玉勝間 / 八の巻 ゑた
今の世に、ゑたと云ふものは、餌取を訛れる名なり。穢多と書くは、俗のさかしら文字なり。和名抄に、屠兒、和名惠止利、屠牛馬肉、取鷹鷄之餌之義也、殺生及屠牛馬肉、取賣者也、と有り。翻譯名義集と云ふ書に、旃陀羅、此云屠者、法顯傳云、名爲惡人、與人別居、入城市則擊竹自異、人則避之と云へるは、天竺の國の事なるを、此方の今の世のゑたに似たる事なり。
新字:今の世に、ゑたと云ふものは、餌取を訛れる名なり。穢多と書くは、俗のさかしら文字なり。和名抄に、屠児、和名恵止利、屠牛馬肉、取鷹鶏之餌之義也、殺生及屠牛馬肉、取売者也、と有り。翻訳名義集と云ふ書に、旃陀羅、此云屠者、法顕伝云、名為悪人、与人別居、入城市則撃竹自異、人則避之と云へるは、天竺の国の事なるを、此方の今の世のゑたに似たる事なり。
書き下し
今の世に、えたと云うものは、餌取を訛れる名なり。穢多と書くは、俗のさかしら文字なり。和名抄に、屠児、和名恵止利、牛馬の肉を屠りて、鷹鶏の餌を取るの義なり、殺生及び牛馬の肉を屠りて、取り売る者なり、と有り。翻訳名義集と云う書に、旃陀羅、此に屠者と云う、法顕伝に云う、名づけて悪人と為す、人と別居し、城市に入れば則ち竹を撃ちて自ら異にす、人則ち之を避く、と云えるは、天竺の国の事なるを、此方の今の世のえたに似たる事なり。
現代語訳
今の世に「えた」というものは、「餌取(えとり)」を訛った名である。「穢多」と書くのは、世俗のこざかしい当て字である。和名抄に「屠児、和名は恵止利(えとり)。牛馬の肉を屠って、鷹や鶏の餌を取るという意味である。殺生をし、また牛馬の肉を屠って取って売る者である」とある。翻訳名義集という書に「旃陀羅(せんだら)、ここでは屠者という。法顕伝に言う、名づけて悪人とする。人と離れて住み、町に入るときは竹を打ち鳴らして自分を区別し、人々はこれを避ける」と言っているのは、天竺の国のことであるが、わが国の今の世の「えた」に似たことである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』八の巻 足袋俗に云う足袋は、和名抄に、単皮履、云云、今按ずるに野人鹿皮を以て半靴と為し、名づけて多鼻と曰う、乍〓此の単皮の二字を用うるか、と有り。
-
『玉勝間』二の巻 あざ名と云ふ物の事あざ名と云うもの、かの文琳、菅三、平仲などのたぐいのみにもあらず、古より正しき名の外に呼ぶ名を、字と云える事多し。中むかしには、今のいわゆる俗名をも、字と云える事あり。その外にも田地の字、何の字くれの字など云うも、皆正しく定まれる名としも無くて、呼びならえるを云えり。いずれも漢国人の字とはことことなり。そが中に、今の俗名を云えるは、漢人の字と、こころばえ似たり。
-
『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事すべて近き世の儒者、いと遠きからぶみに、稀れに見えたる事の、ここの言と似たるを見つくれば、皆それより出でたる事と、すなるは、いとおかしき事ぞかし。大かた後の世の語に、字音の言の多きは、多くは仏書の言なる。こは昔僧どもの、常に云うを、聞きなれて、うつれる物なり。またほとけぶみの言ならぬも、世にひろく読みならえる書に有る詞こそ有れ、遠き書に、稀れ稀れ見えたる言は、ほうしも儒者も、口につねに云う物には有らざれば、ましてなべての世の人の、聞き知りてならい云うべきよし無きものをや。
-
『玉勝間』五の巻 三郎現報霊異記に、文の忌寸氏の人に字を上田三郎と曰う、と云える事あり。聖武天皇の御世のことなり。その頃より、三郎など云う名有りしにこそ。字と云えるは、今の世の俗名のごとし。
-
『玉勝間』八の巻 ひきはだ同じ記に、四五位は半靴(引膚有り、華仙有り)、六位は深沓(引膚無し、華仙無し)と有り。沓などにも、ひきはだと云うこと有と聞ゆ。此名のこころは、蟾蜍膚なるべし。
-
『玉勝間』四の巻 者と云ふ事もろもろの文書に、云々者云々と云える事多し。この者の字を、中ごろより、下の語のかしらに付けて、てえれば云々と読みならえるは、ひがことなり。こは上の語につきて、云々てえりと読む事なり。てえりは、と云えりと云うことなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る