玉勝間 / 十三の巻 宝劒の事
その後日本武ノ尊東行の時、膽吹山のすそに、臥長一丈の大蛇となりて、此劍を取むとせしかども、取得ざりし故に、其後さまざまと謀をめぐらし、簸ノ川上の大蛇、安德天皇となり、源平の亂をおこし、龍宮に返し取りぬ。今我口に含める、卽是寶劔なり。抱ける小兒は、安德天皇なり。平家の一門の人人も、ここにありとて、簾をまきあげて見せける。まことにその人人皆なみ居たり。今汝に、身にまとへる如法經の貴さに、本の質をそのままにて見ゆるなり。但し此劔は、盡未來際、日本に返す事あるべからずとて、大蛇は內にはひ入リぬと奏しければ、法皇をはじめ奉り、月卿雲客、一同に奇特の思ひをなし給へり。さてこそ寶劔は、失侍りと治定しけれと、これも同シ書に見えたり。件の事は、寺寺の緣起のたぐひにて、みな例の僧のともがらの、世の人をあざむく、むげの造り事なり。然るを萬の事に、斯くさまの佛法ざたのすぢを云ふことを好みて、斯かる書にさへ、いみしげに記されたるは、此事のみにあらず、皇國のむかし人の常のくせなり。大かた斯かるたぐひの事をしるせるは、いづれの書なるもみな同じ事なり、いとうるさし。
新字:その後日本武ノ尊東行の時、胆吹山のすそに、臥長一丈の大蛇となりて、此剣を取むとせしかども、取得ざりし故に、其後さまざまと謀をめぐらし、簸ノ川上の大蛇、安徳天皇となり、源平の乱をおこし、竜宮に返し取りぬ。今我口に含める、即是宝剣なり。抱ける小児は、安徳天皇なり。平家の一門の人人も、ここにありとて、簾をまきあげて見せける。まことにその人人皆なみ居たり。今汝に、身にまとへる如法経の貴さに、本の質をそのままにて見ゆるなり。但し此剣は、尽未来際、日本に返す事あるべからずとて、大蛇は内にはひ入リぬと奏しければ、法皇をはじめ奉り、月卿雲客、一同に奇特の思ひをなし給へり。さてこそ宝剣は、失侍りと治定しけれと、これも同シ書に見えたり。件の事は、寺寺の縁起のたぐひにて、みな例の僧のともがらの、世の人をあざむく、むげの造り事なり。然るを万の事に、斯くさまの仏法ざたのすぢを云ふことを好みて、斯かる書にさへ、いみしげに記されたるは、此事のみにあらず、皇国のむかし人の常のくせなり。大かた斯かるたぐひの事をしるせるは、いづれの書なるもみな同じ事なり、いとうるさし。
書き下し
その後日本武の尊東行の時、胆吹山のすそに、臥長一丈の大蛇となりて、この剣を取らむとせしかども、取り得ざりし故に、その後さまざまと謀をめぐらし、簸の川上の大蛇、安徳天皇となり、源平の乱をおこし、竜宮に返し取りぬ。今我が口に含める、即ち是宝剣なり。抱ける小児は、安徳天皇なり。平家の一門の人人も、ここにありとて、簾をまきあげて見せける。まことにその人人皆なみ居たり。今汝に、身にまとえる如法経の貴さに、本の質をそのままにて見ゆるなり。ただしこの剣は、尽未来際、日本に返す事あるべからずとて、大蛇は内にはい入りぬと奏しければ、法皇をはじめ奉り、月卿雲客、一同に奇特の思いをなし給えり。さてこそ宝剣は、失せ侍りと治定しけれと、これも同じ書に見えたり。件の事は、寺寺の縁起のたぐいにて、みな例の僧のともがらの、世の人をあざむく、むげの造り事なり。然るを万の事に、かくさまの仏法ざたのすじを云うことを好みて、かかる書にさえ、いみじげに記されたるは、この事のみにあらず、皇国のむかし人の常のくせなり。大かたかかるたぐいの事をしるせるは、いずれの書なるもみな同じ事なり、いとうるさし。
現代語訳
その後、日本武尊が東国へ向かわれた時、伊吹山のふもとで、臥した長さ一丈の大蛇となってこの剣を取ろうとしたが、取れなかったので、その後さまざまに謀をめぐらし、簸の川上の大蛇が安徳天皇となって源平の乱を起こし、竜宮に取り返したのだ。今わが口に含んでいるのが、すなわちこの宝剣である。抱いている子どもは安徳天皇である。平家一門の人々もここにいる』と言って、簾を巻き上げて見せました。本当にその人々がみな並んで座っていました。『今お前に、身にまとっている如法経の尊さによって、本来の姿のままで見せているのである。ただしこの剣は、未来永劫、日本に返すことはあるまい』と言って、大蛇は奥へ這い入りました」と奏上したので、法皇をはじめとして公卿・殿上人は一同、不思議なことだと思われた。それで宝剣は失われたと決着したのである、と、これも同じ書(源平盛衰記)に見えている。この話は寺々の縁起のたぐいで、みな例の僧侶の連中が世の人をあざむく、ひどい作り事である。それなのに、何事につけてもこのような仏法めいた筋の話をすることを好んで、このような書物にまでもっともらしく記されているのは、この話だけではなく、皇国の昔の人の常の癖である。だいたいこの類の話を記しているのは、どの書物もみな同じことで、まことにわずらわしい。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 宝劒の事法皇、宝剣の失せぬる事を、大いに御歎きありて、賀茂大明神に、七日御参籠、第七箇日に御夢想あり。宝剣の事、長門の国壇の浦の、老松若松という海士に仰せて、尋ね給うべしとなり。これによりて、九郎判官を召して、この事を仰せを含めらる。義経かの国へ下り、件の二人の海士をめす。老松は母、若松は女なり。二人ともに海に入りて、一日ありて浮かび上がりて、申すよう。怪しき子細ある所に候えば、凡夫の力に及ばず。如法経を書写して、身にまとうて入るべしと申すによりて、僧をあつめ、如法経を書写し、老松身にこれをまといて入り、一日一夜上がらず。翌日午の刻ばかりに浮かび上がる。子細は帝の御前にて申すべしと云うによりて、都へ具して上り、法住寺の御所に於て申していわく。竜宮城とおぼしき処に入り、そのありさま凡夫のすみかにあらず、心も言も及びがたし。老松、大日本国の帝王の御使と申し入れ庭上にすすみて、御簾の半ばあげたる内を見れば、長は知らず、臥長二丈もやあらんとおぼゆる大蛇、剣を口にくわえ、七八歳の小児をいだきてあり。詞を出していわく、宝剣は、必ずしも日本の帝の宝にあらず。竜宮城の宝物なり。かの出雲の国簸の川上の大蛇は、我が次郎王子なりし。
