玉勝間 / 十三の巻 万葉集なる藤原ノ宮之役民作歌
萬葉集一の卷に、藤原宮之役民作歌とある長歌は、役民作歌と有るによりて、誰れも、唯だその民の詠めると心得ためれど、歌のさまをもて思ふに、然にはあらず。こはかの七夕の歌を、彥星棚機つめになりて詠めると同じ事にて、かの民の心に擬へて、すぐれたる歌人の詠めるなり。その作者は、誰とも無けれど、歌のさまの、いといとめでたく、巧の深きやう、人麻呂主の口つきにぞ有ける。さてかの主の長歌は、いづれも巧ふかき故に、詞のつづきの、まぎらはしく聞ゆるが多きを、此歌は殊にまぎらはしきつづき多くして、物知り人たちも、皆解誤れるを、今よく考ふれば、語のつづきも、いと明らかにして、まぎるる事無く、いともめでたく、すぐれたる歌なり。さて歌のすべての趣は、田上山より伐、出せる宮材を、宇治川へくだし、そを又泉川に持越て、筏に作りて、その川より難波ノ海に出〃し、海より又紀の川を泝せて、巨勢の道より、藤原の宮の地へ、運ひ來たるを、その宮造りに役はれ居る民の見て、詠めるさまなり。其乎取登云云は、川より陸に取上るとて、水に浮居てとり上ヶて、其を泉乃河爾持越流とつづく詞なり。
新字:万葉集一の巻に、藤原宮之役民作歌とある長歌は、役民作歌と有るによりて、誰れも、唯だその民の詠めると心得ためれど、歌のさまをもて思ふに、然にはあらず。こはかの七夕の歌を、彦星棚機つめになりて詠めると同じ事にて、かの民の心に擬へて、すぐれたる歌人の詠めるなり。その作者は、誰とも無けれど、歌のさまの、いといとめでたく、巧の深きやう、人麻呂主の口つきにぞ有ける。さてかの主の長歌は、いづれも巧ふかき故に、詞のつづきの、まぎらはしく聞ゆるが多きを、此歌は殊にまぎらはしきつづき多くして、物知り人たちも、皆解誤れるを、今よく考ふれば、語のつづきも、いと明らかにして、まぎるる事無く、いともめでたく、すぐれたる歌なり。さて歌のすべての趣は、田上山より伐、出せる宮材を、宇治川へくだし、そを又泉川に持越て、筏に作りて、その川より難波ノ海に出〃し、海より又紀の川を泝せて、巨勢の道より、藤原の宮の地へ、運ひ来たるを、その宮造りに役はれ居る民の見て、詠めるさまなり。其乎取登云云は、川より陸に取上るとて、水に浮居てとり上ヶて、其を泉乃河爾持越流とつづく詞なり。
書き下し
万葉集一の巻に、藤原の宮の役民の作る歌とある長歌は、役民の作る歌と有るによりて、誰も、ただその民の詠めると心得ためれど、歌のさまをもて思うに、然にはあらず。こはかの七夕の歌を、彦星棚機つめになりて詠めると同じ事にて、かの民の心に擬えて、すぐれたる歌人の詠めるなり。その作者は、誰とも無けれど、歌のさまの、いといとめでたく、巧みの深きよう、人麻呂主の口つきにぞ有りける。さてかの主の長歌は、いずれも巧みふかき故に、詞のつづきの、まぎらわしく聞こゆるが多きを、この歌は殊にまぎらわしきつづき多くして、物知り人たちも、皆解き誤れるを、今よく考うれば、語のつづきも、いと明らかにして、まぎるる事無く、いともめでたく、すぐれたる歌なり。さて歌のすべての趣は、田上山より伐り出だせる宮材を、宇治川へくだし、そを又泉川に持ち越して、筏に作りて、その川より難波の海に出だし、海より又紀の川を泝らせて、巨勢の道より、藤原の宮の地へ、運び来たるを、その宮造りに役われ居る民の見て、詠めるさまなり。「そを取ると」云云は、川より陸に取り上ぐるとて、水に浮き居てとり上げて、それを泉の河に持ち越せるとつづく詞なり。
現代語訳
