玉勝間 / 十の巻 節刀の事
件破敵是遣大將軍之時所賜節刀也。一腰是名守護、候御所是也者。天德以後、度度燒之後、未被作件二腰、本是百濟國所献云云。今日所遺劍身、六柄之中、靈ハ刀歟二腰之實有之實、件靈日等、國家大寶也、必可被作儲者、天德奉勅、以備前國撰献鍛冶、白根安生、令燒其實其高雄山也者。七八月庚申日、必可作此劍者。其故仰造酒令史安倍宗生等也。今年八月廿六日、是庚申日也。然而已爲九月節、又日次不宜。明年七八月庚申日、可被始作歟。件記、後日從治部卿通俊許借得、而所記置也。これ寬治八年十月廿四日の夜、皇居堀川ノ院燒たりしをりの事なり。裏書信經ノ私記と云ふに記せると本書にしるされたると、節刀異なるごとく聞ゆるは、いかなるにか。
新字:件破敵是遣大将軍之時所賜節刀也。一腰是名守護、候御所是也者。天徳以後、度度焼之後、未被作件二腰、本是百済国所献云云。今日所遺剣身、六柄之中、霊ハ刀歟二腰之実有之実、件霊日等、国家大宝也、必可被作儲者、天徳奉勅、以備前国撰献鍛冶、白根安生、令焼其実其高雄山也者。七八月庚申日、必可作此剣者。其故仰造酒令史安倍宗生等也。今年八月廿六日、是庚申日也。然而已為九月節、又日次不宜。明年七八月庚申日、可被始作歟。件記、後日従治部卿通俊許借得、而所記置也。これ寛治八年十月廿四日の夜、皇居堀川ノ院焼たりしをりの事なり。裏書信経ノ私記と云ふに記せると本書にしるされたると、節刀異なるごとく聞ゆるは、いかなるにか。
書き下し
件の破敵は是れ大将軍を遣わすの時賜う所の節刀なり。一腰は是れ守護と名づく、御所に候うは是れなり、てえり。天徳以後、度々焼くるの後、未だ件の二腰を作られず、本は是れ百済国の献ずる所と云々。今日遺る所の剣身、六柄の中、霊ハ刀か二腰の実これ有り、之の実有り、件の霊日等、国家の大宝なり、必ず作り儲けらるべし、てえれば、天徳に勅を奉り、備前国の撰び献れる鍛冶、白根安生を以て、その実を焼かしむ、その高雄山なり、てえり。七八月の庚申の日、必ずこの剣を作るべし、てえり。その故に造酒令史安倍宗生等に仰するなり。今年八月廿六日、是れ庚申の日なり。然れども已に九月の節たり、また日次宜しからず。明年七八月の庚申の日、始め作らるべきか。件の記、後日治部卿通俊の許より借り得て、記し置く所なり。これ寛治八年十月廿四日の夜、皇居堀川の院焼けたりしおりの事なり。裏書信経の私記と云うに記せると本書にしるされたると、節刀異なるごとく聞ゆるは、いかなるにか。
現代語訳
その破敵の剣は、大将軍を遣わす時に賜る節刀である。一振りは守護と名づけ、御所に置かれているのがこれである』と。天徳以後、たびたび焼けた後も、まだその二振りは作られていない。もとは百済国が献上したものという云々。今日残っている剣身六振りの中に、霊剣かと思われる二振りの実物がある。その霊剣などは国家の大宝であるから、必ず作り備えられるべきである。天徳の時には勅を受けて、備前国が選んで献上した鍛冶の白根安生に、その実物を焼き鍛えさせた。その場所は高雄山であった、という。七、八月の庚申の日に必ずこの剣を作るべきであるという。そのゆえに造酒令史の安倍宗生らに命じるのである。今年の八月二十六日は庚申の日である。しかしすでに九月の節に入っており、また日取りもよくない。来年の七、八月の庚申の日に作り始められるべきであろうか。この記録は、後日、治部卿藤原通俊のもとから借りて記し置いたものである」。これは寛治八年十月二十四日の夜、皇居の堀河院が焼けた折のことである。裏書の信経の私記というものに記していることと、本文に記されていることとで、節刀が異なるように聞こえるのは、どういうことであろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 節刀の事同じ記に云う、寛治八年十一月二日云々。