玉勝間 / 十二の巻 吉野の水分ノ神社
吉野水分神は、神名帳に、大和ノ國吉野ノ郡吉野水分ノ神社、(大月次、新嘗)續紀一に、文武天皇二年夏四月、奉馬于芳野水分峰神、祈雨也。續後紀九に、承和七年冬十月、奉授无位水分神從五位下。三代實錄二に、貞觀元年正月、京畿(〇原本二字空白ヲ存ス。三代實錄ニハ京畿七道諸神トアリ)諸國諸神、進階及新叙、總二百六十七社、奉授從五位下吉野水分神正五位下、同年九月云云、大和國云云、吉野ノ水分ノ神云云等、遣使奉幣、爲風雨祈焉と見えたり。すべて水分神と申すは、古事記に、伊邪那岐命伊邪那美命、みとのまぐはひし給ひて、旣生國竟、更生神云云、次生水戶神、名速秋津日子神、次妹速秋津比賣神、此速秋津日子速秋津比賣二神、因河海持別而生神云云、次天之水分神、次國之水分神、訓分云久麻理、とある是れなり。久麻理は分配にて、田の爲に、水を分り施し給ふ神にませり。さる故に、祈年月次の祭にも、此神にもとり分て、その由の祝詞を申ッ給ふなり。その御社は、神名帳に、大和ノ國には、此ノ吉野、宇陀ノ郡宇太ノ水分ノ神社(大、月次、新嘗)山ノ邊ノ郡都祁ノ水分ノ神社、(大、月次、新嘗)葛上ノ郡葛木ノ水分ノ神社、(名神、大、月次、新嘗)これらなり。
新字:吉野水分神は、神名帳に、大和ノ国吉野ノ郡吉野水分ノ神社、(大月次、新嘗)続紀一に、文武天皇二年夏四月、奉馬于芳野水分峰神、祈雨也。続後紀九に、承和七年冬十月、奉授无位水分神従五位下。三代実録二に、貞観元年正月、京畿(〇原本二字空白ヲ存ス。三代実録ニハ京畿七道諸神トアリ)諸国諸神、進階及新叙、総二百六十七社、奉授従五位下吉野水分神正五位下、同年九月云云、大和国云云、吉野ノ水分ノ神云云等、遣使奉幣、為風雨祈焉と見えたり。すべて水分神と申すは、古事記に、伊邪那岐命伊邪那美命、みとのまぐはひし給ひて、既生国竟、更生神云云、次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比売神、此速秋津日子速秋津比売二神、因河海持別而生神云云、次天之水分神、次国之水分神、訓分云久麻理、とある是れなり。久麻理は分配にて、田の為に、水を分り施し給ふ神にませり。さる故に、祈年月次の祭にも、此神にもとり分て、その由の祝詞を申ッ給ふなり。その御社は、神名帳に、大和ノ国には、此ノ吉野、宇陀ノ郡宇太ノ水分ノ神社(大、月次、新嘗)山ノ辺ノ郡都祁ノ水分ノ神社、(大、月次、新嘗)葛上ノ郡葛木ノ水分ノ神社、(名神、大、月次、新嘗)これらなり。
書き下し
吉野水分神は、神名帳に、大和の国吉野の郡吉野水分の神社、(大、月次、新嘗)続紀一に、文武天皇二年夏四月、馬を芳野水分峰の神に奉る、雨を祈るなり。続後紀九に、承和七年冬十月、无位水分神に従五位下を授け奉る。三代実録二に、貞観元年正月、京畿(原本二字空白を存す。三代実録には京畿七道諸神とあり)諸国の諸神、階を進め及び新たに叙す、総て二百六十七社、従五位下吉野水分神に正五位下を授け奉る、同年九月云云、大和の国云云、吉野の水分の神云云等に、使いを遣わして幣を奉り、風雨の為に祈る、と見えたり。すべて水分神と申すは、古事記に、伊邪那岐命・伊邪那美命、みとのまぐわいし給いて、既に国を生み竟えて、更に神を生む云云、次に水戸の神、名は速秋津日子神、次に妹速秋津比売神を生む、この速秋津日子・速秋津比売の二神、河海に因りて持ち別けて生める神云云、次に天之水分神、次に国之水分神、分を訓みて久麻理と云う、とあるこれなり。くまりは分配にて、田の為に、水を分り施し給う神にませり。さる故に、祈年・月次の祭にも、この神にもとり分けて、その由の祝詞を申し給うなり。その御社は、神名帳に、大和の国には、この吉野、宇陀の郡宇太の水分の神社(大、月次、新嘗)山の辺の郡都祁の水分の神社、(大、月次、新嘗)葛上の郡葛木の水分の神社、(名神、大、月次、新嘗)これらなり。
現代語訳
吉野水分神(よしののみくまりのかみ)は、延喜式神名帳に「大和国吉野郡、吉野水分神社(大社、月次・新嘗の幣にあずかる)」とある。『続日本紀』巻一に「文武天皇二年(698)夏四月、馬を芳野水分峰神に奉った。雨を祈ったのである」。『続日本後紀』巻九に「承和七年(840)冬十月、無位の水分神に従五位下を授け申し上げた」。『日本三代実録』巻二に「貞観元年(859)正月、京畿(原本は二字分空白。三代実録には「京畿七道諸神」とある)諸国の諸神の位階を進め、また新たに叙した。総数二百六十七社。従五位下の吉野水分神に正五位下を授け申し上げた」「同年九月……大和国の……吉野の水分の神……などに使いを遣わして幣を奉り、風雨のために祈った」と見えている。すべて水分神と申し上げるのは、古事記に「伊邪那岐命と伊邪那美命が結婚なさって、国を生み終えて、さらに神を生んだ……次に水戸の神、名は速秋津日子神、次に妹の速秋津比売神を生んだ。この速秋津日子・速秋津比売の二神が、河と海とで分担して生んだ神は……次に天之水分神、次に国之水分神。分を訓んで『くまり』と言う」とある、これである。「くまり」は分配のことで、田のために水を分け配ってくださる神であられる。それゆえ、祈年祭・月次祭にも、この神にとりわけその趣旨の祝詞を申し上げなさるのである。