『万葉集』巻一に「藤原の宮の役民の作る歌」とある長歌は、「役民の作る歌」とあることから、誰もがただその労役の民が詠んだものと理解しているようだが、歌の様子から考えると、そうではない。これは、あの七夕の歌を彦星や織女になりかわって詠んだのと同じことで、その民の心になぞらえて、すぐれた歌人が詠んだのである。その作者は誰とも記されていないが、歌の様子がたいへんみごとで、技巧の深いさまは、柿本人麻呂殿の詠みぶりである。さて、人麻呂殿の長歌はどれも技巧が深いので、言葉の続き方がまぎらわしく聞こえるものが多いが、この歌はとくにまぎらわしい続き方が多くて、物知りの学者たちもみな解き誤っている。しかし今よく考えると、言葉の続き方もたいへん明らかで、まぎれることもなく、まことにみごとですぐれた歌である。さて歌全体の趣は、田上山から伐り出した宮殿の材木を宇治川へ下し、それをまた泉川(木津川)に持ち越して筏に組み、その川から難波の海に出し、海からまた紀の川をさかのぼらせて、巨勢の道から藤原の宮の地へ運んで来るのを、その宮造りに使役されている民が見て詠んだ趣である。「それを取ると」云々は、川から陸へ取り上げるといって、水に浮いているのを取り上げて、それを泉の河に持ち越す、と続く言葉である。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』十三の巻 万葉集なる藤原ノ宮之役民作歌されば浮き居てにて、しばらく絶えたる語にて、ただに吾が作るへはつづかず。「吾が作る」云云は、吾は役民の吾なり。さて日の御門にとあるを以て見れば、この作者の役民は、藤原の宮の地に在りて、役わるる民なり。上の云云「さわく御民も」とある民にはあらず。思いまがうべからず。「泉の河に持ち越せる」は、宇治川より上げて、陸路を泉川まで持ち越して、又流すなり。こは今の世の心を以て思えば、宇治川より直に下すべき事なるに、泉川へ持ち越して下せるは、いかなる由にか、古は然すべき故有りけむかし。「泝すらむ」とは海より紀の川へ入れて、紀の川を泝すを云いて、さて巨勢路より、宮処に運ぶまでを兼ねたり。さればこは、泉の河に持ち越せる材を、云云して、この泝すらむ巨勢道より、吾が作る日の御門にのぼすらむ、と云う語のつづきにて、御門にの爾と、巨勢道よりの従とを、辞にて結びたるものなり。辞のはこびを、熟く尋ねてさとるべし、なおざりに見ば、まがいぬべし。さて「らむ」と疑いたるは、この作者は、宮造りの地に在りて詠めるよしなれば、はじめ田上山より伐り出だせるより、巨勢道を運ぶまでは、皆よその事にて、見ざる事なればなり。さて「いそわく見れば」とは、宮地へ運び来たるを、目のまえに見たるを云えり。
-
『玉勝間』十三の巻 万葉集なる藤原ノ宮之役民作歌上の「らむ」と、この「見れば」とを、相照らして心得べし。さて難波の海に出だし、紀の川をのぼすと云う事は、見えざれども、巨勢道よりと云えるにて、然聞こえたり。巨勢道は、紀の国にゆきかう道なればなり。又「筏に造り泝すらむ」と云えるにても、かの川をさかのぼらせたる事しるし。然らざればこの言聞こえず。大かたそのかみ、近江山城などより伐り出だす材を大和へのぼすには、必ず件の如く、難波の海より、紀の川に入れて泝すが、定まれる事なりし故に、その事は云わでも、然聞こえしなりけり。さて「知らぬ国依る」は、異国の帰り来るよしにて、依るまでは、ただ巨勢の序なり。異国までもなびき従いて、帰り来と云う寿詞をもて、序としたる物なり。されば知らぬ国は、五言の句、依る巨勢道よりは、七言の句にて、おとめらが袖ふる山などの類なり。上の依るは、自の意にはあらず。また「我が国は」より、「新代と」まで五句は、これも寿詞をもて、泉の序とせるにて、出ずとつづく意なり。そもそもこの歌の意、上の件の如くなれば、巨勢道よりと云えるは、即ち上の田上山の材なり。又別に巨勢道よりものぼすにはあらず。又知らぬ国よりも、材をのぼすと云うにあらず。思いまがうべからず。
-