仰せに依りて彼の中将と、内侍所に向い、官の行事所新たに作れる辛櫃一合、(長さ四尺、黒漆、中は朱漆、鎖匙無く、朱の綱を以て之を結ぶ、件の辛櫃の様、慥かに尋ね得ず、但し古老の女官等に問いて、作らしむるなり、)相具し、彼の中将と、共に節刀十柄を取り出す、(この中に霊剣二柄有るか)剣の様、切鋒八柄、一柄(長さ二尺五寸五分、左方に府の形纔かに見ゆ、打界なり、左鋒に霊形纔かに残る、鋒二寸許り師刃、柄本五寸四分、目貫の穴二つ、)一柄、(長さ二尺二寸、峰に銘文有り、云う、北斗左青竜右白虎、この上の文、損じて見えざるなり、中央の間に、この字許り有るなり、後玄、この字以下焼け損じて見えず、左に竜の形、纔かに腰より下許り見ゆ、その上に鳥の尾の形、纔かに在り、柄本六寸、穴一つ在り、)以上二柄、若しくは是れ霊剣か、残り六柄、(長さ二尺四寸、但し柄本或いは六寸、或いは四五寸等相加わるなり、剣井びに冑見えず、)鯰尾二柄、一門、(長さ二尺四寸、柄本三寸、)一柄、(長さ二尺、柄本四寸、以上二柄、銘文無し、)以上十柄、皆以て焼け損ず、一一監臨して、辛櫃に納め、納め了りて後、朱の綱を以て之を結び固む、云々。裏書に云う、長徳三年五月廿四日、蔵人信経の私記に云う、主計助安倍晴明を遣わし召して、宜陽殿の御剣等の事を召し問う、申して云う、件の御剣、卅四柄なり、去る天徳の内裏焼亡の日、皆悉く焼け損ず。晴明天文得業生たりし時、宣旨を奉り、勘文を進りて、作らしむる所なり。卅四柄の中、二腰を霊ハと名づく。一腰は破敵、一腰は守護、但し件の剣に鏤有り、歳次井びに名を鏤め、また同じく十二神、日月五星等の躰を鏤むるなり。而るに焼け損じて後、その文見えず、仍りて勘文を献る所なり。御剣の様、乃ち木形なり。
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『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事光明天皇の御世、貞和四年に、元暦のころ、壇の浦に沈みし宝剣、出で来たれりとて、伊勢より進奏せる事あり。これはかの国の円成と云う僧、大神宮へ千日参詣をしけるが、千日に満ちけるおりしも、海上に光物有りて円成これを得て見るに二尺五六寸の剣なり。その時十二三ばかりなる童に、神託ありて、これ海底に沈みし、三種の中の宝剣なりとありければ、祭主神人等、連署の起請をそえて、かの円成これを持ちて上京し、日野の前の大納言資明の卿につきて、これを奉る。さて資明の卿平野の社の神主卜部の宿禰兼員を召して、三種の神器の由来を、委しくたずね、猶も天下の人に信ぜさせむために、兼員をして、三七日祈誓せしめ、この剣まことにかの宝剣なりと云うことを、然るべき人の夢に告げ給いて、人の疑いを去りて、奏聞せんとて、祈請せしむ。その時左兵衛の督直義朝臣の夢に、奇瑞ありしによりて、いよいよ宝剣にまぎれ無しとて、このよし仙洞へ奏聞して、奉り給えり。然るに勧修寺の大納言経顕の卿これを聞きて、宝剣執奏の事、すべて資明が阿党のところより事おこりて候。
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『玉勝間』十三の巻 又宝劒の事百練抄に、文治三年七月廿日己未、七社に奉幣す、宝剣の御祈に依るなり。今日、勅使を長門国に遣わさる、且つは祈謝せられ、捜索せしめんが為なり。神祇大祐卜部兼衡、大蔵少輔安倍泰成等使と為る、前安芸守佐伯景弘、去る比下向す。景弘、合戦の時彼の国に在り、賓剣沈没の所を存知すと云云。
