玉勝間 / 七の巻 美材草神
同書云、小野美材、內裡文集御屏風書了、奧書、太原居易古詩聖、小野美材今草神云。
新字:同書云、小野美材、内裡文集御屏風書了、奥書、太原居易古詩聖、小野美材今草神云。
書き下し
同書に云う、小野美材、内裏の文集の御屏風を書き了りて、奥書に、大原居易は古詩の聖、小野美材は今草の神と云う。
現代語訳
同じ書(江談抄)に次のようにある。小野美材が、内裏の白氏文集の詩を書いた御屏風を書き終えて、その奥書に「大原(太原)の白居易は古詩の聖、小野美材は今の草書の神」と書いたという。
解説
前の段に続いて江談抄から、書家小野美材の自負を伝える逸話を書き抜いている。美材は平安前期の文人で能書として知られ、内裏の屏風に白居易の詩文集の句を書いた。その奥書に、白居易は古詩の聖、自分は今の草書の神と記したという。題の「美材草神」はこの句から取っている。詩を作った白居易と、それを書いた自分とを対にして並べる大胆さは、書の芸に対する強い誇りの表れである。平安の宮廷で白氏文集がいかに愛読されていたか、またその詩句を屏風に書くことが能書家の名誉であったことも伝わる。宣長は漢籍を崇める風を批判したが、その受容の歴史を示す記録は丁寧に写し取った。自分の技を名指しで誇る書き手の姿は、控えめを美とする後の世の感覚とは違う、古人の率直さも見せている。
関連する章句
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