『玉勝間』三の巻 五十師原山辺御井そのよしを云わんに、数数あり、一つには、まず師の字と鈴の字とは、楷書はさらにも云わず、草書も形似ざれば、誤るべきに有らず。二つにはもし五十鈴の原ならんには、さく鈴のとも、さくくしろとも、古き枕詞の有るをおきて、山のほとりならむからに、山のべのと、させるよしも無き事を云うべきにあらず。一の巻なる歌には、山のべの御井を見がてりとも有れば、山のべは必ず地の名なるを、五十鈴の原のあたりには、古よりさる地の名あること無し。すべてかの神宮のあたりに古き所は、さしもあらぬだに、その所は失うと云えども、さすがに名は残りて、かしこの書どもに見えざるは無きを、これはさばかり古く、名高き所なるに、見えざるべきよう無し。三つには、かの長歌、もし大御神の宮づかえの事を詠めるならば、必ずその大御神の鎮り座す事のよしなどをこそ云うべきに、その大御神の御事は、一言も云わずして、にわかに大宮づかえと云うべきよし無し。始めより日の御子の御食つ国と云いて、大宮づかえと云えるは、天皇の宮なること疑い無く、其うえ島の名高しと云うまで、行宮より見渡したるけしきをもて云えるさま、いちじるし。
-
『玉勝間』七の巻 万葉集一の巻なる莫囂円隣の歌万葉一の巻に、紀の温泉に幸せる時、額田王の作れる歌、莫囂國隣之、霜木兄氏湯氣、吾瀬子之、射立為兼、五可新何本とあり。莫囂は、かまと訓むべし。かまをかく書けるよしは、古に、人のものを云うを制して、あなかまと云えるを、そのあなを省きて、かまとのみも云いつらむ。そは今の世の俗言にも、囂しきを制して、やかましと云うと同じ。やかましは囂しと云うことなれば、かまと云いて、莫囂と云う意なり。さてかま山と云うは、神名帳に、紀伊の国名草の郡、竈山の神社、諸陵式に、同郡竈山の墓、と見えたるこれなり。この御墓は、神武天皇の御兄、五瀬命の御墓にて、古事記・書紀にも見えたり。神社も御墓も、古の熊野道近きところにて今も有り。國隣は、やまと訓むべし。山は、隣の国の境なる物なれば、かくも書くべし。國の字は、本には圓と有るを、一本に國と有るなり。霜の字、本に大相と有るは、霜の草書を、大相の二字と見て、誤れるなり。そもそもこの幸は、書紀の斉明天皇の巻に、四年冬十月庚戌朔甲子、紀の温湯に幸すと有りて、十一月までも、かの国にとどまりませりしさま見えたれば、霜の深くおく頃なり。木兄氏は、本には、木の字を七に誤り、或る本には、土にも云にも誤り、氏の字は、爪に誤れり。
-
『玉勝間』一の巻 古今集の長歌の事古今集の長歌、はじめに載せたるは、いといとつたなし。その歌に、なにしかも人をうらみむと云えること、上下にあいあづからざる事なり、この二句をのぞきて善けん。また一うたのうちに、思と云う詞九つ有りて、いと耳かしかましき中に、けなばけぬべく思えどもと云える事さえ、二所に重なりて有るはいかにぞや。思えどもと云う句は、なお今一つあり。また思いは深しと云える句、またとぢめの二句などは、ちからなく聞こえて漂よわし、次に貫之の歌、目録ならんからに、事の続きざま、むげにことわり無し。忠岑は一ふし有りて聞こゆ。躬恒、なにのふしも無し。伊勢は中によろし。そもそも斯くあげつらうは、いとおおけなけれど、なおえあらでなん。
-
『玉勝間』六の巻 菅家万葉集菅家万葉集上下二巻あり。見るに、上の巻は、云うべき事も無きを、下の巻は、歌は、真字のさま、上の巻とかわれる事無ければ、同じく菅原の大臣のものし給えるならんを、詩のさまなん、上の巻とはこよなくして、更にかのおとどの御しわざとは見えず。むげに拙なくして、ただ七言四句にととのえたるのみこそ有れ、心もつづかず、ねごとなどを聞くようにて、何事ともわきまえ難く、いといとみだりがわしく、韻字と云う物をだにととのえず、さらに詩と云うべき物にもあらず。されば下の巻は、かの大臣は、歌のみを物し給いて、詩をば添え給わざりけむを、後の世の人の、上の巻にならいて、みだりにおぎないたるなるべし。さるはむげに物のこころも知らぬ、おこの者のしわざとこそ見えたれ。序も、下の巻のは、詩と同じ人の書けりと見えて、いとおさなし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る