玉勝間 / 八の巻 めつさうかい
今の俗言に、めつさうかいなど云ふは、此言の訛れるなり。めつさうかいを、伊勢などにては、めつほうかいと云へり。又其意を江戶などにては、あてこともないと云へり。これも無邊法界の意に近し。
新字:今の俗言に、めつさうかいなど云ふは、此言の訛れるなり。めつさうかいを、伊勢などにては、めつほうかいと云へり。又其意を江戸などにては、あてこともないと云へり。これも無辺法界の意に近し。
書き下し
今の俗言に、めっそうかいなど云うは、此言の訛れるなり。めっそうかいを、伊勢などにては、めっぽうかいと云えり。又其意を江戸などにては、あてこともないと云えり。これも無辺法界の意に近し。
現代語訳
今の俗語で「めっそうかい」などと言うのは、この言葉が訛ったものである。「めっそうかい」を、伊勢などでは「めっぽうかい」と言っている。またその意味を、江戸などでは「あてこともない」と言っている。これも「無辺法界」の意味に近い。
解説
前段の「無辺法界」が、江戸時代の俗語「めっそうかい」に訛ったと論じた段である。「めっそうかい」「めっぽうかい」は、とんでもない、途方もないという意の言葉で、今も「滅相もない」「めっぽう強い」などの言い方に名残をとどめている。宣長は、伊勢と江戸で言い方が違うことにも目を配り、江戸の「あてこともない」も同じ意味の言葉だと添える。今日では、「めっそう」は仏教語の「滅相」から、「めっぽう」は「滅法」から来たとする説明が一般的で、宣長の説とは異なる。しかし、仏教の言葉が庶民の口の中で意味を変え、とんでもないことを言う俗語になったという見方そのものは共通している。難しい仏教語が日常の感嘆の言葉へ姿を変えていく過程は、言葉の生命力を感じさせる。
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