玉勝間 / 一の巻 中臣寿詞
又申久、天皇朝廷奉仕親王等王等諸臣百官人等、天下四方國乃百姓諸諸集侍弖、見食倍尊食倍歡食倍聞食倍、天皇明庭仁茂世仁、八桑枝乃立榮奉仕留倍支禱乎所聞食止、恐美恐美毛申給波久止申、これなり。此文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今寫し出せり。ところどころ文字の誤リおほかるを、今は三四本を合せ見て互に善き惡しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されど猶誤〓と見ゆる所所無きにあらず、なほ善本を得て正すべきなり。さて今古言を考へて、訓をも加へたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠ノ字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穗きと有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知ノ字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云云、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志國乃水了の了ノ字は、尸とも加とも有り、皆誤なり、かならず仁なるべし。天都水加加の立ノ字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有べき處なり。
新字:又申久、天皇朝廷奉仕親王等王等諸臣百官人等、天下四方国乃百姓諸諸集侍弖、見食倍尊食倍歓食倍聞食倍、天皇明庭仁茂世仁、八桑枝乃立栄奉仕留倍支祷乎所聞食止、恐美恐美毛申給波久止申、これなり。此文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤リおほかるを、今は三四本を合せ見て互に善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されど猶誤〓と見ゆる所所無きにあらず、なほ善本を得て正すべきなり。さて今古言を考へて、訓をも加へたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠ノ字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂きと有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知ノ字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云云、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了ノ字は、尸とも加とも有り、皆誤なり、かならず仁なるべし。天都水加加の立ノ字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有べき処なり。
書き下し
また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
現代語訳
また申し上げる。天皇の朝廷にお仕えする親王たち・王たち・諸臣・百官の人々、天下四方の国の民たちがみな集まり控えて、見てください、尊んでください、喜んでください、聞いてください。天皇の朝廷に栄える御世に、八方に伸びる桑の枝のように栄えてお仕えしようという祈りをお聞き入れくださいと、恐れ畏みつつ申し上げますと申す。以上がその文である。この文は古く尊いところが多いのに、世に知る人がまれなので、いまここに写し出した。ところどころ文字の誤りが多いので、三、四本の写本を合わせ見て、互いの良し悪しの中から良いと思われるものを選んで記した。それでもなお誤りと見える所がないわけではない。さらに善い本を得て正すべきである。さて古語を考えて訓も加えたついでに、少し意味も解いておこう。第六行の「天都御膳遠」の遠の字は、必ず乃であるはずだ。遠でも意味が通るようだが、そうすると次の「瑞穂遠」の遠と重なってしまう。「由庭仁所知食」の知の字は聞であるはずだ。第十行の「天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁」は、「天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖」と語を順に並べ替えて見れば、よく意味が通る。「宇都志国乃水了」の了の字は、写本によって尸とも加ともあるが、みな誤りで、必ず仁であるはずだ。「天都水加加」の立の字は、弖を誤ったものである。「申遠里」は納得がいかない。必ず「申世止」とあるべき所である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞その中に、上に引きたる左京二条座二座神は、大社の列にだに入り給わざるに、この祭に預かり給うことは、新嘗に殊なる故ある神なるべし。明良志は、理を延べて良志と云えるにて、阿加理なり。事仁は、下の奉仕と云うへ続く辞なり。食倍はみな多倍と訓むべし、給えと云う事なり。さて聞食倍の下に、弖と云う辞を添えて心得べし。天皇明庭の明の字は、朝の誤りなり。禱乎所聞食止は、一本には称辞竟奉良久止と有り、これも悪しからず。さて天忍雲根神云々の事、伊勢の外宮の書どもに、天村雲命の事として記せり。同じ神にやあらむ。さてこの寿詞を申す事は、辰の日豊楽院に幸し、悠紀の帳に御す、神祇官の中臣、賢木を笏に執りそえて、南門より入る。版位につき跪きて、天つ神の寿詞を奏すと、大嘗祭式に見えたり。わすれたり、大嘗会乃斎場とある会の字は、宮を誤れるなるべし
