易経 / 彖伝
歸妹,天地之大義也。天地不交而萬物不興。歸妹,人之終始也。説以動,所歸妹也。“徵凶”,位不當也。“無攸利”,柔乘剛也。
新字:帰妹,天地之大義也。天地不交而万物不興。帰妹,人之終始也。説以動,所帰妹也。“徴凶”,位不当也。“無攸利”,柔乗剛也。
書き下し
帰妹(きまい)は、天地の大義なり。天地交わらざれば、万物興らず。帰妹は、人の終始なり。説(よろこ)びて以て動く、帰(とつ)ぐ所は妹(まい)なり。「征けば凶」とは、位当たらざればなり。「利(よ)ろしき攸(ところ)なし」とは、柔の剛に乗ればなり。
現代語訳
帰妹(若い娘が嫁ぐこと)は、天地の大いなる道理である。天と地とが交わらなければ、万物は生まれ育たない。嫁ぐということは、人にとって終わりであり始まりでもある。喜びによって動く、それが妹の嫁ぐという姿である。「進み行けば凶」とは、その位が正しくないからである。「よいところがない」とは、柔(陰)が剛(陽)の上に乗っているからである。
解説
帰妹は、若い娘が嫁いでいく姿を主題とする卦です。彖伝はまず、これを「天地の大義」と大きく位置づけます。天と地が交わらなければ万物は生まれない。だから男女が結ばれることは自然の理であり、嫁ぐことは一つの生活の終わりであると同時に新しい生活の始まり――「人の終始」だというのです。しかし後半の調子は一転して厳しくなります。ここでの結びつきは「説びて以て動く」、すなわち一時の喜びに動かされたもので、位が正しくなく、柔が剛の上に乗る不自然な形になっている。だから進めば凶であり、よいところがないと戒めます。関係を結ぶこと自体は尊いが、浮かれた勢いだけで踏み込めば無理が生じる。人と組み、事業を共にするときも、喜びの熱と、位や筋目の正しさは別に確かめる必要があります。
この章句が説くこと
帰妹婚姻易経彖伝位
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論語・先進篇南容『白圭』を三復す。孔子、その兄の子を以てこれに妻す。
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