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うひ山ぶみ / 注[ラ]万葉集をよくまなぶべし

上代のさま、中古の人は、中古のさま、後世の人は、後世のさま有て、おのおのそのいへる言となせる事と、思へる心と、相かなひて似たる物なるを、今の世に在て、その上代の人の、言をも事をも心をも、考へしらんとするに、そのいへりし言は、哥に傳はり、なせりし事は、史に傳はれるを、その史も、言を以て記したれば、言の外ならず、心のさまも、又哥にて知ルべし、言と事と心とは其さま相かなへるものなれば、後世にして、古の人の、思へる心、なせる事をしりて、その世の有さまを、まさしくしるべきことは、古言古哥にある也、さて古の道は、典の神代上代の事跡のうへに備はりたれば、古言古哥をよく得て、これを見るときは、其道の意、おのづから明らかなり、さるによりて、上にも、初學のともがら、まづ神代正語をよくよみて、古語のやうを口なれしれとはいへるぞかし、古事記は、古傳說のまゝに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正しく古言をしるべきことは、萬葉には及ばず、書紀は、殊に漢文のかざり多ければ、さら也、さて二典に載れる哥どもは、

新字:上代のさま、中古の人は、中古のさま、後世の人は、後世のさま有て、おのおのそのいへる言となせる事と、思へる心と、相かなひて似たる物なるを、今の世に在て、その上代の人の、言をも事をも心をも、考へしらんとするに、そのいへりし言は、歌に伝はり、なせりし事は、史に伝はれるを、その史も、言を以て記したれば、言の外ならず、心のさまも、又歌にて知ルべし、言と事と心とは其さま相かなへるものなれば、後世にして、古の人の、思へる心、なせる事をしりて、その世の有さまを、まさしくしるべきことは、古言古歌にある也、さて古の道は、典の神代上代の事跡のうへに備はりたれば、古言古歌をよく得て、これを見るときは、其道の意、おのづから明らかなり、さるによりて、上にも、初学のともがら、まづ神代正語をよくよみて、古語のやうを口なれしれとはいへるぞかし、古事記は、古伝説のまゝに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正しく古言をしるべきことは、万葉には及ばず、書紀は、殊に漢文のかざり多ければ、さら也、さて二典に載れる歌どもは、

書き下し

上代のさま、中古の人は、中古のさま、後世の人は、後世のさま有て、おのおのそのいへる言となせる事と、思へる心と、相かなひて似たる物なるを、今の世に在て、その上代の人の、言をも事をも心をも、考へしらんとするに、そのいへりし言は、歌に伝はり、なせりし事は、史に伝はれるを、その史も、言を以て記したれば、言の外ならず、心のさまも、又歌にて知ルべし、言と事と心とは其さま相かなへるものなれば、後世にして、古の人の、思へる心、なせる事をしりて、その世の有さまを、まさしくしるべきことは、古言古歌にある也、さて古の道は、典の神代上代の事跡のうへに備はりたれば、古言古歌をよく得て、これを見るときは、其道の意、おのづから明らかなり、さるによりて、上にも、初学のともがら、まづ神代正語をよくよみて、古語のやうを口なれしれとはいへるぞかし、古事記は、古伝説のまゝに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正しく古言をしるべきことは、万葉には及ばず、書紀は、殊に漢文のかざり多ければ、さら也、さて二典に載れる歌どもは、

現代語訳

上代の様、中古の人は中古の様、後世の人は後世の様があって、それぞれその言った言葉としたことと思った心とが、相かなって似ているものであるのに、今の世にあって、その上代の人の言葉をも事をも心をも考え知ろうとするとき、その言った言葉は歌に伝わり、したことは史書に伝わっているが、その史書も言葉で記してあるので、言葉の外ではない。心の様もまた歌によって知ることができる。言葉と事と心とはその様が相かなうものなので、後世にあって、古代の人の思った心、した事を知って、その世の有様を正しく知るべきことは、古言・古歌にあるのである。さて古の道は、二典の神代・上代の事跡の上に備わっているので、古言・古歌をよく会得してこれを見るときは、その道の意は自然と明らかである。そういうわけで、上にも、初学の人々はまず『神代正語』をよく読んで古語の様子に口慣れて知れと言ったのである。『古事記』は古い伝説のままに記されてはいるが、やはり漢文なので、正しく古言を知ることについては『万葉集』には及ばない。『日本書紀』はことに漢文の飾りが多いので、言うまでもない。さて二典に載っている歌どもは、

解説

前の条を受けて、言葉と事と心は時代ごとに相かなうという原理から、古代を知る方法を導く。上代の人の言葉は歌に、行いは史書に伝わるが、史書も言葉で記される以上、すべては言葉に帰着する。心の様も歌から知られる。だから古代の心と事を正しく知る鍵は古言と古歌にあり、それを会得して二典を読めば、神代・上代の事跡に備わる道の意は自然と明らかになるという。本文で自著『神代正語』を読んで古語に口慣れよと勧めたのもそのためである。『古事記』も漢文である以上、古言を知るには『万葉集』に及ばず、『日本書紀』はなおさらだという。理屈で道を説く代わりに、言葉に習熟して道に至ろうとするのである。遠い時代の人を、今の感覚で推し量っていないだろうか。

この章句が説くこと

古言古歌万葉集神代正語古意

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