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞大嘗会の中臣寿詞と云う文あり。宇治の左大臣頼長公の台記の、康治元年の大嘗会の別記に載せられたり。その文、現御神と大八島国知ろしめす大倭根子天皇が御前に、天つ神の寿詞を称辞定め奉らくと申す。高天原に神留まり坐す皇親神漏岐・神漏美の命を持ちて、八百万の神等を集え賜いて、皇孫尊は高天原に事始めて、豊葦原の瑞穂の国を安国と平らけく知ろしめして、天つ日嗣の天つ高御座に御坐して、天つ御膳を長御膳の遠御膳と、千秋の五百秋に、瑞穂を平らけく安らけくゆにわに知ろしめせと事依さし奉りて、天降り坐しし後に、中臣の遠つ祖天児屋根命、皇御孫尊の御前に仕え奉りて、天忍雲根神を天の二上に上せ奉りて、神漏岐・神漏美命の前に受け給わり申すに、皇御孫尊の御膳つ水を、うつし国の水に天つ水を加えて奉らむと申せと、事教え給いしに依りて、天忍雲根神、天の浮雲に乗りて、神漏岐・神漏美命の前に申せば、天の玉櫛を事依さし奉りて、この玉櫛を刺し立てて、夕日より朝日の照るに至るまで、天つ詔戸の太詔刀言を以ちて告れ。かく告らば、まちは弱韮にゆつ五百篁生い出でむ。その下より天の八井出でむ。これを持ちて天つ水と聞こしめせと事依さし奉りき。かく奉りし任々に聞こしめすゆにわの瑞穂を、四国の卜部等、太兆に卜事を持ちて仕え奉る、悠紀に近江国野洲、主基に丹波国氷上を斎い定めて、
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞麻知波弱韮には、何事にか聞こえがたし。ただし麻知は、神名帳に、左京二条に坐す神二座、太詔戸命神、久慈真智命神と有る、真智よし有りげなり。太詔戸命と並び坐し、またこの二神相嘗に預かり給う事、下に云うを合わせ考うべし。韮は、もしくは蒜を誤れるにて、昼の借字ならむか。弱昼とは、正午時より前を云うべければ、上に至朝日照万弖と有る続きの時刻なるべし。由都五百とは、同言重なりていかが。由都はすなわち五百箇と云う事なればなり。八井は、神武天皇の御子の御名に、日子八井命また神八井耳命と申すおわせり。八井の意同じことにや。如此奉志は、奉の上に依の字脱けたるなるべし。四国卜部は、大祓の詞の終わりに、四毛国卜部等と有れども、卜部は、伊豆・壱岐・対馬の三国に限りて出ずる事にて四方の国より出ずる物にあらざれば、毛の字は、後の人のさかしらに加えたるにて、かれもここも四箇国を云うなり。それにとりて、四国は、右の三国と、いま一国はいづれの国ならむ、いぶかし。太兆との仁の字は、乃を誤れるなるべし。奉仕留の留の字は、弖なるべし。氷上の下に、一本には郡の字あり、もしそれによらば、上なる野洲の下にもその字あるべきなり。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞物部の人等、酒造児・酒波・粉走・灰焼・新採・相候・稲実公等、大嘗会の斎場に持ち斎わり参来て、今年十一月の中の卯の日に、ゆしりいつしり持ち恐み恐み、清まわり仕え奉り、月の内に日時を撰び撰び定めて献る悠紀・主基の黒木・白木の大御酒を、大倭根子天皇が天つ御膳の長御膳の遠御膳と、汁にも実にも赤丹の穂にも聞こしめして、豊の明りに明り御坐して、天つ神の寿詞を称辞定め奉る皇神等も、千秋五百秋の相嘗に相うづのい奉り、堅磐に常磐に斎い奉り、いかし御世に栄えしめ奉り、康治元年より始めて、大地・月・日と共に照らし明らし御坐す事に、本末傾けず茂し槍の中執り持ちて仕え奉る中臣祭主正四位上行神祇大副大中臣朝臣清親、寿詞を称辞定め奉らくと申す。
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『玉勝間』七の巻 天皇御元服の時のことぶき同別記、久安六年正月四日、近衛天皇御元服の儀式の中に曰く、東に進みて御前に当たり北面し、壁代の外の畔に留まり立ち、磐折して祝詞を奏すらく、御酒これ厚く、御肴これ嘉し、赤花て敬い祭り賜わば、もろもろの神たち悦びたまい、遺の味を嘗め賜わば、御躰平らかに御坐して、天地の休き事を、日月と共に受け保ち賜い、手長の御世の、遠き御世に、貴く戴き重ね御坐せと申す、また御冠を加え奉るところに曰く、御前に当たり進み、壁代の外の畔に留まり立ち、(揖せず)磐折して奏す、祝詞、その詞に云う、掛けまくも畏き天皇が朝廷、今月の吉日に、御冠加え賜いて、盛りに美しき御負い人と成り賜いぬ、天つ神地つ祇相悦び、護り幸え奉り賜いて、御寿長く久しく、宝位動き無く御坐せと申す、と見えたり。この二つの祝詞、文いとつたなし。はじめなるは、殊に拙し。今仮字づけも何も、本のままにしるせるを、かなづきなど、後に写し誤れりと見ゆる所々も有れど、もとよりいと拙きさまなり。古言のかたちの、ほのぼのまじれるは、古きかたの有りしが、つぎつぎに崩れて、かく拙くは成れるなるべし。この頃はやく、古語はむげにすたれ果てて、知れる人も無かりしと見えたり。おくなるは、ことも無けれど、天皇の御事を、天皇が朝廷と有るは、いみしき誤りなり。古語に天皇が朝廷とは、朝廷をこそ申せれ、天皇を然申せる事無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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