導師導古典を学びたいすべての人に

玉勝間 / 七の巻 かづけ綿

また延喜御宇、佛名僧、寒夜不便也。御下襲切三、被重橫臂上ニ、自其以降、模被着白橫臂也、其後勅云、左肩可寒、仍綿被也、已爲流例不絕、但近代每事不法歟。

新字:また延喜御宇、仏名僧、寒夜不便也。御下襲切三、被重横臂上ニ、自其以降、模被着白横臂也、其後勅云、左肩可寒、仍綿被也、已為流例不絶、但近代毎事不法歟。

書き下し

また延喜の御宇、仏名の僧、寒夜不便なり。御下襲を三つに切りて、臂の上に横たえ重ねらる、それより以降、模して白き横臂を着けらるるなり、その後勅して云う、左の肩寒かるべし、仍りて綿を被くるなり、已に流例と為りて絶えず、ただし近代毎事不法か。

現代語訳

また延喜の御代(醍醐天皇の時)、仏名会の僧が寒い夜に気の毒であった。そこで天皇は御下襲(したがさね)を三つに切って、僧の臂の上に横に掛け重ねてやられた。それ以来、これにならって白い横臂を着けさせられるのである。その後、天皇が「左の肩が寒いであろう」と仰せになり、そこで綿を被けて与えるのである。すでに慣例となって絶えることがない。ただし近ごろは何事も作法どおりでないのではないか。

解説

前の段に続き、仏名会の僧に綿を与える「かづけ綿」の由来を記している。醍醐天皇が寒夜の僧を気の毒に思い、自らの下襲を切って僧の臂に掛けてやった。それが白い横臂を着ける慣例となり、さらに左肩が寒かろうと綿を被けるようになった、という。「かづく」は褒美として衣や綿を肩に掛けて与えることで、平安の宮廷では禄を授ける作法であった。一人の天皇の思いやりから始まったことが、やがて決まった作法として受け継がれていく。儀式の多くは、もとはこうした具体的な必要や心づかいから生まれたものである。末尾の「近代は毎事不法か」という一句は、形だけが残って始まりの心が忘れられることへの嘆きとも読める。作法の由来を知ることは、その作法に込められた心を取り戻すことでもある。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る