玉勝間 / 八の巻 おひなる
女の詞に、人の寢たるが起くる事を、おひなると云ふ。伊勢などにては、おひるなると云ふ。
新字:女の詞に、人の寝たるが起くる事を、おひなると云ふ。伊勢などにては、おひるなると云ふ。
書き下し
女の詞に、人の寝たるが起くる事を、おひなると云う。伊勢などにては、おひるなると云う。
現代語訳
女の言葉で、人が寝ていたのが起きることを「おひなる」と言う。伊勢などでは「おひるなる」と言う。
解説
女房詞と呼ばれる女性の言葉づかいのうち、目を覚ますことを言う「おひなる」を取り上げた短い段である。女房詞は、宮中に仕える女官たちが用いた独特の言葉で、物事を直接言わず、婉曲に上品に言い表すのが特徴である。「おひなる」は、次の段で宣長が説くように「御昼なる」、つまり昼になる意から、起きることを言ったものと考えられる。宣長は、伊勢では「おひるなる」と、元の形に近い言い方が残っていることを添えている。女房詞の多くは、やがて町の女性たちの言葉にも広まり、「おでん」「おなか」など、今の日常語にもその名残がある。宣長は、宮中から町へ、都から地方へと言葉が移り広がっていくさまに関心を寄せていた。起きる、寝るという日々のふるまいを直接言わずに言い表す、言葉のやわらかな工夫を伝える一段である。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 およるあずまにて、寝る事を、およると言う。御昼なる御夜なると云う事なり。古今著聞集に、月をも御覧ぜで御よるなれば、云云、増鏡に、帝はいずくにおよるぞと問う、夜のおとどにといらうれば云云。
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『玉勝間』十一の巻 いはゆる御所詞同書に、内裏仙洞には、一切の食物に、異名を付けて召さるる事なり。一向存知せざる者は、当座に迷惑すべき者なり。
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『玉勝間』五の巻 おこは まはり今の世、女の言に、強飯を、おこわと云えり。大神宮年中行事に、御強と見ゆ。又菜をまわりと云うこと、同じ書に、御廻八種と有り。枕ぞうしには、あわせと見えたり。
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『玉勝間』八の巻 まにあはぬ又間にあわぬと云う事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
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『玉勝間』十二の巻 屎まるをはこすと云ふ事くそを、この伊勢の国の山里人など、はこと云うことあり。そは古は然るべき人は、糞を箱もてとりて、捨てけるより出でて、古き詞にぞありける。ある物語書に、平仲が、本院の侍従と云う女房を、ふかく恋い思いたる事を云える中にいわく。思いわびて思うよう、この人(侍従を云う)かくおかしくとも、はこにしたらん嗅ぐことは、たれも同じようにこそあらめ、これをさがして、見かぎなどして、思いとまりなむと思いて云云、と云えり。はこにしたらむ事とは、糞を云えるなり。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ女はを、嫗はおの仮字にて、分かるるなり。又つけると云う詞もいかが。真名本に、世営と書けり。よこころあると訓むべし。色好む心の有る老女なり。あいえてしも、同じ本に、あい見てしと有るよろし。その次の詞も、かの本よろし。出でたつけしきは、男のなさけ有りて、嫗のがりゆかむと思いて、出でたつなり。いずくなりけん、けんと云う詞いかが。いずくなるらんと、など有るべきにや。もし又けんをたすけて云わば、物語の地の詞として、いずくにての事なりけんと見るべし。昔男いせの国なりける女云云、真字本に、女をと有るよろし。むかしそこには云云、真字本に、昔男と有り。むかし男、いせの国にいていきて云云、こは本は、いせの国なる女に、京にいていきて云云、と有りしが、二文字の重なれるによりて、京にと云う事の、後に落ちたるなり。次なる歌ども、必ず伊勢なる女とこそ聞えたれ。「いわまより云云、この歌の四の句、解き得たる人無し。しおいしおみちは、とまれかくまれと云う意なるを、海の詞にて云えるのみなり。今はともかくもあれ、末ついにはかい有りて、逢う事も有らんと云えるなり。きょうの御わざを題にての、きょうのは、その日のと有るべき言なり。
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