玉勝間 / 十二の巻 十二年の山ごもり
枕册子にか、十二年の山ごもりと云ふこと見えたり。同書に、弘仁十三年六月壬戌、傳燈大法師位最澄言、夫如來制戒隨機不同、衆生發心大小亦別、伏望天台法華宗、年分度者二人、於比叡山、毎年春三月、先帝國忌日、依法華經制、令得度受戒、十二箇年、不聽出山、四種三昧、令得修練、然則一乘戒定、永傳聖朝、山林精進、遠勸塵劫、許之、また天長八年夏四月丁丑、天台之宗、年分度者受戒之後、一十二年、不聽出山、四種三昧、令得修練之故也、と見ゆ。今の世にも、籠山とてする事なりとぞ。
新字:枕册子にか、十二年の山ごもりと云ふこと見えたり。同書に、弘仁十三年六月壬戌、伝灯大法師位最澄言、夫如来制戒随機不同、衆生発心大小亦別、伏望天台法華宗、年分度者二人、於比叡山、毎年春三月、先帝国忌日、依法華経制、令得度受戒、十二箇年、不聴出山、四種三昧、令得修練、然則一乗戒定、永伝聖朝、山林精進、遠勧塵劫、許之、また天長八年夏四月丁丑、天台之宗、年分度者受戒之後、一十二年、不聴出山、四種三昧、令得修練之故也、と見ゆ。今の世にも、籠山とてする事なりとぞ。
書き下し
枕冊子にか、十二年の山ごもりと云うこと見えたり。同じ書に、弘仁十三年六月壬戌、伝灯大法師位最澄言す、それ如来の制戒は機に随いて同じからず、衆生の発心も大小亦た別なり、伏して望むらくは天台法華宗の年分度者二人、比叡山に於て、毎年春三月、先帝の国忌の日に、法華経の制に依りて、得度受戒せしめ、十二箇年、山を出ずることを聴さず、四種三昧、修練することを得しめん、然らば則ち一乗の戒定、永く聖朝に伝わり、山林の精進、遠く塵劫に勧めん、これを許す、また天長八年夏四月丁丑、天台の宗、年分度者受戒の後、一十二年、山を出ずることを聴さず、四種三昧、修練することを得しむるの故なり、と見ゆ。今の世にも、籠山とてする事なりとぞ。
現代語訳
『枕草子』であったか、「十二年の山ごもり」ということが見えていた。同じ書(類聚国史)に「弘仁十三年(822)六月壬戌、伝灯大法師位の最澄が申し上げた。『そもそも如来の定めた戒は、相手の機根に応じて同じではなく、衆生の発心にも大小の別がある。伏してお願い申し上げる。天台法華宗の年分度者二人を、比叡山において毎年春三月、先帝(桓武天皇)の国忌の日に、法華経の定めによって得度・受戒させ、十二年間は山を出ることを許さず、四種三昧を修練させたい。そうすれば一乗の戒と定が永く聖朝に伝わり、山林での精進を遠い未来まで勧めることになろう』。これを許した」とあり、また「天長八年(831)夏四月丁丑、天台宗の年分度者は受戒の後、十二年間山を出ることを許さない。四種三昧を修練させるためである」と見える。今の世にも籠山(ろうざん)と言って行うことだという。
解説
関連する章句
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