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『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事光明天皇の御世、貞和四年に、元暦のころ、壇の浦に沈みし宝剣、出で来たれりとて、伊勢より進奏せる事あり。これはかの国の円成と云う僧、大神宮へ千日参詣をしけるが、千日に満ちけるおりしも、海上に光物有りて円成これを得て見るに二尺五六寸の剣なり。その時十二三ばかりなる童に、神託ありて、これ海底に沈みし、三種の中の宝剣なりとありければ、祭主神人等、連署の起請をそえて、かの円成これを持ちて上京し、日野の前の大納言資明の卿につきて、これを奉る。さて資明の卿平野の社の神主卜部の宿禰兼員を召して、三種の神器の由来を、委しくたずね、猶も天下の人に信ぜさせむために、兼員をして、三七日祈誓せしめ、この剣まことにかの宝剣なりと云うことを、然るべき人の夢に告げ給いて、人の疑いを去りて、奏聞せんとて、祈請せしむ。その時左兵衛の督直義朝臣の夢に、奇瑞ありしによりて、いよいよ宝剣にまぎれ無しとて、このよし仙洞へ奏聞して、奉り給えり。然るに勧修寺の大納言経顕の卿これを聞きて、宝剣執奏の事、すべて資明が阿党のところより事おこりて候。
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『玉勝間』十三の巻 貞和四年に西ノ海に沈みし宝劒出来れりと云ふさだの事百六十余年の間、治世有徳の御世にだにも、出でざりし宝剣の、今かかる乱世にあたりて、出ずべき理なく候と、委しく奏し申されければ、上皇げにもとや思しめされけん、かの剣をば、平野の社の神主兼員に預けられけるとぞと、この事太平記廿五の巻に、くわしく記せり。まことに資明の卿直義兼員円成ら、あいはかりて、かまえ出だしたる、いつわり事とこそ聞こゆれ。
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『玉勝間』十三の巻 又宝劒の事百練抄に、文治三年七月廿日己未、七社に奉幣す、宝剣の御祈に依るなり。今日、勅使を長門国に遣わさる、且つは祈謝せられ、捜索せしめんが為なり。神祇大祐卜部兼衡、大蔵少輔安倍泰成等使と為る、前安芸守佐伯景弘、去る比下向す。景弘、合戦の時彼の国に在り、賓剣沈没の所を存知すと云云。
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『玉勝間』六の巻 安徳天皇の御事この主上をば、安徳天皇とつけ申したり。海にしずませ給いぬる事は、この王を、平相国いのり出しまいらすることは、安芸の厳島の明神の利生なり。このいつくしまと云うは、龍王のむすめなり、と申し伝えたり。この御神の、心ざし深きにこたえて、我が身の、この王となりて、生まれたりけるなり。さて果てには、海へかえりぬるなりとぞ、この子細知りたる人は申しける。この事は、まことならんと覚ゆ。この三件も、同じく愚管抄なり。この書、七巻有りて、神武天皇より、順徳天皇の御世、承久の乱れの前までの事どもを記して、ところどころに論あり。法師の書けるふみと見えて、その論みな例の仏さだなり。この安徳の帝の御事など、そのかみ例の僧のつくり出でて、云いなしたるが、ひろごりて、世にさるさだ有りしなるべし。平相国にいつくしま、いつく島に龍王のむすめ、りゅうおうの女に海にかえるとは、よくも事あいて、似つきたるものかな。「しもつけは木のうえにこそ成りにけれよしとも見えぬかけづかさかな」。これは平治に源の義朝の首、獄門にかけられたるを詠める、たわぶれ歌なり。しもつけは下野、かけづかさは兼官なり。
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『玉勝間』十二の巻 後鳥羽天皇践祚即位の御事この即位の御事、同じ記に、かえすがえす論あり。その大むねは止む事をえず、立王の御事は有りといえども、即位の礼を行わるる事にいたりては、三種の神宝の御帰京を待ち給うべきわざなりとなり。その中に、剣璽を帯びずして、即位の例出で来なば、後代乱逆の基、ただこの事に在るべし、と云う語あり。この一こと、ちよろずのこがねにも替え難く、いともいとも尊くなむ。法皇は、後白川の天皇、主上は、安徳天皇、三の宮は、守貞親王、後高倉の院と申す。三条の宮は、以仁王、世に高倉の宮と申す。入道関白は松殿基房公、摂政は、普賢寺殿基通公、左大臣は、大炊御門殿経宗公、右大臣は、すなわちこの玉海記し給える、月の輪殿兼実公なり。
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