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玉勝間 / 十の巻 高野山

性靈集補闕云、於紀伊國伊都郡高野峰被請乞入定所表日、空海少年日、好涉-覽山水、從吉野南行一日、更向西去兩日程、有平原幽地、名曰高野、計當紀伊國伊都郡南、四面高嶺、人蹤絕蹊、云云。

新字:性霊集補闕云、於紀伊国伊都郡高野峰被請乞入定所表日、空海少年日、好渉-覧山水、従吉野南行一日、更向西去両日程、有平原幽地、名曰高野、計当紀伊国伊都郡南、四面高嶺、人蹤絶蹊、云云。

書き下し

性霊集補闕に云う、紀伊国伊都郡高野の峰に於て入定の所を請い乞わるる表に曰く、空海少年の日、好んで山水を渉覧す、吉野より南に行くこと一日、更に西に向いて去ること両日程、平原の幽地有り、名づけて高野と曰う、計るに紀伊国伊都郡の南に当たる、四面高嶺にして、人蹤蹊を絶つ、云々。

現代語訳

性霊集補闕抄にいう。「紀伊国伊都郡の高野の峰に入定の場所を請い求める表(上奏文)にいう。空海は少年の日、好んで山水を歩き巡った。吉野から南へ一日行き、さらに西へ向かって二日ほど行くと、平原の奥深い地があり、名を高野という。見積もると紀伊国伊都郡の南に当たる。四方を高い峰に囲まれ、人の足跡も小道も絶えている」云々。

解説

空海の詩文集である性霊集の補闕抄から、高野山の開創を願い出た上表文の一節を引いた段である。空海は少年の頃から山野を歩き回るのを好み、吉野から南へ一日、さらに西へ二日行った所に、四方を高い峰に囲まれ人跡の絶えた平原があるのを知っていた。それが高野であり、弘仁七年、ここを修禅の地として賜りたいと嵯峨天皇に願い出たのがこの表である。宣長は仏教に厳しい立場をとったが、地名の由来や古い記録には宗派を問わず関心を向けた。後に一大宗教都市となる山上が、もとは人の近づかない秘境だったことを、空海自身の言葉で確かめられる記録である。若い日の山歩きの記憶が、後の大事業の土台になったことも印象深い。

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