檜の板なり。火きりぎねは、空木なりとぞ。熊野の社に、頼朝の卿の御〓書とてあり。出雲の国一の宮、熊野天照大神、日本火出初の社なり。禁裏正月七日御祭事の火の上、社の別当罷り出ずるに就きて、意宇郡熊野庄、五百貫、并びに山川共に、寄附せしめ訖んぬと有り。この外にも、古き文書数通ありとぞ。さて件の神魂社は、古国造の本居にて、その由緒を以て、今の世にいたるまでも、国造みまかられて、その子跡をつがるるに、必ずこの社に来て、国造になりて、杵築に帰らるるなりと、かの社の神主、秋上氏の物語なり。
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