玉勝間 / 十の巻 定家ノ中納言の詩
明月記、建仁元年十月、上皇熊野御幸の供奉の所に、十五日午時許、着發心門、宿南無房宅、此道之間、常不具筆硯、又有所思、未書一事、此門柱、始書詩一首、(異角柱、閑所也)慧日光前懺罪根、大悲道上發心門、南山月下結緣力、西刹雲中弔旅魂。
新字:明月記、建仁元年十月、上皇熊野御幸の供奉の所に、十五日午時許、着発心門、宿南無房宅、此道之間、常不具筆硯、又有所思、未書一事、此門柱、始書詩一首、(異角柱、閑所也)慧日光前懺罪根、大悲道上発心門、南山月下結縁力、西刹雲中弔旅魂。
書き下し
明月記、建仁元年十月、上皇熊野御幸の供奉の所に、十五日午の時ばかり、発心門に着き、南無房の宅に宿る。この道の間、常に筆硯を具せず、また思う所有りて、未だ一事をも書かず。この門の柱に、始めて詩一首を書く、(角柱を異にす、閑所なり)慧日の光の前に罪根を懺い、大悲の道の上の発心門、南山の月の下の結縁の力、西刹の雲の中に旅魂を弔う。
現代語訳
明月記(藤原定家の日記)の建仁元年十月、後鳥羽上皇の熊野御幸にお供した箇所に、「十五日、正午頃、発心門に着き、南無房の家に泊まる。この道中、いつも筆と硯を持たず、また思うところもあって、まだ一つも書いていない。この門の柱に、初めて詩を一首書く(角柱とは別の、人目につかない所である)。慧日(仏の知恵の日)の光の前に罪の根を懺悔し、大悲(仏の慈悲)の道の上にある発心門。南の山の月の下で仏縁を結ぶ力を得て、西方浄土の雲の中に旅の魂を弔う」とある。
解説
藤原定家の日記、明月記から、建仁元年の後鳥羽上皇の熊野御幸に随行した折の一節を引いた段である。熊野参詣道には王子と呼ばれる社が点々と並び、発心門王子は本宮の聖域の入口とされた。定家は道中、筆も硯も持たず何も書かなかったが、ここで初めて門の柱に漢詩を一首書きつけた。仏の知恵の光の前で罪を懺悔し、慈悲の道で発心の門をくぐり、月の下で仏縁を結び、西方の雲の中に旅の魂を弔う、という四句である。宣長は、定家を和歌の人として知る読者に、定家が漢詩も作り、それを旅の信仰の場で書きつけたことを示したかったのだろう。大歌人の日記の一行から、旅と信仰と文芸が重なり合う中世の姿が浮かぶ。
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