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玉勝間 / 十一の巻 万葉の歌に安礼衝と云へる詞

生繼と云ふこと、此歌に由なく、且繼と衝とは、久の淸濁も異なるを、いかでか借リ用ひむ。さて六の卷なるは、天下所知食と續きたれば、此詞、天皇の御うへの事を申せるさまなれども、一の卷なるを思ふに、天皇の御うへの事に申すべき言にあらず。必ス宮づかへする人のうへを云へる言なれば、これも、八千年までも、百官奉仕いつきまつりて、天下をしろしめさむ、と云ふ意に詠めるにこそ。衝之は都伎を延たるなり。又おもふに、之字は、兄または衣などを誤れるにて、あれつかえにもや有らむ。つかえはつかれなり。もし然らば、天皇の御うへにて、百官にあれいつかれ給ひてと云ふ意なり。

新字:生継と云ふこと、此歌に由なく、且継と衝とは、久の清濁も異なるを、いかでか借リ用ひむ。さて六の巻なるは、天下所知食と続きたれば、此詞、天皇の御うへの事を申せるさまなれども、一の巻なるを思ふに、天皇の御うへの事に申すべき言にあらず。必ス宮づかへする人のうへを云へる言なれば、これも、八千年までも、百官奉仕いつきまつりて、天下をしろしめさむ、と云ふ意に詠めるにこそ。衝之は都伎を延たるなり。又おもふに、之字は、兄または衣などを誤れるにて、あれつかえにもや有らむ。つかえはつかれなり。もし然らば、天皇の御うへにて、百官にあれいつかれ給ひてと云ふ意なり。

書き下し

生継と云うこと、この歌に由なく、かつ継と衝とは、久の清濁も異なるを、いかでか借り用いむ。さて六の巻なるは、天下所知食と続きたれば、この詞、天皇の御うえの事を申せるさまなれども、一の巻なるを思うに、天皇の御うえの事に申すべき言にあらず。必ず宮づかえする人のうえを云える言なれば、これも、八千年までも、百官奉仕いつきまつりて、天下をしろしめさむ、と云う意に詠めるにこそ。衝之は都伎を延べたるなり。またおもうに、之の字は、兄または衣などを誤れるにて、あれつかえにもや有らむ。つかえはつかれなり。もし然らば、天皇の御うえにて、百官にあれいつかれ給いてと云う意なり。

現代語訳

「生まれ継ぐ」ということは、この歌には関係がなく、そのうえ「継(つぐ)」と「衝(つく)」とでは「く」の清濁も違うのに、どうして借りて用いることがあろうか。さて巻六の歌は、「天下所知食(あめのしたしろしめす)」と続いているので、この言葉は天皇の御身の上のことを申しているように見えるけれども、巻一の歌を考えると、天皇の御身の上のことに申すべき言葉ではない。必ず宮仕えする人の身の上を言った言葉であるから、これも、八千年までも百官がお仕えし斎き奉って、天下をお治めになるだろう、という意味で詠んだのであろう。「衝之」は「つき」を延ばしたものである。また考えるに、「之」の字は「兄」または「衣」などを誤ったもので、「あれつかえ」であろうか。「つかえ」は「つかれ(斎かれ)」である。もしそうならば、天皇の御身の上のことで、百官にお仕えされ斎かれなさって、という意味である。

解説

「安礼衝」の考証の続きである。宣長は「生まれ継ぐ」説を、歌の意味に合わないうえ、「継ぐ」と「衝く」では清音と濁音も違うとして退ける。清濁の違いを厳密に区別するのは、上代の仮名遣いを研究した宣長ならではの論拠である。次に巻六の長歌の用例に移り、天皇が天下を治めることと続くので天皇のことのように見えるが、巻一の用例から見ればやはり宮仕えする人々のことで、百官がお仕えしてこそ天下が治まるという意だと読む。さらに「之」を「兄」や「衣」の誤りとして、天皇が百官に斎かれるという別の読みの可能性も示している。一つの解に決め打ちせず、別の読みを「もし然らば」と並べて残すところに、宣長の慎重さと誠実さがある。根拠と推測を分けて示す書き方の手本である。

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