玉勝間 / 七の巻 道風朝綱書勅判の事
江談抄云、天曆御時、小野道風與江朝綱、常成手書相論之時、兩人議曰、給主上御判、互可決勝劣云。仍申請御判之處、主上被仰云、朝綱書、劣於道風事、譬如道風劣朝綱之才云。
新字:江談抄云、天暦御時、小野道風与江朝綱、常成手書相論之時、両人議曰、給主上御判、互可決勝劣云。仍申請御判之処、主上被仰云、朝綱書、劣於道風事、譬如道風劣朝綱之才云。
書き下し
江談抄に云う、天暦の御時、小野道風と江朝綱と、常に手書の相論を成すの時、両人議して曰く、主上の御判を給わりて、互いに勝劣を決すべしと云う。仍りて御判を申し請うの処、主上仰せられて云う、朝綱の書の、道風に劣る事、譬えば道風の朝綱の才に劣るがごとしと云う。
現代語訳
江談抄に次のようにある。天暦の御代(村上天皇の時)、小野道風と大江朝綱とがいつも書の腕前を言い争っていたとき、二人が相談して、「天皇のご判定をいただいて、互いの優劣を決めよう」と言った。そこでご判定をお願い申し上げたところ、天皇は仰せられた。「朝綱の書が道風に劣るのは、たとえて言えば、道風が朝綱の学才に劣るようなものだ」と。
解説
大江匡房の談話を筆録した『江談抄』から、村上天皇の機知ある裁定を書き抜いた段である。三蹟の一人小野道風と、当代一の文人大江朝綱が書の優劣を争い、天皇に判定を仰いだ。天皇は、朝綱の書が道風に劣るのは、道風の学才が朝綱に劣るのと同じだ、と答える。書では道風が勝ち、学問では朝綱が勝つ。どちらにも花を持たせ、しかも優劣ははっきり言っている。宣長はこの逸話に評を加えず、そのまま写している。平安の宮廷で、書と学問がそれぞれ独立した才として重んじられていたことがわかる。人を比べるとき、一つの物差しで全体の上下を決めるのではなく、それぞれの長所の領域を分けて認める。争う二人を傷つけずに収める裁定の言葉として、今も学ぶところがある。
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