玉勝間 / 三の巻 太宰帥大貳の任におもむく時の事
西宮記に、太宰帥大貳赴任事、藏人奏聞、依仰召御前、自靑瑣門參上、給祿酒、給御衣一襲、諸卿參上、勸盃、諸卿座西面、(孫庇南三間、)帥貳座北面、(菅圓座、)給祿後下拜舞、出自仙華門、(或別召之、)有勅語、
新字:西宮記に、太宰帥大貳赴任事、蔵人奏聞、依仰召御前、自青瑣門参上、給禄酒、給御衣一襲、諸卿参上、勧盃、諸卿座西面、(孫庇南三間、)帥貳座北面、(菅円座、)給禄後下拝舞、出自仙華門、(或別召之、)有勅語、
書き下し
西宮記に、太宰帥大弐赴任の事、蔵人奏聞す、仰せに依りて御前に召す、青瑣門より参上す、禄酒を給う、御衣一襲を給う、諸卿参上し、盃を勧む、諸卿の座は西面、(孫庇の南三間、)帥弐の座は北面、(菅円座、)禄を給いて後下りて拝舞す、仙華門より出づ、(或いは別に之を召す、)勅語有り、
現代語訳
『西宮記』に「大宰帥・大弐が任地に赴く時のこと。蔵人が奏上する。仰せによって御前に召す。青瑣門から参上する。禄として酒を賜り、御衣一揃いを賜る。公卿たちが参上して盃を勧める。公卿たちの座は西向き(孫庇の南三間)、帥・大弐の座は北向き(菅の円座)。禄を賜った後、庭に下りて拝舞する。仙華門から出る(あるいは別にこれを召す)。勅語がある」とある。
解説
九州を統括する大宰府の長官(帥)と次官(大弐)が任地に赴く際の、朝廷での送別の儀を記した記事である。天皇の御前に召され、酒と衣を賜り、公卿たちが盃を勧め、座の向きまで細かく定められ、最後に庭に下りて舞うように拝礼して退出する。大宰府は外交と国防の要で、「遠の朝廷」と呼ばれた重要な役所であり、その長官を送り出す儀式が丁重であったことがよく分かる。宣長はこの記事と次の段で、大宰帥について考えている。儀式の手順は、ただの形式ではなく、その役職が朝廷の中でどれほど重く見られていたかを映し出す鏡である。有職故実を学ぶ意味は、こうした形を通して古代の政治と人々の意識を具体的に知ることにある。
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