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『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事百六十余年の間、治世有徳の御世にだにも、出でざりし宝剣の、今かかる乱世にあたりて、出ずべき理なく候と、委しく奏し申されければ、上皇げにもとや思しめされけん、かの剣をば、平野の社の神主兼員に預けられけるとぞと、この事太平記廿五の巻に、くわしく記せり。まことに資明の卿直義兼員円成ら、あいはかりて、かまえ出だしたる、いつわり事とこそ聞こゆれ。
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『玉勝間』三の巻 天徳四年内裡焼亡事同記に云う、天徳四年九月廿三日庚申、今夜亥の三剋、内裏焼亡す、火は宣陽門内の方北腋の陣より出づ、中隔の外に出でず、天皇先ず中院に御し、次に朝所に御し、頃くして職の曹司に御す、定めて行う寮警固使、累代の珍宝、多く以て焼失す云云、丑の剋火止む、廿四日云云、又昨夜、鏡二(和名加之古止古呂)並びに大刀契、取り出すこと能わず、今日勅に依りて捜し求めしむ、余燼の上、已に其の実を得たり、但し調度焼損す、其の真は猶存す、形質変わらず、甚だ神異たり、即ち大蔵省の韓櫃に之を納め奉らしむ、十月三日、縫殿大允藤文紀参りて申す、去月廿四日、宣旨に依りて内裏の賢所に御坐す三所を、縫殿寮に遷し奉るの間、内記威所三所を納め奉る、一所の鏡、件の鏡は猛火の上に在りと雖も涌損せず、即ち伊勢御神と云う、二所は真形破損无し、長さ六寸許り、一所の鏡は已に涌乱破損す、紀伊国御神と云う云云、大刀卌八柄の中、四柄は、清涼殿より之を求め出し、卌四柄は、温明殿より之を求め出す、其の中に節刀ハ契七十四枚有り、皆魚形なり、背中より両に別る、各銘有り、併せて全く損せず、長さ各二寸余許り、八枚は金、十四枚は銀、五十枚は銀塗物、又金銀の涌乱一斗余許り有るなり、左近少将源伊渉、将監藤原佐理、右近少将藤原助信、将監源時中、蔵人主殿助藤原為光、出納雀部有方、女官等同じく以て祗候す云云、云云、十一月四日、天皇職の曹司より、冷泉院に遷御す。応和元年十一月廿日、天皇冷泉院より、新造内裏に遷御す、云云。
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『玉勝間』十三の巻 宝劒の事その後日本武の尊東行の時、胆吹山のすそに、臥長一丈の大蛇となりて、この剣を取らむとせしかども、取り得ざりし故に、その後さまざまと謀をめぐらし、簸の川上の大蛇、安徳天皇となり、源平の乱をおこし、竜宮に返し取りぬ。今我が口に含める、即ち是宝剣なり。抱ける小児は、安徳天皇なり。平家の一門の人人も、ここにありとて、簾をまきあげて見せける。まことにその人人皆なみ居たり。今汝に、身にまとえる如法経の貴さに、本の質をそのままにて見ゆるなり。ただしこの剣は、尽未来際、日本に返す事あるべからずとて、大蛇は内にはい入りぬと奏しければ、法皇をはじめ奉り、月卿雲客、一同に奇特の思いをなし給えり。さてこそ宝剣は、失せ侍りと治定しけれと、これも同じ書に見えたり。件の事は、寺寺の縁起のたぐいにて、みな例の僧のともがらの、世の人をあざむく、むげの造り事なり。然るを万の事に、かくさまの仏法ざたのすじを云うことを好みて、かかる書にさえ、いみじげに記されたるは、この事のみにあらず、皇国のむかし人の常のくせなり。大かたかかるたぐいの事をしるせるは、いずれの書なるもみな同じ事なり、いとうるさし。
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