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玉勝間 / 十一の巻 肥後国の神楽歌

藏手いさやうちおきのみしまに鹽かけてかいたる鹽ぞ神はよろこぶ、東には日月さやかにひをてらす西にはよをつけよを經給ふ、北には一れうめうけん大將軍とのとのづくり南に南海をたてたり、一目のよとみの池に船うけてのぼるはやまもくだるはやまも、みさやまの諏訪のみまへの初穗花まゐれる人のかざしなるもの、天照大神宮のゆふだすきかけての後ぞたのしかるもの、水神のましましさきに綾はへて錦をはへてとくと踏せん、土佐の國はたの郡の北野なる客の天神といはひそめけん、土佐の國ありほが嶽にてる紅葉くれなゐ紅葉色かへて見ん。上ノ件リの歌どもは、肥後國の神樂歌なりとて、かの國人の見せたるなり。かの國には、いづれの社の神樂にも、此歌どもをうたふとぞ。

新字:蔵手いさやうちおきのみしまに塩かけてかいたる塩ぞ神はよろこぶ、東には日月さやかにひをてらす西にはよをつけよを経給ふ、北には一れうめうけん大将軍とのとのづくり南に南海をたてたり、一目のよとみの池に船うけてのぼるはやまもくだるはやまも、みさやまの諏訪のみまへの初穂花まゐれる人のかざしなるもの、天照大神宮のゆふだすきかけての後ぞたのしかるもの、水神のましましさきに綾はへて錦をはへてとくと踏せん、土佐の国はたの郡の北野なる客の天神といはひそめけん、土佐の国ありほが嶽にてる紅葉くれなゐ紅葉色かへて見ん。上ノ件リの歌どもは、肥後国の神楽歌なりとて、かの国人の見せたるなり。かの国には、いづれの社の神楽にも、此歌どもをうたふとぞ。

書き下し

蔵手。いさやうちおきのみしまに塩かけてかいたる塩ぞ神はよろこぶ、東には日月さやかにひをてらす西にはよをつけよを経給う、北には一りょうみょうけん大将軍とのとのづくり南に南海をたてたり、一目のよとみの池に船うけてのぼるはやまもくだるはやまも、みさやまの諏訪のみまえの初穂花まいれる人のかざしなるもの、天照大神宮のゆうだすきかけての後ぞたのしかるもの、水神のましましさきに綾はえて錦をはえてとくと踏せん、土佐の国はたの郡の北野なる客の天神といわいそめけん、土佐の国ありほが嶽にてる紅葉くれない紅葉色かえて見ん。上の件りの歌どもは、肥後国の神楽歌なりとて、かの国人の見せたるなり。かの国には、いずれの社の神楽にも、この歌どもをうたうとぞ。

現代語訳

蔵手(くらて、次の一連の名)。「さあ、沖の御島に潮をかけて、汲み取った塩こそ神は喜ばれる」。「東には日と月がさやかに日を照らし、西には夜を告げて夜を過ごされる」。「北には一両妙見(北辰の神)と大将軍が殿づくりをなさり、南には南海を立てた」。「一目の淀みの池に船を浮かべて、上るのも速く、下るのも速い」。「みさ山の諏訪の御前に供える初穂の花は、参る人の髪飾りとなるものだ」。「天照大神宮の木綿襷をかけてこそ、その後は楽しいものだ」。「水神のおいでになる先に綾を延べ、錦を延べて、とくと踏ませよう」。「土佐国幡多郡の北野にある客の天神と、祝い始めたのであろう」。「土佐国のありほが岳に照る紅葉、紅の紅葉の色を変えて見よう」。以上の歌は肥後国の神楽歌であるといって、その国の人が見せてくれたものである。その国では、どの社の神楽でもこれらの歌を歌うという。

解説

肥後の神楽歌の後半で、末尾に宣長がこれを書き留めた事情を記している。東西南北の方角に日月や妙見、大将軍といった神を配する歌は、陰陽道や星の信仰が神楽に入り込んでいることを示している。諏訪や天照大神宮、土佐の北野の天神など、九州の外の神々の名が次々に現れるのも興味深い。神楽の歌は、旅する宗教者や芸能者を通じて各地に運ばれ、土地の言葉と混じり合って根づいたのであろう。肥後ではどの社の神楽でもこれを歌うという添え書きは、地域ごとに共通の歌の型があったことを伝えている。宣長は門人や来訪者を通じて全国の情報を集めており、この歌も肥後の人が見せたものである。人のつながりが、そのまま学問の網の目になっていたことがわかる。

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