その御社は、神名帳では、大和国には、この吉野のほか、宇陀郡の宇太水分神社(大社、月次・新嘗)、山辺郡の都祁水分神社(大社、月次・新嘗)、葛上郡の葛木水分神社(名神大社、月次・新嘗)がこれである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 吉野の水分ノ神社余国にもこれかれ有り、祈年の祭また月次祭の祝詞に、水分に坐す皇神等の前に白さく、吉野・宇陀・都祁・葛木と御名は白して云云、と見えたり。さてこの水分と申すを、中昔より訛りて、みこまり、みこもりなど申して、吉野のをも、六帖の歌、枕冊子などにも、みこもりの神と云い、今も子守大明神と申すこれなり。万葉七の巻の歌に、神さぶる磐根こごしきみよしのの水分山を見れば悲しも、と詠めるも、この神社の山なり。然るをみずわけやまとしも訓を付けたるは、この神の御名をだに知らざるひがことなり。また今の世に、吉野川ちかき丹治村と云う所に有る神社を、水分の神社とするも、いみしきひがことなり。水分の神社は、続紀に峰の神と有る如く、かの水分山の峰にして、今子守明神と申す御社なること、疑い無きを、かの丹治村なるをそれとしたるは、水こもりと云う御名につきて、川近かるべき所と心得て、おしあてに当たるものにて、峰の神とあるにたがい、万葉なる歌のさまにも、かなわざる物をや。さてまた今時、このよし野山のすべてのさまを見るに、蔵王権現と云う物を、この山の主と祀りて、この水分の神その余も、やんごとなき神たちも、みなかの蔵王堂に属きたる、支社とぞなり給える。
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『玉勝間』十二の巻 吉野の水分ノ神社そもそもこの蔵王と云う物は、古よりの正しき神にはあらず。もとより神名式にも入らず。古の正しき書には見えたる事無く、朝廷より祭らせ給いし事無く、ただ法師どものすえたる、仏神ぞかし。すべて中昔より、法師どものしわざとして、いずこもいずこも、かく名ある所々は、みな仏どころとのみ成りて、もとより主と坐す神たちは、仏の僕従のごとなりませるは、いともいとも悲しきわざにぞ有りける。この水分の神社の御事は、おのれ故あるによりて、古の正しき事どもを、殊に世の人にも、広く知らせまほしくて、殊にかくは物しつるなり。
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『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文上の件の文、いみじく古き所どころ有りて、聞え難きふしぶし多かるを、今の本、文字の誤さえ多くて、いよいよさとり難き所どころ有るを、しいて解く。国引坐とは、(坐の字座と書ける本も有り)すなわちこの文に見えたる如く、他国の余あるところを、裂き取り引き寄せ以て来て、出雲の国の足らざる所を足して、造りおえ給えるを云う。この御功をもて、この神をかく称え申せるなり。大国主の神を、天の下造らしし大神と申すが如し。八束水臣津野の命は、古事記に、淤美豆奴の神と有りて、須佐之男大神の四世の御孫にて、深淵之水夜礼花神の御子にて、大国主の大神の御祖父神なり。この風土記の中にも、所々見え給えり。狭布之堆国、堆の字は、写し誤りなるべし。遠江国の人内山の真龍、この風土記の注を作りて、稚の字なりと云えり。さも有るべし。狭布よりの続き名は、疎けれども、すべてにかけて、稚国と云いつべき事なり。古事記にも書紀にも、国稚と有れば、よし有りておぼゆ。初国、小所作とは、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神の、初めて生成し給える時に、小さくつくり給えりとなり。そのかみこの出雲の国は、北の方足らわずして、狭布のごとく、狭く細き国なりけむ。
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『神皇正統記』巻一 天神七代次、素戔烏尊を生ます。いさみたけく不忍にして父母の御心にかなはず。「根の国にいね。」との給ふ。この三柱は男神にてまします。よりて一女三男と申也。すべてあらゆる神みな二神の所生にましませど、国の主たるべしとて生給しかば、ことさらに此四神を申伝けるにこそ。其後火神軻倶突智を生ましましし時、陰神やかれて神退給にき。陽神うらみいかりて、火神を三段にきる。その三段おのおの神となる。血のしたゝりもそゝいで神となれり。経津主の神健甕槌神の祖也。陽神猶したひて黄泉までおはしましてさまざまのちかひありき。陰神うらみて「此国の人を一日に千頭ころすべし。」との給ければ、陽神は「千五百頭を生べし。」との給けり。よりて百姓をば天の益人とも云ふ。死るものよりも生ずるものおほき也。陽神かへり給て、日向の小戸の河檍が原と云所にてみそぎし給。この時あまたの神化生し玉へり。日月神もこゝにて生給と云説あり。伊弉諾尊神功すでにをはりければ、天上にのぼり、天祖に報命申て、即天にとゞまり給けりとぞ。或説に伊弉諾・伊弉冊は梵語なり、伊舎那天・伊舎那后なりと云ふ。
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