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玉勝間 / 五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ

女はヲ、嫗はオの假字にて、分るるなり。又つけると云ふ詞もいかが。眞名本に、世營と書けり。よこころあると訓べし。色好む心の有る老女なり。あひえてしも、同本に、あひ見てしと有るよろし。その次の詞も、かの本よろし。出たつけしきは、男のなさけ有て、軀のがりゆかむと思ひて、出たつなり。いづくなりけん、けんと云ふ詞いかが。いづくなるらんと、など有るべきにや。もし又けんをたすけて云はば、物語の地の詞として、いづくにての事なりけんと見べし。昔男いせの國なりける女云云、眞字本に、女乎と有るよろし。むかしそこには云云、眞字本に、昔男と有り。むかし男、いせの國にゐていきて云云こは本は、いせの國なる女に、京にゐていきて云云、と有しが、二文字の重なれるによりて、京にと云ふ事の、後に落たるなり。次なる歌ども、必ズ伊勢なる女とこそ聞えたれ「いはまより云云、此歌の四の句、解き得たる人無し。しほひしほみちは、とまれかくまれと云ふ意なるを、海の詞にて云へるのみなり。今はともかくもあれ、末つひにはかひ有て、逢ふ事も有らんと云へるなり。けふの御わざを題にてのケフノは、ソノ日ノと有るべき言なり。

新字:女はヲ、嫗はオの仮字にて、分るるなり。又つけると云ふ詞もいかが。真名本に、世営と書けり。よこころあると訓べし。色好む心の有る老女なり。あひえてしも、同本に、あひ見てしと有るよろし。その次の詞も、かの本よろし。出たつけしきは、男のなさけ有て、躯のがりゆかむと思ひて、出たつなり。いづくなりけん、けんと云ふ詞いかが。いづくなるらんと、など有るべきにや。もし又けんをたすけて云はば、物語の地の詞として、いづくにての事なりけんと見べし。昔男いせの国なりける女云云、真字本に、女乎と有るよろし。むかしそこには云云、真字本に、昔男と有り。むかし男、いせの国にゐていきて云云こは本は、いせの国なる女に、京にゐていきて云云、と有しが、二文字の重なれるによりて、京にと云ふ事の、後に落たるなり。次なる歌ども、必ズ伊勢なる女とこそ聞えたれ「いはまより云云、此歌の四の句、解き得たる人無し。しほひしほみちは、とまれかくまれと云ふ意なるを、海の詞にて云へるのみなり。今はともかくもあれ、末つひにはかひ有て、逢ふ事も有らんと云へるなり。けふの御わざを題にてのケフノは、ソノ日ノと有るべき言なり。

書き下し

女はを、嫗はおの仮字にて、分かるるなり。又つけると云う詞もいかが。真名本に、世営と書けり。よこころあると訓むべし。色好む心の有る老女なり。あいえてしも、同じ本に、あい見てしと有るよろし。その次の詞も、かの本よろし。出でたつけしきは、男のなさけ有りて、嫗のがりゆかむと思いて、出でたつなり。いずくなりけん、けんと云う詞いかが。いずくなるらんと、など有るべきにや。もし又けんをたすけて云わば、物語の地の詞として、いずくにての事なりけんと見るべし。昔男いせの国なりける女云云、真字本に、女をと有るよろし。むかしそこには云云、真字本に、昔男と有り。むかし男、いせの国にいていきて云云、こは本は、いせの国なる女に、京にいていきて云云、と有りしが、二文字の重なれるによりて、京にと云う事の、後に落ちたるなり。次なる歌ども、必ず伊勢なる女とこそ聞えたれ。「いわまより云云、この歌の四の句、解き得たる人無し。しおいしおみちは、とまれかくまれと云う意なるを、海の詞にて云えるのみなり。今はともかくもあれ、末ついにはかい有りて、逢う事も有らんと云えるなり。きょうの御わざを題にての、きょうのは、その日のと有るべき言なり。

現代語訳

「女(をんな)」は「を」、「嫗(おうな)」は「お」の仮名で区別されるのである。また「つける」という言葉もどうか。真名本に「世営」と書いている。「よごころある」と訓むべきである。色を好む心のある老女である。「あいえてし」も、同じ本に「あい見てし」とあるのがよい。その次の言葉も、あの本がよい。「出でたつけしき」は、男に情けがあって、老女のもとへ行こうと思って出で立つのである。「いずくなりけん」の「けん」という言葉はどうか。「いずくなるらん」などとあるべきであろうか。もしまた「けん」を擁護して言うなら、物語の地の文の言葉として、「どこでのことであったろうか」と見るべきである。「昔男、伊勢の国なりける女」云々は、真名本に「女を」とあるのがよい。「むかし、そこには」云々は、真名本に「昔男」とある。「むかし男、伊勢の国にいていきて」云々。これはもとは「伊勢の国なる女に、京にいていきて」云々とあったのが、「に」の二文字が重なっていたために、「京に」ということが後に抜け落ちたのである。次の歌々は、必ず伊勢にいる女と聞こえる。「岩間より」云々のこの歌の四句目は、解き得た人がいない。「しおいしおみち」は「ともかくも」という意味なのを、海の言葉で言っているだけである。今はともかくも、末にはついにかいがあって、逢うこともあろう、と言っているのである。「きょうの御わざを題にて」の「きょうの」は、「その日の」とあるべき言葉である。

解説

覚え書きの第七部で、前の段の「女」と「嫗」の話を仮名遣いで締めくくる。女は「を」、嫗は「お」で書き分けられるのだから、仮名遣いが守られていれば取り違えは起こらなかった。注目すべきは、「伊勢の国にいていきて」という本文から、もとは「伊勢の国なる女に、京にいていきて」だったのが、「に」が重なっていたために「京に」が抜け落ちたと推理するくだりである。同じ文字が続くと写す人の目が飛ぶ、という誤写の典型を見抜いている。「岩間より」の歌の四句の解釈は、先に独立した段でも述べたもので、宣長がよほど自信を持っていたことがわかる。写本の誤りが起きる仕組みまで理解したうえでの本文批判である。

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